第2話


気付いたら、水がお日様の光を反射しなくなっていた。


見上げると、夕闇が空を覆っていた。


辺りは森の奥から滲み出てくる闇に覆われようとしてる。


私は随分遠くまで歩いていた事を知った。


遅くまで探していた事も。


吉羅草は見付からなかった。


明日の授業内容を変える事にしよう。


明日まで私が無事でいられたら、の話だけど。


私はポケットから杖を出し、握った。


近くに落ちていた木切れに杖を付け、呪文を唱える。


木切れはその先に火を灯し、松明となった。


ゆっくりと踵を返し、来た道を戻る。


今夜は満月のはず。


だが今は月の光も雲に遮られているのだろう。


辺りには闇。


その中で何かの気配が蠢いている。


木々は枝を揺らし、草は葉をなびかせる。


ざわざわ、さわさわ、と、風とも、話し声とも取れる音が辺りに満ちる。


私はともすれば駆け出しそうになる足を必死に抑え、歩き続けた。



“恐怖は己が心の中から湧き出てくる”



我が師、ルヴォルフの言葉が蘇る。



「良いか、エマ。悪しき物どもは、お主の心に宿る恐怖に誘われ、森から彷徨い出てくるのじゃ。闇に臆し、恐怖に囚われた瞬間、悪しき物はお主に襲いかかる。もしお主が恐怖に囚われそうになった時、決して走ってはいかん。そして……………」



あぁ、その先はなんだったかしら?


あの時は自分がそんな場面に出くわす事などない、と思っていた。


言いつけを破った事などない私が、夜になるまで村に帰らない何て事があるはずがない、と思っていた。


確かに子どもの頃はそうだっただろう。


でも今は………


こんな大人になって、我が師の言葉を必要とする日が来るなんて、思ってもなかった!


私は、走らぬように、と自分に言い聞かせながら歩いた。


後ろからざわざわと何かが近づいている気がする。


闇が手を伸ばし、もう少しで私の髪を引っ張る気がする。


あぁ、どうしよう。


小さい頃の私、どうしてルヴォルフの話をきちんと聞いていなかったの??


誰か助けてくれないかしら??


もう限界だ、と走り出そうとした瞬間、がさり、と目の前の茂みから何かが出てきた。


私は杖を握りしめ、何かに向かって突き出した。


良く叫びださなかった、と自分で自分を褒めながら。



「ぉや、こんな森の奥で人に会うとは珍しい」



何かは男の人のようだった。



「しかも女性とは………美しいお譲さん、このような場所で何を?」



男は少しずつ私に近寄り、松明の灯りの中に入った。


私は黙ったまま、松明を高く掲げ、男を眺めた。


見目いい男だった。


背は高く、色は分からないが、その長い髪は後ろで括られているようだった。


背中から何か棒のようなものが出ている。



「あぁ、怪しい者ではありません。まぁ、自分から怪しい者です、と名乗る者もいないでしょうが………」



男はにっこりと笑った。



「私の名前はレムス。見ての通り、旅の吟遊詩人です」



見ても分からなかった。


私の戸惑いに気付いたのか、男は背中の棒に手を伸ばした。


それを前に持ってくる。



「ほら、リュートです。これを奏でて歌うんです。人々の前で………お譲さんは魔法使いでいらっしゃるんですね。お会い出来て光栄です」



男は私の前に跪いた。


それから私の手を取ろうとして、止めた。


私の左手は松明を持ち、右手の杖はまだ男に向けられていた。



「まぁ、このくらいで信用して頂けない事は分かっていますが、こうも警戒されると少々落ち込みますね」



男は苦笑いを浮かべながら立ち上がった。



「これでも“いい人”を自負しているんですが。場所が場所だけにそうもいかないでしょうね」



その様子に、私は杖をほんの少し下げた。


男は嬉しそうな顔をした。


が、まだ信用するには早い。



「旅の人、なぜこの様な場所に?」


「ぁあ、本当はもっと早く森を抜けるはずだったんですが、予想以上に大きい森で………」



そう言って肩を竦めた。



「少し前にその灯りを見つけました。森の中で灯りを見つけたら、それは勿論、疑ってしかるべきなんでしょうけど、あなたがそう悪い物には見えなかったので、賭けに出ました」



男は松明に目をやって、それから私に目を戻した。



「私を見ていたの?」


「えぇ。気を悪くされたのなら謝りますが……夜の森を松明の小さな灯りだけで歩く女なんて、ねぇ」



ねぇ、と同意を求められて、何となく笑ってしまう。



「鬼女にでも見えたって事?」


「ぃえ、そう見えなかったから出てきたんですよ」



この男は信用していいかもしれない。


灯り中、男の向こうに影がある事は確認した。


吸血鬼ではない。


これほど会話できる人型のモンスターが他にいると、この辺りで聞いた事もない。


私は杖を下ろした。



「旅の人、森を抜けるなら私と一緒に来たらいいわ」


「これはありがたい。私の事はレムスと呼んで下さい。どのくらい歩けば森を抜けられますか?」


「さぁ、分からないの。私もこんなに深くまで入ったのは初めてで。でも、川に沿って歩けば、じき森は終わるわ」



レムスは私の手から松明を取り、隣を歩き出した。


そう行かないうちに、森のざわめきや闇の気配が無くなっている事に気付く。


人と共にいる、と思うだけでこんなにも違うものなのか。



“恐怖は己が心の中から湧き出てくる”



ルヴォルフ、あなたの言葉はいつも真実を教えてくれるわ。


私は亡き師、ルヴォルフを偲んだ。

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