灰
灰は灰に塵は塵にザカリーはカトリックだから、僕は家から二キロの距離にある教会の神父さんを葬儀に呼んで、そうして神父さんはザカリーのために聖書を読んだり説教をしたりしてくれた。ザカリーのためにというか、ザカリーと、それから僕たちのために。説教の内容はよくおぼえていない──カトリックの葬儀に参加した経験はなかったので、貴重な機会だと思ってまじめに耳を傾けていたのだが、どうしてだかよく思い出せない。さしもの僕もザカリーがいないのでまいっていたのかもしれない。頭がぼんやりとしていて、ひっきりなしにどうでもいいこと、すごくどうでもいいことが……戸棚に入れてあるパスタの消費期限が切れてるってこととか、僕がよく鍵を忘れて外出するからいつだったかザカリーが玄関の鉢植えの下に置いといてくれた鍵、あれ仕舞わないとなとか、こないだ鉢植えのサボテンのとげが刺さって痛かったとか、どうでもいいことばかりがいつにもましてふわふわと浮かんで取り留めがない。やっぱり思い出せない。神父さん、僕よりすこし年若いのか、そんなような外見の、みじかい灰色の髪の人。こまかい内容はわからないけど、きっとザカリーと神さまとのあいだをとりもつようなことを言ってくれたんだと思う。僕のうえに神はいない。でもザカリーのうえにはずっと神さまがいたんだろう。ザカリーは僕に、じぶんにまつわるもの、ほとんどなんでも見せてくれたけど、こればっかりは僕には見られなかった。かれはいわゆる真面目なキリスト教徒じゃなかったんだろうけど、それでもかれのうえには神さまがいた、僕と出会うずっと前から、かれがほんの子どものときから。かれがひとりぼっちのときもずっと。…最後にはちゃんと、神さまに会えただろうか。
神のみぞ知る、なんつって。
僕がかけているウォルナットのひろいダイニングテーブルの上にはガラス製の遺灰壺がある。つやつやとした透明のガラスが天井からの暖色のあかりを浴びてぬるりと光っている。なんとなくザカリーの席の側に置いてある。僕が台所側で、ザカリーが壁側に座っていた、これといって深い意味もなく。テーブルのむかいがわ、空席のほうへ手を伸ばして遺灰壺をつかみこちらへ引き摺った。僕の側に置いていた、ほかほかのホットミルクの入ったマグカップの隣に並べておく。のぞきこむ。やあザカリー。きみはもうここにはいないけど、ザカリーの意識をつないでいた組織、肉や骨などの、ちりちりに焼かれて乾いてほろほろに砕けたやつが、こんなちっぽけなガラスの壺におとなしく入っているよ。ていうか、遺灰壺ってマジでダイレクトに灰が入ってんだな、笑っちゃう。しかもガラスだから丸見えだし。ふつうに塩とか砂糖と間違えそう。いれものをえらぶとき、ザカリーは生前恥ずかしがりやなひとだったのだし外から見えないよう陶器の壺とかにしてあげようかしら、など、僕らしからぬ思考もすこしははたらいたのだけれど、結局、死んだ人よりも生きている僕の気持ちを優先しようと思ったのだった。僕は灰を見ていたかった。ザカリーの一部だったもの。
……まあ、そんなふうに言うとセンチメンタルなかんじするけども、見ててもただの動かない灰だしおもしろいことはない。火葬してまだ七日なのにもう飽きてるようじゃ大変だ。これからずっとこの灰と過ごすのに。あくびが出て、そうして涙も出た。だいぶ疲れていた。死期の近いザカリーを家に連れて帰ってからは僕は、できるだけ毎日家にいて、ザカリーのベッドの横で仕事とかをして、いろんなものをザカリーに見せた。VRで海や山に連れてったこともあるし、朝散歩したときに落ちてた水色の小石とか、蝉のぬけがらとか、鳩の羽根とか、あとネットに転がってる犬とか羊とか牛とかやさしい動物の映像、そういうザカリーの好きなものを見せていたら、いつもみたいにおまえの好きな話もしてくれっていうから、およそザカリーが興味なさそうな話もいろいろした。