第17話 ダンジョン

 ダンジョンに行くまでの道中。

 毛並みの綺麗な白猫が通りかかった。


「ごめん。俺、用事を思い出したわ」

 とチェルシーが言った。

 彼の尻尾がピンと立っていた。


「お前に思い出すような用事はねぇーだろう」

 と俺が言う。


「部屋の鍵を閉め忘れて来たわ」

 とチェルシー。


「部屋なんて立派なモノを俺達は持ってねぇーよ」

 と俺が言う。


「そこでおばあさんが倒れているんだ。助けてあげなきゃ。お前達は先に行っててくれ」

 とチェルシー。


「それだったら一緒に行くよ」と俺が言う。


「可愛い猫のケツを追いかけに行くんだよ。ダンジョンはお前達2人で行けよ。俺が行っても戦力外だろう」

 とチェルシーがキレ始めた。


「さようか」と俺が言う。

 それだったら始めから、そう言えよ。


「じゃあな」

 とチェルシーは言って、慌てて白猫に向かって駆け出した。


「新妻さんには気をつけろよ」

 と走り去るチェルシーに俺が言う。


 猫は返事をしなかった。


「それと、どこで待ち合わせをするんだよ?」


 白猫のケツを追いかけるのに必死すぎて、チェルシーは振り向きもしない。

 アイツの事だからダンジョンを出たらヒョッコリ現れるんだろう。


「仕方がねぇー奴だな」

 と俺は呟いた。


「ヤりたくて仕方がないんですね」

 とミロが言った。

 彼女の目もギラギラしている。


「一旦、街に戻ってランプを買おう」と俺は言った。

 チェルシーが暗闇でも照らしてくれるので、俺はランプも持っていなかった。

 さっき武器を売ったお金でランプぐらいは買えるだろう。



 ランプを買いに街まで戻り、道行く人にダンジョンの場所を聞きながら、ようやくダンジョンに辿り着いた。

 ダンジョンとは地下迷宮や洞窟を指す言葉である。元々は城や要塞の地下に設けられた牢獄を指す言葉だった。

 だからダンジョンという言葉の中には暗くて危険な場所という意味が含まれていた。



 ダンジョンの入り口は崩れないように石で作られていた。

 道行く人にダンジョンの場所を聞いているうちに、このダンジョンの詳細がわかってきた。100年前ほどに魔法石を取るために人工的に作られた洞窟だったらしい。いつしか魔物が発生するようになり、人が出入りしなくなった。

 そして洞窟の奥に抜けない剣が発見された。それは誰かがそこに刺したモノなのか、それとも発掘されたモノなのかは不明である。

 いつしか聖なる剣と呼ばれるようになり、勇者のための剣と言われるようになった。勇者なら剣を抜けるというのは噂レベルの話なのだ。

 その剣を手にいれるために、数々の冒険者がダンジョンに入るようになった。

 現在では、その剣がすでに抜かれているという噂もある。


 ミロを調教するのが目的だった。

 剣があれば俺も強化できる。

 もし剣が無くても、ミロの調教にはなるだろう。


 ランプを付けてダンジョンに入って行く。

 湿気で体に粘り着く嫌悪感があった。

 こんな危険な場所に入り、ちゃんと戻って来れるのだろうか?

 ハズレでも俺は勇者である。俺の回復スキルは、世界最強だった。今の俺のスキルならトマトを地面に落としたようにエグれても元に戻す事ができた。

 だから生きては帰れる、と信じていた。



 暗闇の中。

 ランプの明かり。

 地面にはトロッコの線路。

 少し先は何も見えない漆黒の闇だった。

 闇の中からナニカが出てい来そうで、俺は片手にランプを握り、片手に剣の柄に触れていた。


 ミロは俺に寄り添っていた。ランプを持つ腕に、彼女の腕が絡んで来る。

 もう一方の手には、太い杖を握っていた。


「思っていたより怖いですね」

 と彼女が呟いた。


「そうだな」と俺は頷く。


 彼女の記憶の事を俺は考えていた。

 もしかしたら記憶を取り戻せば魔法を使えるようになるかもしれない。

 チェルシーに頼めば簡単に過去の映像を見せることができる。だけど彼女の過去を俺は見せなかった。

 記憶に蓋をしている、と猫は言ったのだ。自ら思い出したくなくて忘れているんだろう。壊れてしまうから過去を覚え出さないようにしているんだろう。


 だから未来に目を向けようと思った。

「ミロは」と俺は言った。

 ダンジョンの中では、俺の声は浴室のように響いた。

「将来、どういった人になりたい?」


「……エッチ、しまくりたいです」

 とミロがモジモジしながら言う。


「そういう事じゃなくて、なんて言うんだろう? 社会的にどんな人になりたいの?」


「社会的に? ……わかりません」


「……」


 目の前の闇が濃くなったような気がする。

 肌寒い。


「……私」

 とミロが呟いた。

「大切なモノを失ったような気がするんです」


「大切なモノ?」

 と俺が尋ねた。


「それが何なのかはわかりません。でも、すごくすごく大切なモノ」

 と彼女が言う。


 未来に目を向けようとしても、やっぱり過去が追いかけて来る。


 うん、と俺は頷いた。


「それを取り戻したいのか、……取り戻せない事がわかっているから何もしたくないのか、……わからないんです」


 彼女の大切なモノ。

 ミロと冒険していた勇者。その首が切られた映像を思い出す。

 彼女の大切なモノは2度と取り戻す事が出来ないモノだった。


 次は強くなって失わないようにしたらいいんだよ、と口にしそうになって言葉を飲み込んだ。

 次に大切なモノ、ってなんだよ。

 強くなってほしいのは俺の都合だった。

 彼女は忘れたい。自分の強さすらも忘れるぐらいに何もかも忘れたいのだ。

 失ったモノは元には戻らない。

 だから彼女は記憶に蓋をして、過去を忘れようとしている。


 何を言っても陳腐になってしまう。

 言葉を探しても見つからない。

 ザクザク、と歩く2人の足音だけが聞こえた。



 俺は2人の子どもの笑顔を思い出していた。

 もう2度と会えない。そんな事を考えただけで俺は生きてはいけない。


「……大切なモノを失ったら……息の仕方も忘れてしまう」

 と俺は言った。

 今の俺は大切なモノを失いそうになっていた。

「わからなくていいんだよ。わかるわけがないんだよ」


 パパ、と娘の声が脳内で再生された。

 パパ、と息子の声が脳内で再生された。


 勝手に異世界に召喚されて、弱いから処刑宣告された勇者。

 大切なモノを日本に置いて来てしまった。


「……きっと誰も、私の気持ちはわからないと思います。私すらも、私の気持ちはわからないんだから」

 と彼女が言って、笑った。


 うん、と俺は頷く。


「俺の都合で、……君には強くなってほしい。でもミロが強くなりたくないのなら、……そのままでいいんだ」

 と俺は言った。

 

 彼女が強さを取り戻せない理由を俺は知っている。

 だけど彼女の気持ちはわからない。

 俺にできるのは、彼女の気持ちに寄り添うぐらいだった。

 訓練する側として正解かどうかはわからない。俺がミロの気持ちに寄り添いたい、と思った。


 

 暗闇の中で粗い呼吸が聞こえた。

 それは人間を何匹も殺した事があるような、……荒々しい呼吸だった。

 暗闇の中に隠れて、ソイツはコチラを見ている。

 俺達は立ち止まった。

 そして鞘から剣を抜いた。

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