第3話



「酷く、苦しく、味わったことのない絶望を……恨まれるような経験をツイに味合わせることになるかもしれないな」

「…………」

「……」



 詳しく話さなければ、そう思うと鉛が心の中で重く、沈む。けれど、心と裏腹に軽々しく紡いでいた。

 どこか、小バカにしたような、悔いるような声にジッと、菫を見つめていた紺は顎に手を添え、視線をテーブルに向ける。


 すぐ返ってくる、と踏んでいた答えは長考された。

 それは妙な緊張感を与えたらしい。

 考える彼の姿を見据えつつも、無意識に固唾を飲み込んだ。



「聞く、かな」

「どうしてだ」



 耳元で聞こえる自身の心臓の音に、気を取られそうになった時、ぽつりと聞こえる。

 紺が導き出したそれは彼女の中にないモノだったのだろう。

 何とも言えない、感情が沸き上がると聞き返していた。



「俺が決める事じゃなくて、雪が決めることだし」

「――その事実を伝えることが叶わず、おぬしが決めるしかなかったら……自分が消えてもツイに生きていてほしいか、それとも一緒に消えてほしいか?」



 ポリ、と頬を人差し指でかいて、笑うその顔は優しい。だからこそ、気付く。

 先ほど沸き上がった感情の名に。


 目頭が熱く感じると、グッと眉間にシワを寄せ、深く、深く、息を吸った。

 これ以上、自ら傷を負わなくていい、と制止する理性がいるけれど、止まらずにはいられない。


 いや、知りたいという欲の方が上回った、と言った方がいいかもしれない。

 無理矢理、込み上げるものを全て奥へ、奥へ、と沈みこませて問いかけた。



「生きてほしいよ」

「……どうして」

「消えたら、笑えないだろ?」

「…………おぬしは生きれない、のにか?」



 それでも、紺から返ってくるのはどこまでもまっすぐだ。

 迷いなく言い切ってしまう彼が不思議で仕方がないらしい。また、聞くのだ。

 長年生き続けている年長のくせに二十そこらしか生きていない、彼女からしたら子供のような歳の青年に。


 あまり難しいことをあれやこれや考えていないのか、紺の導き出す答えは至ってシンプルだ。

 きょとん、として小首を傾げるけれど、彼の出した答えは簡単なことじゃない。


 二人でひとつの存在が、片方の迷惑のせいで自分が死ぬ、という場面で命を譲ると言っているのと同義なのだから。

 そんなあっさりと自分の死を受け入れてしまうようなことを言ってしまう彼に理解が出来ないのだろう。

 いや、もしかしたら、自分が何を言っているのか分かっていないのかもしれない、という疑問すら湧いてくる。

 だからこそ、菫はゆっくり顔を上げてもう一度、聞いた。



「……アイツってさ、夢喰ってる時の顔が幸せそうなんだよね」

「……」

「それが消えちゃうのはちょっと、嫌だから……きっとそうすると思う」

「…………彼奴アヤツは怒りそうだな」



 どこか、照れくさそうに、困ったように言う姿に、思わず、言葉を失う。

 毎度毎度、喰う夢の大きさで言い争いしているというのに、譲歩する理由に。


 続けて言うそれは、自分を納得させているのか、気持ちと言葉に齟齬そごがないか、確認しているのか。

 考えるまでもなく、後者だと伝わってくる。だからこそ、自然と肩の力が抜けた。



「すごい怒ると思う。なんだかんだ寂しがり屋だし」

「それでも、か?」

「俺がいなくても、仲間はいるから大丈夫」



 これはもし、そんな未来があったならば、の話だ。だから、重く受け止める必要はない。

 彼はいたずらっ子のように口角を上げると頷いた。


 そんな表情に力なく笑って、執拗に確認するのは無意識か、否か。それは分からないが、紺の答えの先を自分の中にも求めているのだろう。

 ジッ、と深い海のような瞳を見た。彼はそれを揺らがすとことなく、何とも気楽に答える。



「……ふ、………ふふ……は、ははっ!」

「菫さん?」

「は、ははっ、そう、か……それはまた…………おぬしは人任せだな」



 想像もしていない言葉に目を点にさせるが、愉快な感情が次第に内から沸いてきた。

 こらえきれず、吹き出すと紺は眉根を寄せる。けれど、そんな声は届いているのか、いないのか。

 いや、届いているのだろうが、笑いが止まらない。



「……信頼してるから、なんだけど」

「……!」



 口を大きく開け、涙を拭う姿はなんと、珍しいことか。戸惑いを隠せない。

 でも、小馬鹿にされたようにも聞こえるからか、拗ねた顔をしてぽつりと零した。


 それに、ピタリと笑い声は止む。目を大きく見開き、瞬き一つせずに、目を向けた。



「俺らが生まれてからずっと見守ってくれてる先輩が三組もいて、頼りになる後輩がいるから」

「……もし、そうなったら彼奴アヤツは吾がこき使ってやろう」

「ははっ、文句言いながら言うこと聞いてそう」



 テーブルに肘を付け、手のひらの上に顎を乗せて簡単に言ってのける。

 大食いで、食にうるさい雪のツイを務めているにはこれだけの器の広さとどっしりとした構えが必要なのかもしれない。


 懐の広さと自分たちの信頼の深さに参ったようだ。

 菫はスッキリとした顔をして、冗談を混ぜた。その提案は彼女らしい。

 そして、容易に想像できるのだろう。紺は声高らかに笑って、へたり、とテーブルに倒れ込んだ。


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