言語学の話とか。ウミウシの話とか。そうするとザカリーはにこにこして僕の話を聴いてくれるけど、だんだんまぶたが下がってきて口が開いてしまいには寝てしまう。僕の話を眠剤代わりにしてないかこいつおいおいおい失礼だぞ、と思いながらも、そんなことはほんとうはどうだってよくて、僕は静かに寝入ったザカリーがそのままあっさり死んでゆくんじゃないかといつもどこか不安で、もし心拍数やその他もろもろに異変があればデバイスが教えてくれるとはわかっているのに、何度もラップトップの画面から目を離しベッドを振り返ってはザカリーにへばりついて寝息をきいた。息は温かかった。ザカリーはずいぶんがんばって長いこと生きていた。けれど十二日前死んだ。それからは僕ひとりで大わらわだ。(これは幸いにしてと言っていいのか微妙なところだがザカリーには葬儀に呼ばなきゃならないほど親密な友人があんまりいなかったので、)各所への連絡は比較的早く済んだものの、教会の手配とか死亡届提出とか、僕はこういう事務手続きがきらいなので苦労した。だいたいこないだザカリーが死んだばっかなのに、なんでもうザカリーを灰にするまでの手続きを僕がこんなにがんばらなきゃいけないんだよって何度も思った。
でも、ザカリーを灰にしなきゃいけない。
ザカリーを灰にしなきゃいけなかった。あんなにザカリーが呪っていたザカリーの肉体を灰にしなきゃいけなかった。ほんとうは僕は、ザカリーがなまみのまま変色して腐ってどろどろになって流れてゆく過程に興味があったけど、それは危険な欲望だとわかっていた。いずれ身を滅ぼす。そのときは愛おしく静謐な気持ちで、九相図みたいにすこしずつ腐ってゆく伴侶の肉体を見ていられたとしても、やがて月日が経ったのちその光景が僕を蝕み、いつか食事中、煮込まれたブロッコリーの繊維にザカリーの死んだ二の腕など思い出して、胃の内容物をなにもかも吐いてしまう日が来るだろう、そんなふうに僕は想像し、葛藤のすえ誘惑に背を向けて業者を呼び、ザカリーの遺体を家から出してもらい、適切に処理し、最後には灰にしてもらった。…かつて、十歳の僕も同じように、しかしザカリーを看取ったときの僕よりもさらに躊躇いなく、選択した。いつまでも母さんたちの亡骸にすがっていたかったけれど、そうすれば自分はかれらの流れる血乾いた眼球腐り落ちる肉涌く蛆を見届けねばならず、その経験は必ず僕の人生のさまたげになるだろうと半日も経たずに判断して、ろくに直視もせず生家を出たのだった。歳月を経て僕の判断力がおとろえたことに、驚きはない。だって六十七年も生きていて、ザカリーとは五十七年いっしょにいて、とても彼のことが好きだったのだ。とはいえ僕は、愛だけを抱きしめて死肉臭い部屋の中で狂乱する生活を選べるほど情熱的な人間ではなかったので、代わりに、今後もとどこおりなく日常を続行していくための合理的で冷静で計画的な、選択をとった。その選択の結果が、このガラス壺にはいった退屈なちっぽけないくばくかの灰。
…灰はある。テーブルのむかいがわにいつも潰れたみたいな猫背で座っていたザカリーはいない。おおきくて骨ばった、いちわのムクドリみたいな手でフォークを握っていた人はもういなくて、いまは見ていてもほんとうにこれといっておもしろみのない灰しか残っていない。退屈だ。やっぱり思い切ってザカリーの死体が腐るのを観察するルートに踏み切っていればよかったともと思うが、いやでも、うん、死体遺棄罪で逮捕されて教職を手放すことになるのも嫌だから、これでよかったんだ、そのはずだ。ザカリーが退院して自宅療養になってから、僕はできるだけかれのために時間を取りたくて、教壇に立つことを断っていたけれど、来学期からはまた授業を持てたらいいなと思う。若い学生の話を聴くのはたのしいし…こうやってなにをするでもなくひとりで記憶の煮凝りみたいな空気を吸って吐いているとさすがの僕でも気がめいりそうだ。
