第15話


「……」



 あの女子会の場から、自分の地区に戻ってきたけれど、何処かぎこちない。

 雪は相も変わらず、先を歩いていて話しかけてきたり、顔を向ける事すらしなかった。



(女子会行ったのに機嫌直ってない、のか?)



 いつも口喧嘩になっても少し距離を置けば、単純だからコロッと機嫌が直る。

 でも、昼間に別れた時と不機嫌さは変わっていない。


 どう接するのが、正解なのかが分からないからこそ、彼女の後ろを三歩下がって歩く紺は困り果てた。



「……ねえ」

「ん?」

「……、…………悪夢って精神的ダメージがあるって本当?」

「聞いたのか?」



 ピタッ、と雪の足が止まる。ボーっとしていたら、きっと聞き逃してしまうほど、小さい声が聞こえた。

 彼女はそのまま、薄く唇を開くけれど、なかなか言葉にするのが難しい。キュ、と唇を噛みしめ、自分を鼓舞すると空を見上げて問いかけた。


 まさか、その話を切り出されるとは思わなかったのだろう。

 紺は眉をピクッ、と動かすとこちらを向かない彼女を見つめる。



「うん、……みんなから」

「……そうか」

「ごめん、……知らなくて」



 彼のその言い方で、答えが分かった。いや、分かっていた。

 姉と慕う彼女達や妹分が言っていることが嘘であるはずがない。

 でも、ツイである紺にちゃんと確認しておきたかったのかもしれない。

 その事実に胸が痛くなって胸元を手で押さえると頭を垂らした。


 隠していたのか、否か。それは分からないが、彼女の背後から聞こえてくるため息にビクッと肩が揺れる。

 呆れられてしまっただろうか、という不安からか、罪悪感からか、目頭が熱くなった。

 泣きそうになる自分を鼓舞するようにぎゅっと胸元の服を掴むとかすれる声で、ポツリと零す。



「いーよ。慣れてる」

「っ、……つらいの、我慢して喰べてたの?」



 一瞬、何が起きたのか分からなかったらしい。

 雪が謝るなんて珍しいことが起きたのだから、無理もない。彼は目を真ん丸にさせるが、ふっと笑った。


 笑って許してくれるその声が、慣れさせてしまった罪の重さが、重くのしかかる。

 息を吸うのも、吐くのもしんどいけれど、彼女は問い続けた。



「……」

「ずっと、人間を言い訳にしてたのは……、喰べるのが嫌になってて……でも、無理矢理食べてたから?」



 どうして言わなかったの、と責め立てられるのを想像していたのかもしれない。

 震える声に驚いて、紺は言葉を失った。でも、彼女は止まらない。

 我慢していたはずなのに、止めておくのはもう、無理だった。

 視界がぼやけていくのを感じつつも、浮かんでくる疑問を言葉に詰まりながら、聞く。



「……昔は、な」

「っ、……じゃあ、何で言わなかったの」



 普段の態度だったら、さらっと流して終わらせてしまうところだった。

 でも、真摯に受け止めて泣いているツイにそんなこと出来るはずもなく、彼は静かに目を閉じる。


 聞きたくて、聞きたくなかったそれに奥歯がギリッ、と鳴った。

 何にたいしての怒りか、変わらないまま、勢いよく振り返るといつもと変わらぬ表情の彼が目の前に立ってる。


 責めるのはおかしな話だ、と冷静な自分が言っているのに、口が止まらなければ、目から溢れ出すものも止まらない。



「言ったところでお前、聞く?」

「……」

「だろ?」



 ボロボロと泣く姿に苦笑した。

 こんなことで泣くとは露ほどにも思っていなかったのだろう。歩み寄り、そっと手を伸ばして首を傾げる。


 大人しく目を瞑って涙を拭われる雪は、その問いかけに悔しそうに眉根を寄せた。

 黙ってしまっても、表情に感情を出すのが彼女だ。それを目の当たりにして心擽られたのか、また笑う。



「昔はって……今は違うの? 人間のため?」

