第2話 長屋にて


 柚子は水色の着物を着ていた。三味線サークルで一番の美貌と名高い柚子にそれはよく似合っていた。


「これから? 今日はサークルの友達とお昼食べることになってて」彼女は言った。

「そうなんですね。残念です」保経七郎は言った。


そう簡単に物事は進まない。


「今週の土曜のお昼なら空いてるけど、保経七郎くんは予定ある?」


物事は進む。


「大丈夫です。土曜日は、提出しないと相当にヤバい課題終わらせるつもりでしたが、日曜にやります」保経七郎は言った。

「それ本当に大丈夫なの。提出期限は?」

「まだ調べていません」

「いますぐ調べなさい」

「了解です。素晴らしい土曜日のために頑張ります」

「よろしい。じゃあ土曜にね」柚子はそう言って、外へ出た。



 土曜日は素晴らしい1日になることが決まった。土曜日が素晴らしい1日だと決まった今日は素晴らしい1日だ。もう今日に思い残すことはないので保経七郎は寝ることにした。最終的にはなんとかなる、が保経七郎の座右の銘だった。



 保経七郎が布団にくるまりスマホをさわっていると、長屋のドアが開いた。


「保経七郎、今日も藩校の1限をサボったの。これ以上休むと退藩校になっちゃうよ」開口一番、こう申すのは、月森七海(つきもりななみ)。保経七郎の子供の頃からの腐れ縁、いわゆる幼馴染である。


「おお、七海。なんかあった?」保経七郎はいった。

「なんかあったから来たんでしょ。今日の1限いなかったじゃん」七海は言った。七海も保経七郎も1限の御成敗式目研究の講義を取っている。


「ああ、ちょっと体調悪くて。なんか頭がぐるぐるしてたから寝てた。風邪かも」保経七郎は言った。

「机のそれは?」七海はバーボンの瓶を指さして言った。

「麦茶だね。これに移し替えてのんでるんだよ」

「そんな人はこの世にいません」

「いないか」

「いないよ。どうせウイスキー飲んで二日酔いなんでしょ」七海は言った。


 保経七郎は素直に頷いた。さすがに今さっきウイスキーをラッパ飲みしたとは言えない。二日酔いよりひどい状況もこの世にはある。


「ほら、3限の講義一緒なんだから準備しなさい。教室で待っているから絶対来るんだよ」そう言って七海は部屋を出ていった。


 七海とは何故だか、出る講義が被る。そう考えると幼少期の頃から何から何まで被っていたな、と保経七郎は思った。藩校も一緒、学部学科も一緒、講義も相当が被っている。これが腐れ縁、もとい幼馴染ということか。


 保経七郎は藩校へ行く支度を終えて、冷蔵庫からレッドブルを取り出してちゃぶ台に座った。出かける前のレッドブルが江戸の若者の流行りである。だか保経七郎は江戸の最先端を行く男、おもむろにウォッカの瓶を手にとる。レッドブルとウォッカはセットなのだ。そのとき、長屋の扉が開いた。


 「保経七郎さん、今日も藩校の1限をサボったんですか。これ以上休むと退藩校になっちゃいますよ」開口一番、こう申すのは、雪村千鶴(ゆきむらちづる)。保経七郎の所属している浮世絵サークルの後輩である。


 千鶴は丈の短い着物を着ていていた。襟元も少し緩めに着崩し、鎖骨が見えてセクシーだった。素晴らしい光景だと保経七郎は思った。


「おお、千鶴ちゃん。心配してきてくれたの?」保経七郎は言った。


「いいえ」千鶴は言った。


ほう、と保経七郎は思った。どうやら今までとは違う展開になりそうだ。


「藩校なんてやめちゃえばいいんですよ」千鶴は言った。

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