第008話 ダメならせめて

 ある日の放課後、葵はとある空き教室の席の一つに座っていた。

 左手で頰杖を突き右手でスマホを操作してひたすらに時間を潰した。

 葵はここで人を待っていた。

 休み時間に葵が相手へ接触し、大事な話があるからこの時間のこの場所に来てほしいと言っておいたのだ。相手は二つ返事で了承した。


 葵がふとスマホの操作の手を止めて教室の窓の方へ目をやる。

 窓より外の上部には空が広がっている。さっきまで青かったところに薄いオレンジがにじんでおり、その中心にはやや赤い太陽が見えた。といってもそこには雲が敷かれており、幕のようにを半分ばかり覆っていた。

 空の下には校庭があり、運動部の生徒達が掛け声とともに元気良く活動していた。運動部に所属したことのない葵にとってはなぜ彼らがあそこまで精力的になれるかよくわからなかった。


 スマホに視線を戻した葵はそこに映った現在の時刻をチェックする。

 そろそろ約束の時間だなと葵が思っていると空き教室の引き戸がおもむろに開かれた。

「やあ、櫻井さくらい君」

「ゴメン奄美さん、待たせちゃった?」

「いや大丈夫」

 戸を開けたのは葵と同じクラスに属する櫻井という男子だった。

 葵は椅子を引いて立ち上がったが、櫻井の方へは近寄らずその場で話を始めた。

「それで、話なんだけど」

「うん」

「もう私に構うのはやめてもらっていいかな」

「え……?」

 櫻井は言葉を失った。

「例えば休み時間に私に話し掛けるとか、私が友達と話してるときに混ざってくるとか。班行動とか授業で二人組になるみたいに必要な範囲だったらしょうがないけど、そうじゃないときはちょっと遠慮してほしいなって」

 葵は普段と至って同じ笑顔を見せ、同じ口調で話していた。話の内容だけが普段と全く違う何ら容赦のないものだけに、櫻井にとっては今の状況がとてもいびつなものに感じられた。葵が悪意のある何者かに脚本を読まされているのかとさえ思えた。

「どうしてか教えてもらっていいかな? もし君の知らない内に君の嫌がることをしてたなら改善するから」

「……すごくひどいこと言うけどいい?」

「ああ、構わないよ」

 それで自分の悪いところを知られるならと、櫻井は心の準備をした。


 葵が笑顔を解き、真剣な表情に変わった。

「自分が振った相手が何にもなかったように親しくなろうとするのが気持ち悪いから」

 櫻井の心の準備が無駄になった。

 葵の言葉に二の句が継げない櫻井を前に葵が説明を続ける。

「何も告白して振った相手に対して二度と目の前に現れないでとまでは思わないよ。学校どころかクラスまで同じになった時点で難しい話だしさ。でも、貴方のことが好きじゃないってハッキリと伝えたはずなのにそれでもまだこっちにすり寄ろうとするのは勘弁してほしい。そもそも告白する前まで大して交流もなかったのに告白した後で急に積極的に関わってくるのってどうして? 正直言って下心しか見えてこないよ」

 言いたいことを言いきったように葵が口を閉じた。

 相手がどう出るか、葵は櫻井の様子を注視した。


 櫻井が

「何だよ、それ……」

 とこぼす。

「こっちは、恋人になるのがダメならせめて友人としてでも、て思ってただけなのに……」

「そうなんだ。でもホントにゴメン、それもムリ」

「もう、仲良くできるチャンスはないってこと……?」

「……」

 何も答えない葵を見て、櫻井は全てを察した。

「そうか」

 櫻井はそう呟き、全てがどうでもいい気分になった。


 生まれて初めて感じた恋に心を焦がした。

 彼女に会えなくなるだろうから最後の賭けにと卒業のときに一世一代の告白をしてみるもはかなく散った。

 それでも彼女が同じ学校の、ましてや同じクラスの所属になったと知ったときは一種の運命を感じていた。

 友人になりたいというのも別に嘘ではなかった。

 折角また一緒になったこの機会、中学のときに行動しなかった分を取り返すためにもまずは相手と少しでも接してみようと自身を奮い立たせた。

 そして友達として徐々に仲良くなり、それでも恋仲に発展しなかったら今度こそすっぱり諦めようと思っていたのだ。

 それが全部台無しになった気がした。

 今の櫻井にとって自分の存在が世の中から全否定されたような心地がした。


 ……このまま彼女の言う通り大人しく引き下がっても彼女と仲良くなれる機会は今後永久に訪れやしない。

 ならもう落ちるところまで落ちるか。

 しくも今ここにいるのは自分と葵の二人だけ。

 自分が葵に対して少し強引な手段に出れば何か道がひらけるかもしれない。

 そういう思考に陥った櫻井は葵の方へ急に駆けだした。

「!」

 葵が驚いた表情を見せる。好きな相手だが何かいい気味に思えた。

 葵まで後一歩という距離まで肉薄したところで、

「おー、面白いが撮れた撮れた」

 恐ろしいまでに吞気のんきな声が教室の中のあらぬ方向から発せられた。

「はあ、こっちは少しも面白くないですよ」

 その呑気な声に応じるように、葵の緊張感のない声が響いた。

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