「……人間のためっていうか……自分のため」

「紺は、どうして……人間の肩ばかりもつのよ」



 見透かされてる、と分かってか、口を尖らせてじっと彼を見上げた。

 うるうると、揺らぐ空色の瞳にどこまでも曇りなき綺麗さを覚える。

 純粋無垢とは彼女のために用意された言葉ではないか、と。


 んー、と唸って答えを導き出すが、それは何処か頼りなさげで。申し訳なさそうに眉を下げた。

 また矛盾を覚える。いつも人間のためのようなことしか言わないのに、自分のためだという彼に。

 ツイである雪よりも人間の方が大事なのではないか、と思うくらいモヤッとした気持ちが胸に広がった。



「俺が早く悪夢を喰ってやれば、怖い思いをしないで済んだんじゃないかって」

「それが自分のため、だって……言うの?」



 答えに納得して貰えなかった。それは残念なことだけれど、伝わるのは難しいと自負しているのか、彼は言葉を続ける。

 今まではどうせ、理解しないだろうと有耶無耶うやむやにしていた部分なのに今日は言いたくなったらしい。

 それは彼女に変化が見えたから、かもしれない。


 歩み寄ろうと努力はしている。

 でも、聞く言葉はストン、と心に落ちなくて。視界を邪魔する涙に苛立って、ギュッと固く目を瞑って落とし、夜空色の眼をジッと見つめた。



「早い段階で詰めば人間も夢に怯えなくていいし、俺も精神的な負担が軽く済む……結局、回りまわって自分のためになるんだよ」

「……じゃあ、もし、良質な悪夢があったら?」

「喰うよ。それが俺の存在意義だから」



 淡々としているようで優しく、柔らかく、あたたかい。そんな声が説明するそれは耳心地が良い。

 さっきまで耳を塞ぎたい気持ちを抑えて聞いていたのが嘘のように、身体の力がいい意味で抜けた。

 でも、小さい悪夢ばかり、なんてことはあるはずはない。

 どんなに小さいものを狩っていても見過ごして知らず知らずのうちに悪夢が育つことだってある。

 その時、彼はどうするのかが気になったらしい。眉根を潜めると紺は何処か悲しそうに笑った。



「…………」



 この言葉で分かってしまった。

 自分にとって、食事は楽しくて幸せなひと時だけど、ツイにとって違うということを。

 どんなに色んな人からくどくど説教された言葉よりも、彼のその表情に納得出来てしまった。

 目を見ていられなくなったのかもしれない。俯くとグッ、と下唇を噛む。

 それは悔しさからか申し訳なさからか、それは彼女しか分からない。



「……紺は人間が好き?」

「嫌いになる理由は特にないな」



 下を向く雪は彼の胸板にトンッ、と額を寄せて小さい声で聞くそれは意外なもので。紺は彼女の頭を見つめ、瞬きする。

 でも、答えは決まっていた。YesかNoで答えない辺り、彼らしい。



「私、嫌いよ」

「……」

「自分の幸せのために何でも奪うもの」

「知ってる」



 きっと、どこまで話し合っても平行線の理由はそこだ。

 人間を好きになれないからこそ、乱雑にしか扱えない。人間が何を奪ってるというんだろうか、なんて聞いたら、きっとキリがない。

 自分たちの都合のいいように言い訳をして自然を破壊し、生態系を崩そうとするし、富を得ようと人間は人間を貶めることだってするのだから。


 雪の中にある琴線に触れたからこそ、そう思うのだろう。

 でも、それを責めるつもりはないようだ。紺はそっと、目を閉じて頷く。



「だから、同じことしてやろうと思ってた」

「……」

「でも、それで紺を傷付けるとは思ってなかった」



 ギュッと抱きつき、どこか恨めしそうに不貞腐れたように言う。まるで叱られる子供のようだ。

 それに紺は眉を八の字にさせると微かに衣服が引っ張られる感覚を覚える。雪が服を握って引っ張っているからだ。

