ダンス・キッス・ダンス


 「ミラーボールつけたーい! ミラーボールつけたくない?」

 「……ミラーボール?」

 「あの、クラブとかでぎゃんぎゃんまわってるやつだよ、銀色の、まるいの、おおきいの」

 「……そりゃ知ってるけど……どこにつけたいって」

 「うちに!」

 食パンの袋についてたシールを冷蔵庫の扉に均等に並べて貼るという作業に従事していたザカリーは、ここのタイミングで6枚目のシールのふちを爪の先でなぞり終えたので、やっと顔を上げた。ダイニングルームのほうを見ると、エイデンがフォークを持った両手を高々と掲げて、きらきらした目でこっちを見ていた。皿の上には痩せたチーズトーストが載っていた。なんで両手にフォークを持っているのかは訊かなかった。

 「……うちに、ミラーボールを」

 「おんなじこと復唱するの好きだよな、ザカリー」

 エイデンはピンク色のプラスティックの椅子から意気揚々とすべりおりて、フォークを振り回しながらザカリーのほうに向かってきた。「ミラーボールってほんとうに素敵だよ、もちろんあれだけでも部屋中光だらけになってぷわぷわの星みたいでかわいいしさ、光を当てたらいろんな色が同時に見られてお得だしさ、やっぱ部屋を、僕たちの部屋をさ、部屋を、ディスコにしたいじゃない」

 エイデンはザカリーの胸から20㎝離れたぐらいのところで神妙な顔になり、フォークを握った手を背中の後ろにしまい、「もちろん、きみが同意してくれるならだけど」と神妙に言い添えた。

 ザカリーはエイデンの上目遣いを見下ろし、自分の中に「俺たちの部屋をディスコにしたい」という想いがあるか探してみた。2秒ほど探して、全く見当たらなかったのでその旨を伝えた。

 「俺は全然したくない」

 「そう言うと思った! そう言うと思って! プレゼン資料を、作ってまいりました」

 こちらのプレゼンをご覧いただいて、改めてご検討いただいて、そのうえでやはりミラーボールの設置は難しいということでしたら、潔く諦めます。エイデンは大声で言いながら、散らかっている寝間着を蹴散らしてリビングルームの奥にタブレットを取りに行った。

 「いま急に思いついたわけじゃないのか」

 「え? ああそう。ミラーボールがほしいという想いはずっと、温めていて、ていうか前からちょくちょく言ってたよ? ザカリーがやっと今日初めて関心を示してくれたから、今日こそプレゼンをやってみせようと」

 エイデンはあんまり色んなことをいっぺんにしゃべるから、一度聞いただけで全部おぼえていられるとは限らない。いわれてみればミラーボールの話をしていたような気もするし、していなかった気もする。エイデンがタブレットを充電器から引き抜くついでに邪魔になったフォークをそのへんの床に置いたので、ザカリーはそばに行って拾った。ぽくぽく歩いて、流しに出しに行った。


 「……というわけなんだけど! どうかなあ!」

 「エイデンはプレゼン資料を作るのもうまいし、すごいな」

 「ありがとう! 不明瞭な疑問文で話してごめんね、ミラーボールを自宅に設置できるかどうかについてザカリーはどう考えたかな!」

 気合いの入ったプレゼンテーションを終え、タブレットを両手で握りしめてこちらを見上げてくるエイデンを、ザカリーは感心して見下ろしていた。プレゼン資料は、多弁なエイデンらしからぬ簡潔さでまとめられていて、そのうえかわいいフリー素材のイラストもいっぱいついており、豪華だった。簡潔かつ豪華というのは矛盾している感じもするが、エイデンはそういうことができる人間らしい。そういうわけで「感心」に心情の大半が占められていたので、ミラーボールの設置の是非を考えるのにちょっと時間を要した。

 「……いま考えてる」

 「うん、いつまでも待つよ」

 エイデンは忠実に、ザカリーの耳たぶをこねながらいつまでも待った。そのうち飽きて離れ、ダイニングでひからびたチーズトーストを食べた。戻ってくるとザカリーがまだ考え中だったので、今度は髪を三つ編みにしてやった。三つ編みが終わってもまだ考え中だったので、肩を揉んでおいた。おまけに鎖骨にハートのシールを貼っておいた。


