第9話 ご褒美の、おティンポコ

 落下。

 心臓が口から飛び出ないように口を閉じた。

 耳の中にゴボゴボと強烈な風が入ってくる。

 夢なら目覚めて、ビクってなってしまう体験である。

 

 ミロとチェルシーが俺の胸に顔を埋め、恐怖から目を逸らしていた。

 トマトが落ちてぐちゃぐちゃになった映像が浮かぶ。


 俺は地上を見た。

 小さかった木々が、凄いスピードで大きくなっていく。

 

 2人に回復魔法をかけた。


 俺達が木々の中に突っ込む。

 体重を支えられなかった枝がバリバリと音をたてて折れていく。

 枝は皮膚に刺さり、俺達に傷を作った。

 2人の傷は回復魔法をかけているので、傷つく前に治っていく。


 枝を破壊しても落下のスピードは落ちない。

 地面が近くまでやって来た。

 体の魔力を全て注ぐように、2人に回復魔法をかけ続けた。


 グチャ。



 一瞬だけ、肉まんを踏みつけたように俺達の体はエグれた。

 2人の体は回復魔法で元に戻り、俺はオートヒールで元の姿に戻った。

 

 でも一瞬だけエグれてしまった。

 俺は生きている。

 木々の間から青空が見えた。雲がゆっくりと動いている。


「いい空の旅だったよ、まったく」

 とチェルシーがキレながら立ち上がった。

 俺は黒い猫を見た。


 俺は手を伸ばし、チェルシーの頭を撫でた。


「ガキじゃねぇーんだから、頭を撫でるんじゃねぇ」とチェルシーがキレている。


「この血、俺達の血か? それともミロの生理か?」

 とチェルシーが辺りを見渡して言った。


 俺達の周りには水たまりのような血が広がっていた。


「たぶんミロの生理だ」

 と俺は冗談を言う。


「俺の生理かもしれねぇ」


「お前、雄猫だろう。それは生理じゃなくて、痔だ」

 と俺が言う。


 ケラケラケラ、とチェルシーが笑う。

 俺もケラケラ、と笑った。



「ミロは?」

 と俺は尋ねた。

 俺のお腹の上で、ミロは倒れていた。


 上半身だけ起こし、ミロの頬を抓った。

 芸術作品のように美しい顔立ちが、少しだけ崩れた。


「ミロ」と俺は言って、彼女を揺らす。


「死んだのか?」

 とチェルシーが尋ねた。


 俺は彼女の脈を確認した。

 ドクンドクン、と首の中を小さなモグラが動いているみたいに脈は動いていた。


「生きている」

 と俺が言う。


「気絶してるのか?」

 とチェルシー。


「たぶん」

 と俺は言って起き上がり、彼女をお姫様抱っこした。手足の分だけ昨日よりも重い。


「とりあえずココから離れよう」

 と俺が言う。


 新妻さんから、どれだけ距離が取れたのかは不明である。早く移動したい。


「あのオッサン、しつけぇーからな」とチェルシー。「包茎のくせに」


「包茎は関係ねぇーだろう」

 と俺は歩きながら言う。


「お前も包茎だっけ?」


「包茎じゃねぇーよ。もし包茎だとしても、棘があるよりマシだよ」


「ちげぇーねぇ」

 とチェルシー。


「皿もフライパンも、色んなモノを置いてきちまったな」と猫がポツリと呟いた。


「また買おう」

 と俺は言った。


 だいぶ歩いた。

 お姫様抱っこしているミロは死んだように起きなかった。たまに息をしているのか確認するために、彼女の口元に耳を当てた。

 隙間風のような優しい風が口から出ていた。


「なに女の子の口臭を嗅いでんだよ」

 とチェルシー。


「嗅いでねぇーよ。ちゃんと息してるか確認してるだけだよ」


「ヘドロみたいな匂いか?」


「無臭」と俺が言う。


「えっ、俺と一緒じゃん」とチェルシー。


「チェルシーの息は臭ぇーよ。チェルシーには歯磨きって概念が無いだろう」


「俺、臭いのか?」

 とチェルシーが潤んだ瞳で俺を見る。


「臭い」

 と俺は頷く。


「嘘だろう。そんな事、言われた事ねぇーよ。犬じゃあるまいし」

 と猫が言う。


「猫も相当なもんだぞ」


「それじゃあ猫の嫌なところを言ってみろ」


「たまに口から毛玉出すし、自分のティンポコをペロペロ舐める」


「口から毛玉を出すぐらい可愛いもんだろう。お前だって、たまにティンポコを握りしめてシコシコやってるじゃねぇーか」


「自分のティンポコを俺は舐めてねぇ」


「この手でどうやって握れ、って言うんだよ」

 とチェルシーが肉球を俺に見せる。


「あとティンポコに棘がある」

 と俺は追加攻撃をする。


「黙れ包茎」とチェルシーが叫ぶ。


 

 水に墨汁を溢したような空の色になった頃には、寝床を見つけた。

 滝の裏側に洞穴を見つけたのだ。

 チェルシーは洞穴を見つけるのが得意だった。


 洞穴にミロを寝かせて水で服を洗い、岩の上で乾かす。薄暗い闇の中、チェルシーの目玉ライトを頼りに、岩の下に隠れている小さなカニを10匹ほど捕まえ、ブルブル震えながら焚き火をしてカニを焼き、食べた。ミロの分もカニは残していたけど、彼女は起きなかった。


 

 俺は肌寒いのに、いつの間にか眠っていたらしい。服は焚き火の近くで乾かしていた。

 だからパンツしか履いていなかった。

 焚き火はいつの間にか消え、ブラックホールに飲み込まれたような暗闇の中。

 俺は体が重たくて起きた。


 体が動かない。

 下半身に何かが絡んでいて、金縛りにあったみたいだった。


 お化けかナニカ。

 あるいは異世界の魔物かナニカ。

 未知の生物に襲われている。

 動きたいのに動けない。

 叫びたいのに、声が出なかった。


 上半身だけ動かす事ができた。

 俺は慌てて、チェルシーを手探りで探した。

 そしてモコモコの手触りを感じると、抱きしめるように、手繰り寄せた。


「寝てるのに、なんだよ?」

 と不機嫌そうにチェルシーが言った。


「俺の下半身にナニカがいる」

 俺の声は震えていた。


 チェルシーが目玉ライトで明かりを付けた。


 そこにいたのは、俺の下半身に顔を埋めているミロだった。


 誰もが振り向く絶世の美女が、ヨダレを垂らして「へ、へ、へ」と股間に顔を埋めて笑っていた。


「ご褒美の、おティンポコ、ください」

 とミロが言った。


「仕方がねぇ」

 とチェルシーが言って、俺の腕からスルリと抜け出す。

「魔法使えたもんな。ご褒美のティンポコやろう」と猫が勝手な事を言い出す。

「人間の交尾なんて見たくねぇーから、俺は野良猫でも探して来るわ」

 とチェルシーが洞穴から出て行く。


「ご褒美の、おティンポコ」

 と名画に描かれるような美しい美女が、ヨダレを垂らして俺の下半身に顔を埋めた。

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