いまどきはメンタルヘルスへの配慮がずいぶんしっかりしていて、ザカリーが死んだあと、役所の人は煩雑な事務手続きで疲れ果てた僕に、カウンセリングやその他もろもろのケアをまとめて紹介する冊子を渡してくれて(フィジカルとヴァーチャルの両方の方法で)、その冊子はリビングルームの小さな棚の上に置いてあるけれど、いまのところはあまり開く気にもならなかった。定期的に来るAIカウンセラーからのメッセージも、適当に流していた。伴侶の死にそれほどおおきなショックは受けていなかった、もう何年もその日を想像して、綿密に心の準備をしてきていたから。それにひとりきりでかかえこまなければならないってわけでもない。さいわい僕はザカリーとちがって友達いるし、ザカリーが死んだと知らせたらみんな心配してくれて、折に触れてメッセージを送ったり電話をかけたりしてくれる。親切なひとたちでうれしい。僕がさみしがりなことを知っているから、それにザカリーが美しかったこともおぼえているから、こまめにコンタクトを取ってくれるのだ。だから僕はこの年齢で伴侶を失った人間としては幸運に恵まれているほうで、さしたる不満もないのだけれど、やっぱりザカリーが灰になってしまって退屈で、というか灰すらも正確にはザカリーではなく、この世のどこにもザカリーがいないことになってしまったので、とてもとても、底抜けに寂しかった。
やあザカリー。きみはもういないね。
ザカリーが死んでから五日後の夜のことを僕はおそろしい体験としておぼえている。
ザカリーが午前十時ごろ窓からほのかに射す陽の光のなかで死んだその日の夜は、忙しすぎて記憶がないし、次の日は友人が泊めてくれたし、三日目も四日目もほとんど寝ずにカフェインで夜を潰していたのだが、葬儀の手配だの諸々がある程度済んだ五日目、僕は夜十二時ごろ、ひとりで眠ろうとした。寝室のドアを開けると、しらじらとひろがる空間に、ただただばかでかいベッドが置かれており、僕は息が止まってしまったのだった。その瞬間の、冷たい巨きな流れが僕の体内を駆け抜け細胞を破壊していく感覚。ああおおきい、このベッドは。ザカリーが寝っ転がっているといちばんおおきいサイズのベッドですら大しておおきくは見えなかったので僕はその程度でキングサイズなどと名乗らないでほしい(ついでに君主の称号をあまり気軽に脱政治化するのもどうなのか)などといつもぼやいていたんだけど、ザカリーがいなくなってから見たらいやふつうにでかいなこのベッド、と思って、なにかの夢から醒めたような気がした。ひどい心地だった。ここでひとりきりで眠るのははじめてじゃない、かれが入院していたあいだだって僕はこのベッドに一人で寝ていたのだけど、でもザカリーがまたこの家に帰ってくると知っていたから、やはりキングというには慎ましいサイズのベッドだと思っていたのだ、そのときは。でもザカリーが二度と戻ってこない世界では、ベッドはばかげた大きさにしか見えなかった。いや、ふつうに、でかいだろ。大王。池か? こんなベッドに僕ひとりいたってなんになるのだ、でんぐり返しやなんかをして遊べるとはしゃいでいたむかしの自分を思い出す、でもこの年齢になってはもうそんなマット運動とてもできやしない。してもいいけど、そんなふうにふざけた挙句ぎっくり腰でも起こしたら、呆れながらも助けてくれる同居人はもうここにはいない。であれば、いったいなんのために、こんな、こんなにも広いベッドを、僕は? ひとりで?
