第4話


レムスはにっこり笑った。



「そういう事なら私が一肌脱いであげましょう、エマ」


「え?」


「私があなたの気鬱を取り除いてあげますよ」



レムスは松明を地面に突き刺した。


火のついた方を下にして。


灯りが消えた。


が、辺りは月明かりで照らされている。


いつの間にか雲が晴れたらしい。



「何しているの?どういう事?」



私の問いにレムスは答える事なく、私の肩に手を置いた。



「何も憂う事のない世界に連れて行ってあげましょう。簡単です。さぁ、目を閉じて」



レムスの顔がゆっくりと近づいてくる。


私は目を閉じた。


この男に抱かれるならそれもいい、と思った。


見ず知らずの男に身を任せ、それで彼を忘れられるのなら本望だ。


ふとヴォルフの言葉が蘇る。



「………もしお主が恐怖に囚われそうになった時、決して走ってはいかん。そして……………」



“そして闇に助けを求めよ”


“森は、闇も、お主の敵ではないのだ”



そう。


ヴォルフはそう言ったんだった。


多分私は心の内で闇に助けを求め、闇がレムスを私の前に連れてきてくれたんだろう。


だったら、彼は敵ではない。


それでいい。


私はレムスの口付けを待った。


と。



「エマっ!」


「ぎゃっ!!」



離れた場所から私を呼ぶ声がしたと思ったら、耳元で獣の叫びが聞こえた。


私は驚いて目を開けた。


目の前にはレムスが腹を押さえて蹲っていた。


ぃや、レムスの持つリュートがその背にあったから、それがレムスだと思っただけだ。


尖った耳。


長く突き出た鼻。


耳まで裂けた口。


そこから覗く鋭い牙。


顔中は短い毛に覆われている。



「………あなた……ぉ…狼男?」



私はよろよろと下がった。


恐ろしかった。


この辺りに狼男がいるなんて聞いた事はなかった。


狼男は唸りながら私を見た。


私は震えながら杖を構えようとした。


が、狼男の手が杖を払い落した。


恐怖で拾い上げる事は出来なかった。



「そこで待ってろ。お前は後だ」



呻くように言うと、狼男は何処かを見た。


私はそちらに目を向けた。



「ロン………」



視線の先にはロンがいた。


ロンは矢を番えた弓を構えていた。



「エマから離れろ!そうしなければ次は頭を狙う!」



狼男は唸った。


改めて狼男を見ると、その腹に矢が刺さっていた。


ロンは狩りを生業としている。


その腕はいい、と思う。


かなり密着していたはずの私にではなく、狼男に矢は当たったのだから。


狼男は腹に刺さった矢を抜いて、捨てた。


ロンは狼男から目を離さず、じりじりとこっちに近づいた。



「エマ、こっちに来て。早く!」



私はロンの怒鳴り声に突き動かされるように、1歩足を進めた。



「エマ………死にたくは………なかったのか…」



狼男は私にしか届かない程の小さな声で呟いた。


私は足を止めた。



「……死にたいと………言っただろう………」


「言ったわ。でも……でも彼が助けに来てくれたから」



だから行く。


私は杖を拾い上げた。


杖を振って狼男の足元に小さな薬瓶を出した。



「それ、キズ薬。私が作った物よ。結構効くと思うわ」



狼男はくくっと喉を鳴らした。



「変わったお譲さんだ。殺されかけたのに………」


「私が望んだから、でしょう?」


「エマっ!早くっ!!」



私はロンの方に向かって歩き出す。



「話を聞いてくれてありがとう、レムス」


「ぃや、こちらこそ。短い時間でしたが楽しかったですよ。エマ」



私の後ろでがさりと森が揺れた。


ロンの構えた矢が獲物を探すようにうろうろと動いた。


私はロンの元に走った。



「ロン、ありがとう。探しに来てくれたのね?」



ロンは弓矢を下ろすと、険しい顔のまま私を見た。



「一体どういうつもりなんだ?夜になっても家に帰って来ないで、心配して探しに来たら僕の知らない男と楽しそうに話してて………」


「あれは……」


「君は男と森の中をデートしてたんだぞ?しかも相手は狼男!」



私が言い訳しようとしてもそれを遮るようにロンは話した。



「僕が来なかったら君は殺されてたんだ!僕がどれだけ驚いたのか分かる?」


「ぁ、え、えぇ」



私は急いで相槌を打った。


が、ロンは頭を振る。



「いいや!分かる訳がない!!君が男と一緒にいて、そいつと多分キスしようとして……そしたらヤツの顔が狼になって、口を開いて、君の首筋に噛み付こうとしたんだぞ!」



ロンはイライラした口調で続ける。



「僕があいつの腹に矢を当てなかったら………そしたら君は殺されてたんだ!君はっ!君は死んでしまう所だったんだっ!もし君が………君がいなくなったら僕はどうすればいいんだ?!」


「え?」


「君がいなくなったら…僕は……僕は………」



ロンはそこで言葉を切った。


何かを決断するように手を振り、言い難い言葉を絞り出そうとした。


私は次の言葉を待った。


が、ロンは頭を緩く振ると謝った。



「ごめん……ちょっと興奮してしまった………怒鳴るつもりはなかったんだ……ごめん」



“時を遡り、掛け違えたボタンを戻す事は出来ない”



………これがこの人の答え。


だったら私も答えなければ。


私は死ぬ事よりもロンの傍で生きる事を選んだ。


それが答えだ。

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