 さて、満を持してザカリーが口を開く。ザカリーが口を開くというのはビッグイベントなので、エイデンはいつも耳をすまして聴く。

 「買ってもいいよ」

 「マジで!? やったー! 大好き!!」

 「俺も好きだ」

 「やったー!」

 エイデンは勢いあまって床を転がった。超うれしい! 安いやつに目星をつけているとはいえ無駄遣いと言われてもしょうがない出費だし、ザカリーはディスコにもクラブにも一切の興味がないし、家を寝るための場所だと思っているし、正直厳しい戦いだと思ったけど、うまくいった! 暴れて転がった先でザカリーの足にぶつかったので、そのまましがみついて脛にキスをした。

 「うわっ……!」

 「ごめん! 同意を得ずに脛にキスをして……」

 「いいよ」

 優しく言われた挙句、優しく抱き起こされて、優しく角を撫でられた。ザカリーの腕のなか、エイデンは高速でまばたきを繰り返す。

 ……やっぱりこの人と踊りたい。


 エイデンは踊るのが好きだ。下手でも好きだ。だいたい下手というのは一定の基準に鑑みて判断するからそうなるのであって、最初からその基準をもたない人間にとっては関係のない話だ。エイデンのからだはあんまり自分で意図したようには動かない。あらぬ方向にすっ飛んでいったり距離をはかりかねて突っ込んだり、ゆらりとよろけてそのまま転ぶ。よく怪我をする。物も壊す。大学にはいって知り合った友だちに、予測不能でそういうダンスみたいだね、と言われた。その瞬間から自分の動きがますます面白くなってきた! エイデンは決まった振りつけはおぼえられないし、筋肉も体幹も弱くて、姿勢もうねうねしていて、たぶん踊るのが下手、なのだが、さっきも言ったように、基準をもたない人間にとっては関係のない話だ。変てこに動く自分のからだに、廊下を歩くとか、ベッドから起きるとか、牛乳を入れるとか、そういう生活上の機能以外のことができるなら、エイデンは大歓迎だった。ダンスみたいだねと言ってくれた友だちはおそらくエイデン(とダンス)を馬鹿にして言ったのであって、あとからそうと気づいたエイデンはちょうどその頃いろんな団体での活動とニャットとのデートで忙しくなったこともあってその友だちとは疎遠になったのだが、ダンスみたいだね、ということばは今でも大事に、星型のポッケにしまいこんでいるのだ。

 べつにミラーボールなんかなくても踊れる。いまどきミラーボールがあるクラブのほうがめずらしいし。でも七色の丸い光がちらちら交差してまわってトリップしそうな渦を作っている部屋でなら、もっと息がしやすい気がしていた。


 「ザカリー、踊れる?」

 「……踊ったことないからわからん」

 「好きに動いたり、動かなかったりしたらいいんだと思うよ」

 マゼンタの光がばきばきと揺れながらまわって、やがて赤に変わり、そのうち緑に変わる。白い光と交差した部分はさっと明るく燃え、暗い部屋の壁をはずむように獣が走る。ザカリーはまごついて目をしばたたかせながら、エイデンの両手を握って突っ立っている。ぎらぎらまわるでっかい鏡張りの球のしたで、エイデンはぐにゃぐにゃとからだを波打たせていて、不規則なステップに、握りしめた手もじきにすっぽ抜けていきそうだった。流れているのはむかしのDIVAの曲。エイデンはクローゼットの底でくしゃくしゃになっていたピンクのサテンのシャツに変なパイナップル柄のスラックスを履いていて、ザカリーは寝起きなので皺だらけのハーフパンツ一丁だった。

 4時間前つまり今日の夕方、家電量販店にでかけて、店員ににやにやされながら(ザカリーは警戒心を強め、店員を棚の陰からにらんだ。エイデンが棚の陰から慰めてくれた)でかいミラーボールを買って、車はないので両手に抱えて帰った。暑い日だったからミラーボールの鏡が日光をはねかえして眩しい。汗をだらだら流して歩くザカリーに、エイデンが重いものを持たせているおわびだと言っていちごフラペチーノを買ってきてくれた。スーパーで冷凍のピザを買って帰宅し、そこからまたふたりで汗だくになって天井にミラーボールを取りつけた。

