第010話 呼び名
黒山が櫻井の相手をしている間、雛と葵は別の場所に避難していた。
放課後の校舎だけあり生徒の気配はほとんど感じられない。当然部活中の生徒が残っているが休み時間などと比べればその静けさは歴然としていた。
身内の声しか響かない空間の中で二人は話を交わす。
「ねえ、黒山先輩のことは放っておいて大丈夫なの?」
「心配ない。彼強いし」
「へー。信頼してるんだね」
「アンタこそ黒山君のことを案じるなら何でそもそも彼を巻き込んだの」
「んー……」
葵が人差し指を唇に当てた。葵自身も何で黒山に頼んだのか、明確な理由を聞かれるとうまく説明できずにいた。
少し考えを整理した葵は、
「面白そうだったから?」
あっさりと結論付けた。
「……アンタねえ、下手すると
「うん、それはわかってる。というか今さっき身に染みたとこ」
先程櫻井が自分の方へ襲い掛かったとき、
もし雛があの場にいなかったら、もし黒山があの場で止めてくれなかったらと思うと今更ながら鳥肌が立つ。
「でも、一方で黒山先輩と接するチャンスにも思ったんだ」
彼氏役を断られたあの日、もう黒山とまともに関われる機会は姉である雛の件で絡むぐらいしかなかった。
だがそこに干渉するとあくまで雛が主体になってしまうのが何となく面白くなかった。
「アンタ、どうしてそこまで黒山君にこだわるの?」
そのことが雛にはずっと疑問だった。
確かに葵には黒山のことは話した。
黒山との作戦の件は基本的にクラスの友達にも話せず葵へ毎日愚痴のようにこぼしていた。今となってはこんな事態を招いたことについて黒山に申し訳ないと思っている。
しかし、それだけでここまで黒山と関わってみたいと思うものだろうか。
何せ黒山と葵には今まで接点がなかったのだ。
「こだわるってわけでもないんだけどね。あえて言うなら――」
葵の言葉を聞いた後、雛が答えた。
「アンタも変わってんね」
「そー? まあ何て言われても別に構わないけど」
葵が雛の方を向いた。
「姉ちゃんも榊先輩との件、うまくいくといーね」
「……」
雛が今意中の相手としている男子生徒の名前を挙げて
「もちろん。そのために黒山君に協力してもらってるんだから」
もし葵の一件がなければ昨日も今日も雛が榊と結ばれる方法について、黒山と議論していたに違いなかった。
今日で葵の一件も一旦は落ち着くだろう。また明日から黒山との作戦を頑張らなければと雛は心を引き締めた。
サクライ君とやらには昨日の蛮行を撮影した動画を突き付けたらすっかり大人しくなった。
もう二度と奄美妹に近寄らない、だからあの地獄は勘弁してくれと訳のわからないことを言ってたけど一体何のことだろうね。まさかとは思うけど地獄って好きな相手から振られた慰めに見せてあげた取って置きのイリュージョンのことを指してるのかな? だとしたら喜んでもらえたようで何よりだよ。これであの
で、その翌日の昼に俺はまた校舎裏にいる。
「昨日はありがとうございました、先輩」
「別に大したことはしてないぞ」
今向かい合っている相手は奄美妹だ。
奄美妹よりちょっと付き合ってほしいとメッセージが入ったのだ。どうやって俺の連絡先を知ったのかと尋ねると「姉から聞きました」との答えを頂きました。奄美先輩……。
「今日、例の彼は一切こちらに近寄ることがありませんでした。しばらくは気楽に過ごせそうです」
「そうか。彼も自分の行いを大いに反省してるんだな」
「ただ彼の様子をちらっと見ると、何か目つきに生気が感じられなかったのですが」
「俺は心当たりないぞ?」
「昨日の今日でよく言えますね」
「昨日寝てるときに悪夢でも見たんじゃないか。それこそこの世の恐怖を全て敷き詰めたようなショーを見せられたとか」
「……先輩の言う通りショーとやらを見なくてよかったです……」
お? 奄美妹から引いてる気配を感じるぞ。
ひとまず話を戻すとするか。
「とりあえず、奄美妹が満足ならそれでいいさ」
「そして先輩、もう一つ用事があるんですが」
「今度は何だ」
「私のことは葵と呼んでください!」
強めの口調で言うもんだから面を食らってしまった。
「え、何で?」
「奄美妹って呼び名はやめてほしいんです」
「なら奄美でもいいかと」
「姉とカブるじゃないですか。下の名前の方が明確です」
何か折れる気配ないなー。そう察した俺は
「わかった。葵、これでいいか?」
奄美妹のことを葵と呼ぶことにした。
たまに奄美妹という単語が頭の中やら口に出てくるとは思うが、そのときは勘弁してもらおう。
「はい! これからもよろしくお願いしますね、黒山先輩♪」
校舎裏の薄暗さを吹き飛ばすような、明るい笑顔が葵に咲いた。
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