僕はおそるおそる、そのあまりの広さと冷たさに怯え、そしてその怯えに耐え忍ぶように、そっと息をつめてベッドに横たわった。ふるえる手で毛布をかぶって、その重みにまた息を殺した。広すぎるベッドのシーツから、青い悲しみが夜の更けるごとに背骨にしみとおってきて、僕は祈る人のように服従してこうべを垂れた。ひるまには流れることのなかった涙が冷たいベッドに浸みていった。寝具からは依然ザカリーのにおいがした。一か月かそこらのうちに処分すべきだなと考えながらも、とりあえず今はまだ、とそのまま置いてあるザカリーの枕に、僕は顔をうずめる勇気などとても出ず、壁のほうを向いて身を丸めていた。壁を向いていても、たっぷりとした濃密な不在の気配が、僕の背中の側から、波のように青く重なり打ち寄せては寝室を満たした。耐えきれず、すすり泣いて、シーツを皺くちゃにし、友人にその旨伝える愚痴みたいなメッセージをいくつか送った。ひるまは平気で淡々としゃかしゃかと生活していても、そんなふうに、夜になるとどうにもだめになってしまうのだった。
だからいまは一時的に寝室ではなくリビングルームのソファで寝ている、ふわふわした薄緑色のソファカバーが好き。とはいっても、それはそれで、むかし白いソファカバー使ってた頃にザカリーがコーヒーぶちまけてしょげかえっていた…などと思い出しても何にもならなさそうな記憶がまつわりつき、どうしようもないことには変わりないんだけど。それでもさいわいなことに、いまのところぎりぎり、不眠とか抑鬱とか、アルコール依存とか、伴侶との死別後にありがちな症状は呈さずに済んでいた、から、メンタルヘルスの相談窓口を探し求めることもなかったわけだ。
ひとりでいると色々なことを思い出す。もともと頭が多動だ。
やることがあるから遺灰壺を出してきてテーブルに座っているんだけど、あれこれと音は鳴りやまず、繋がらない言葉がやみくもに絡まって流れ出てきて、いったんそれを流れるままにしておきたいから、「やること」を行動に移す前に時間を取っている。そうそう、ペンギン。ペンギンが飼いたい。二羽飼ってペンとグィンという名前にしたい。でも動物倫理とか現実的なあれこれを抜きにすればという話だ。生魚をやらないといけないのもちょっと厳しい……それはともかく、なんにせよ、なにかしらの生き物に家の中にいてもらうというのはかなりいい案な気がしていた。なにせこの家はもう広すぎる。ふたりで長年がんばってお金を貯めて広い家を買ったから当たり前だけれど。頭を下げて身を削らないとゆったり腰を据えられる家も手に入らない資本主義は腐敗しているけれど。……キャンプカーで移動して暮らそうとか国立公園にテントぶっ立てて暮らそうとかいうのも愉快なアイデアだったけれど、僕らはそういうわけにもいかない脳みそと身体をしていたし、テントは正直もうこりごりだった。僕たちふたりともが安心して住める家がほしかったのだ。ザカリーが大きいから、いつも身の回りのものがぜんぶ小さくて悲しそうだから、家でぐらいかれのサイズに合わせたくて、ほら、このダイニングテーブルも大きいサイズで買っていた。僕だけだと無駄にひろびろしたテーブルになっちゃう。無駄ってこたないか。絵とか描けるね。絵は趣味じゃないけど、画用紙をいっぱいつなげてテーブルぐらい大きな絵を描いてもたのしいかもしれないな。ほらこの年になるとさ、床で絵なんか描いちゃあ、腰痛めそうだしな。
なんだかザカリーのことばかり考えているけどいつもそうというわけじゃない。今日は特別、やることがあるから自然とそうなるだけだ。
テーブルのむこうがわの巨大な不在の、静まり返ったプールの水面みたいな硬さに、ことばを投げつけて、反響をきいてみる。
ザカリーは僕にのみこまれたかったんでしょう、僕知っているよ。僕と生きて、幸せそうだったけど、それでもやっぱりじぶんのからだも心も最後までうまく使いこなせなくて、持てあまして、何度も悲しい気持ちでいたんでしょう。強いられた輪郭、強いられた重み、それらをひきずって、じぶんを売り払えない執念とじぶんを辞めてしまいたい悲しみとのあいだでいつも立ち尽くしていた。僕とひとつになりたかったんでしょうほんとうは、おまえに食われてしまえば幸せだろうなってあの日の夜言っていたもんね。あの日は酒に酔っていたからあんなこと言えたんでしょう、ふだんは思っていても言えないし言わなかったんだ、僕にそんな望みはかなえられないってわかっていたから。でも僕に食われたら僕と話せなくなっちゃうよ、って僕が笑ったら、それはいやだからやっぱ今のは忘れてくれ、って困った顔をしてたね。あれきりだね、そんな話をしたのは。