 彼女は静かに瞼を下ろし、眉間にシワを深く刻む。無意識に傷付けていた後悔はなかなかに重いのかもしれない。



「俺も悪かった」

「……これからは、相談しながら喰べるわ」

「そうだな……でも、ほっといたらまずそうな悪夢は言ってくれ」



 言わなかったのは自分のためであり、ツイのためだったのかもしれない。

 でも、結局、雪を傷付けてしまったことには申し訳なさを感じているようだ。

 ぽん、と頭に手を乗せるその温かさがじんわりと伝わる。

 やっと、まともなツイになれたような気がするのか、彼女は強張っていた肩の力を抜いた。


 クイッ、と顔を上げて見上げるのは彼。漆黒の髪が月明りに照らされているが、残念なことに逆光のせいで顔にまで光は届かない。

 それでも夜目の利く上に間近にあるのだから、どんな顔をしているか、分かった。穏やかに目を細めて笑ってる。



「それも自分のためなの?」

「悪夢を見る人間しかいなくなったら、それこそ俺達死ぬからな」

「そんなことありえる?」



 またポンポン、と頭を撫でるのを合図に背中に回していた手を離し、眉根を寄せた。

 また一つ、分からないことが生まれる。


 大きい悪夢を喰べるのは好きじゃないと言いながら、放っておくことも出来ない彼が理解できないのだろう。

 紺はズボンに両手を突っ込み、背を見せて歩き出すとそれに倣うように雪もまた付いていく。


 良夢を見る人間より悪夢を見る人間が増えたら、と考えると恐らく餌の奪い合いになる。

 それは想像が難しくないけど、実感は湧かないらしい。困り顔で覗き込む顔がどこか面白い。



「良夢を見る人間が増えるよりはありえそうじゃないか?」

「………確かに。最近、良夢が減ってきた気がする」

「しばらくは小さいので我慢して良夢を育てた方がいいんじゃないか?」



 河川敷から歩道へと上がれば、見えてくる家々。

 時間帯が時間帯だけに、明かりを灯した家なんてほとんどない。

 それらをジーっと見つめながら、紺は小首を傾げた。適当に言葉を並べただけなのか、真剣に考えて出てきたのか、それは表情から読み取れない。

 でも、彼女には思い当たる節があるらしい。いや、あるはずなのだ。

 自分の餌を見つけることはできなくても、喰ってきてはいる。

 見つけてもらう食事の一つの質が望むものより劣ってきているのだから。


 むむっ、としかめっ面をすると彼は突拍子もない提案をした。



「育つの?」



 夢を育てる、なんて考えもしなかったのかもしれない。夢なんて一夜で終わる。

 まさに一期一会だと思っていたのだろう。疑いの目を向け、こてんと首を横に倒した。



「植物だって人間だって育つんだから、育つだろ。多分。きっと」

「適当なんだから……」

「っ! そろそろ喰いにいかないとまずいから行くぞ」

「うん!」



 言ってみたはいいが、それにたいして根拠も自信もないらしい。保険がひとつふたつと付いてくる。

 きっちりしていそうで、案外いい塩梅でそうじゃない彼に力が抜けたのか、雪は肩を落とした。


 月が傾きつつあることに気が付き、彼は慌て始めた。

 朝が来てしまえば、人間は起きる。そうすると夢を喰うにも喰えなくなってしまう。

 催促するように雪の背を軽く叩くと、彼女は大きく頷いた。



「今日は時間ないから少なめでよろしく」

「……………うん」

「そこはさっきぐらいの元気を出せよ」



 さっそく、とばかりに頼み込む紺の言い分は分かる。でも、まだまだ覚悟は足りていなかったようだ。

 頷くのにも時間が必要で、声も絞り出している。良質の夢を求める気持ちを抑え、ツイのために頑張ろうと努力している。

 感情を顔に全て出してしまう雪の素直さに彼は呆れたように笑い、ぐしゃぐしゃと髪を乱すように撫でた。


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