第4話 よろしくお願いします
「やっと来たか。さっさと食べて3限に行くぞ」蕨太郎が言った。蕨太郎は渋い顔で食後の煎茶を飲んでいた。保経七郎は椅子にすわり、店員に食事を注文した。
「ごめん。俺奴隷になることになった」保経七郎は店員がテーブルから離れるのを確認してから言った。
「奴隷?」蕨太郎が言った。
「よくわかんないんだけど、千鶴ちゃんが部屋に来て会話してたら奴隷になることになってた」
「そんなことある?」
「無いはずなんだけど、逆らえない何かが其処にはあった」保経七郎は言った。
「でも、奴隷って、具体的にはどうなるんだよ」蕨太郎は言った。
「そのへんは追って詰める感じだと思う。わかってることとしては、俺に自由がないこと、俺の所有権は千鶴ちゃんにあること、首輪をつけられる可能性があること」
「首輪をつけられる可能性がある」蕨太郎が繰り返した。
「まあ、いいんじゃない。あんなかわいい子の奴隷なら」少しの間をおいてから蕨太郎が言った。
「いやー。でも奴隷だよ。流石に……」
そのとき、保経七郎の頼んだハム・サンドイッチを和装のメイドが運んできた。2024年の江戸で喫茶店といったらメイド喫茶である。そういう時代だ。
保経七郎たちは言葉を止めた。奴隷だなんだと話したくはないが、もしかしたら聞こえていたかも知れない。メイドはサンドイッチとコーヒーを置くと、ごゆっくりどうぞとクールな笑顔で言ってその場を離れた。
「とにかく、さっさと食べて3限に行くぞ。ややこしい話はまた今度だ」メイド喫茶で渋い顔で煎茶を飲んでいた蕨太郎が言った。
土曜日の18時、保経七郎と柚子はスパークリング日本酒で乾杯した。昼の予定だったが柚子が昼からお酒は飲めないと、保経七郎にとって衝撃的な発言をしたため夜に変更になった。世間話や藩校での話をしたあと、保経七郎は千鶴と交わした会話を柚子に話した。
「かくかくしかじか、こんな感じでちょっと困ってるんですよね」保経七郎は言った。
「それで、保経七郎くんはどうしたいの?」柚子はそう言って、ワインに口をつけた。
「いやあ、どうなんですかね。困ってるのは困ってるんです」保経七郎は慎重に言葉を選んだ。千鶴ちゃんの奴隷になります!なりたい!なんて言った日には軽蔑されて二度と柚子さんに近づけない可能性が高い。
「どうしたらいいかカわからないんです」保経七郎は言った。
「ふうん」と柚子が言って、ワインを飲んだ。
「保経七郎くんは自由がないことが嫌なの?」柚子が言った。
「いや、そんなことはないです。自由が無いなら無いでいいこともあるのかなと。制限の中から生まれるものもあるんじゃないかとも思います」保経七郎は言った。柚子は黙って何かを考えていた。
「保経七郎くんには二つの道があると思う。一つは、頑張って藩校を卒業すること。そうすれば千鶴ちゃんに自由なんて奪われないでしょ。千鶴ちゃんの奴隷にならないで済む」
「なるほど」保経七郎は言った。目から鱗の新事実だ。藩校を卒業して普通にはたらけばいいのだ。
「もう一つはなんですか?」と保経七郎は訊ねた。
「私の奴隷になること」柚子は言った。
「千鶴ちゃんより私のほうがいいでしょ?優しくするよ」彼女はそう言って笑った。
「冗談ですよね?」保経七郎は言った。
「まじめ」柚子は言った。
「ちょっと考えますね」
「駄目。今決めて」
「よろしくお願いします」保経七郎は言った。
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