僕らはいろんなことを、できるだけはっきり言葉にして話し合ってきたけれど、なかにはきみがどうしても言葉に出さないこともあって、でもそういうことがらに限って僕には筒抜けなんだ。きみがけして言うまいと心にきめているのを見て、僕もおなじように黙っていた。きみが僕を大切に思えばこそかたくなに隠している望みを、中途半端に僕が汲み取って、こうしてほしいんだな、などと明るみに出せば、それこそ酷だ。どのみち僕にはかなえてやれない望みだから。僕がザカリーになれなくても、ザカリーが僕になれなくても、僕らはおしまいまできっちり幸せだった。幸せだからって何もかも理想通りにいくとは限らないだけだ。ザカリーだってそんなことはずっとずっとわかっていた。僕に教わるまでもなく身体と心で知っていた。
反響はそれなりに力強く、僕は満足してことばを終えた。満を持してテーブルを見下ろした。
ガラス壺はつるんと静かに立っており、灰は白い。僕がザカリーにしてやれることはもうなんにもない、本当に。彼の命は固く結ばれていた輪郭をもろもろと崩し、拡散し、永遠に拡大する無の中へふわふわ消えていった。僕の手からは遠く離れて。だからこれから僕がすることは、全部僕の好き勝手。きみを食べてしまうことがついぞできなかった僕の、そんなに意味のない好き勝手だ。
遺灰壺の蓋を握り、くるりとまわす。蓋が開く。壺に封じられていた沈黙が、のどかに沈んだ夜の部屋にひろびろと放たれる。かつてきみだった灰は久方ぶりに新鮮な空気に晒されていて、ここはとても静かだ。マグカップを左手で握ると、温かな陶器のなめらかさがある。白いミルクが膜を張っていて、それを見ると僕の舌の先に澱粉質に似た甘みが想像される。マグカップから手を離す。僕は壺を取り、そっと傾け、とんとんと揺らして、すこしの灰を掌の上に出した。白くてさらさらしていて、つまんなくて、ほんとうに、こんなものがかつてはあの美しいザカリーの肉体だったなんて不思議な気もするけれど、僕もいずれ1000度の炎で焼かれればこんなふうになるのだなと思うと、みょうな親しさがこみあげてきて、笑っちゃった。人類みな灰。
膜が張ったままだと灰が沈んでいかなさそうだと気づいて、空いている方の人差し指をすこし入れて膜をばらした。ぬるりとやわらかくて熱い。それから灰の乗ったてのひらを傾けると、肉から骨が乳へすべりおちる。骨が白いミルクの中に落ちて、表面に粉っぽい細かなかたまりが浮きあがる。マグカップの取っ手を握りしめてそれをじっと観察した……
ホットミルクを飲み干して、おなかがほっこりとあったまった。
僕の味覚が鈍感なせいかもしれないけど味は意外とただのミルクだったなと思って、マグカップをシンクに出しに行った。放っておくといくらでも溜めるから使ったらすぐ出すほうがいい。台所の電灯の下でマグカップを傾けて、底に、わずかに濡れて固まった灰がこびりついていることに気づく。考える前に指が突っ込んだ。擦り取って、ぞろりと舐める。
ミルクの甘い脂肪にまじって、砂みたいな味がした。汗をかいて砂埃の中をたくさん歩いて、くちびるが汚れてきたときの感じだ。さんざん手をつないでふうふういいながら歩いてきた、なつかしい感じだ。ざらざらした砂みたいな味。やわらかいおなか、壁みたいなおでこ、長くゆっくりカールしたまつ毛、凛々しかったくちびる、流れていた髪、うっすら濁った白目と茶色っぽい緑の瞳、大きな膝の皿、ふにふにした腋、ざらざらでかたい足の裏、まるいおしり、細くてやわらかい腕の毛、ぎざぎざの眉毛、縦長でかたくて冷たかった手、ネイルを塗りやすい爪。かれのかわいい終わりの形。
フラッシュ暗算みたいにいろいろなものが見えて、そのあたりで帳が下りるように視界がくもり、目頭が痛み、鼻の穴のまわりが濡れ、自分が泣いているなと気づいた。弦楽器のような呼吸をした。引き攣って小さくうめきながら、冷えたシンクを握りしめて、まばたきを何度もしていたから、静かな光が見えた。僕は毎日変わっていく。むかしの僕なら泣かなかった。家族が死んでも一日しか泣かなかった。振り返らないでひとりで出た。けれど、いまの僕は泣いていて、これからもたぶん定期的に泣く。よくわからないところで、大した理由もなく、途方もなく寂しくなっちゃって、背中が冷たくて、でもおなかが熱い気がして泣く。ザカリーが死んで、前よりも泣く。変化していく。知らない僕にどんどん出会う。やあこんにちは。こんにちは。あのね、ザカリーが言ったことは正しかった。
エイデンはなんにでもなれる。
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