 エイデンは当然、ピザを先に食べてからにしようとか、そんな悠長な待ち方はできない。生まれてこのかたずっと待っていたのだ。ザカリーが夕寝から起きるや否や、踊ろう踊ろうと小躍りしだした。そういうわけで、今ふたりは七色の渦の中にいる。貝殻のような光が走る暗い部屋では、互いのかたちも違って見える。

 ザカリーは、ためらいがちにたずねる。

 「俺、踊れるかな……」

 「踊れるよ! 僕だって踊りかた知らないけど、ほら、はあ、踊ってるもん」

 おまえは確かにリズムとか動きとか教わったことはないだろうけど、魂に踊りが刻まれてるんだよ。そう思いながらザカリーは、がに股で左右に上半身を振り回しているエイデンを見つめる。握っていた手はとっくに振り放されていた。がに股で左右に上半身を振り回しているエイデンの顔やら胸やら足が紫に光り、とてもきれいだ。こんどは目の覚めるような青になった。

 俺も踊ってみようかな、とちょっと思う。子どもの頃からからだを動かすのがとにかく嫌いだ。他人にはもちろん、自分にさえも、大仰な動きで自分の肉と骨と皮膚を見せつけるのがいやなのだ。

 でも、ちょっとだけならできるかな、とザカリーは下を向いて思う。

 「エイデン、手つないでもいいか」

 「え! いいよ!」エイデンは上下に飛び跳ねながら、大口を開けてうれしそうに答えた。

 「……手つなぐと、動きづらくなるかもしんないけど」

 「いいよ、いいよ、くっついて踊ろ。ていうかもう、はじまってるよ。動かないのもダンスだから、ザカリーはもうとっくに踊りだしてるよ」

 エイデンははずみながらザカリーにぎゅっと近づいて、10㎝だけ離れたところで片手を握る。ライム色の斑がうかんだ丸顔がザカリーを見上げて(次の瞬間にはトロピカルフルーツみたいな黄色になった)、みぎ、ひだり、みぎ、ひだり、と即興の合図を出した。ザカリーはやにわに突き動かされて、慎重に左右の足を順番に出す。

 「お、おおっ、歩きダンス?」

 「歩きダンスってなんだ」

 「なんか歩いてるみたいだから!」

 「なるほど」

 ふたりで手をつないで回ってみる。ミラーボールよりは遅いがそれなりに高速で回る。前に出て、後ろに出て、ステップを踏んでみる。エイデンがリズムに乗っかり損ね、じきに拍子から飛び出してうねりだす。止められないからだの電気信号に従って、何拍子とも言いがたい乱れた足踏みを刻む。日頃運動しないので息が弾み、口がぼやりと開いているが、ロマンティックは燃えている。色んな色にふわふわと光るザカリーの顔がかっこよくて、見上げたりそっぽを向いたり忙しく反応しながら、そのときめきを燃やすみたいに珍妙な動きを繰り出しつづけていた。エイデンのからだは制御不能で、だからどこにも行けないし、だからどこにでも行けるのだ。

 そのエイデンとしっかり手を繋いだままだが、ザカリーはおそるべきテンポキープ能力で、ひたすら同じ動きを繰り返している。前、後ろ、右、左。どこにも進まない。踏みしめるばかりの踊りだ。半裸で踊るのははじめてだ。というか踊ること自体。膚のチョコレート色と乳白色にまたがってマゼンタの光が泳ぐ。足の裏がしっかりとフローリング材を踏む。湿った足跡がつく。地元ではダンスが好きというか、日常のなかにダンスがあるような人びとがいっぱい暮らしていたが、ザカリーは踊らなかった。意味がわからなかったからだ。今でも意味はわかっていない。でも、エイデンの小さい手を握りしめたまま、その熱に支えられるように、延々とあかぬけないボックスステップを踏んでいる。

 ぐるぐるまわる光の下で、お互いの手が熱い。

 エイデンの金色の目が、幻みたいに閉じたり開いたりしている。もうしゃべることもなくなり、無言で踊り続ける。やがて疲れてキスしたくなるまで、ミラーボールはずっとまわっていた。

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