第13話



「そういえば、あれからどーなの。お前ら」

「どーって?」

「雪の食欲だよ」

「あー……相変わらず」



 ふ、と思い出したかのように聞くのはたまたまか、それとも話題を逸らす為か。それはどんなに朱里の顔をジッと見つめても分からない。

 しかし、その問いかけは何とも抽象的で、どう答えていいのかが分からない。

 紺は眉根を寄せて、首を傾けるとそれは明確に音にされた。


 何が聞きたいのか、ようやく分かったらしい。

 遠くを見つめるように半目にしながら、ポツリと呟いた。



「相変わらずかー」

「いっぱい喰べられる女の子も素敵だね」



 紺が何と答えるか、想像が付いていたのかもしれない。

 たいして驚く様子を見せることなく、朱里が笑うと翠もまたクスクスと笑みを浮かべる。


 きっと雪がこの場にいたならば、嬉しそうに頬を赤らめて調子に乗っていただろう。褒められて嬉しくない者なんていないのだから。

 けれど、この場にいるのは雪じゃない。紺だ。



「じゃあ、喰う? 昨日もこんなでかいの喰わされたけど」



 彼はにっこりと、影のある、否。威圧的な笑みを浮かべてジェスチャーをした。

 バスケットボール並の大きさの球体を宙に描くと、空気がピシリ、と固まる。



「……それは遠慮しようかな」

「よくお前、平気で喰えるな」

「平気じゃないけど、喰えなくはない」

「黒バクって夢食べるの大変なんでしょ?」



 若葉のツガイ、ということはそれなりの年月を生きている、という事になる。

 そんな人に断られる、ということはなかなか凄いことかもしれない。横目で紺を見ながら、呆れたように零す朱里は何とも言えない顔をしていた。


 それはきっと、ツガイである紅緒が喰べる姿を目の当たりにして気を使っているからなのだろう。

 でも、紺にとっては何も特別なことをしているつもりはないらしい。淡々と当たり前のように答えている。

 年上二人が苦虫を噛み潰したような顔をしているのを見て、陽は不思議そうに首を横に倒した。



「んー…………まあ、慣れ?」

「同じ黒バクから見てどーなんだよ」

「紺は異常だよ。特にメンタルが」

「精神異常者みたいな言い方やめろ」



 長考してみるが、なかなか言葉が見つからない。

 どう答えるのが正解なのか、と聞かれてもきっと迷宮入りだ。

 グルグルと考えを巡らせ、最終的に出てきたのは何とも曖昧な答えだった。


 その言葉で本当に合っているのか、疑問が生じてならない。

 朱里は呆れた顔をして翠に考えを求めるとどうやら、紺の出したそれは常識的範囲を超えているようだ。


 彼を誉めているつもりなのかもしれないが、けなしているように聞こえるのは、気のせいじゃないかもしれない。

 紺は不満そうに目を細め、睨みつける。



「そういっても過言じゃないよ。普通の黒バクなら壊れててもおかしくない……まあ、悪夢を見るのが好きな黒バクは別だけどね」

「え、紺さん……そっち側なの?」

「んなわけねーだろ。バカ」



 しかし、鋭い目はたいして怖くないようだ。翠は肩を竦めると悲しそうに瞳を揺らした。

 でも、それは一瞬で、誰にも気づかれることはない。


 付け足すように言うそれはまた新しい事実だ。

 悪夢を悪夢として捉え、好まない黒バクもいれば、積極的に好む者もいる、という。


 壊れていてもおかしくないほど、上質な悪夢を喰えるということはそうだ、と思われても仕方がない。

 陽は怪訝そうな顔をしてジリっと後ろに下がるが、それは一蹴された。



「悪夢を悪夢と捉えてはいるのか」

「味はいいけど、気分は最悪なことの方が多いからな」

「それは良かった……私と同じ感覚で」



 彼も好んでいるわけではない、と明確になったことが喜ばしいのか、朱里が感心したように見下ろす。

 紺は何かを思い出したのか、顔色を青くする。深いため息を付き、目を閉じて首を横に振った。


 同じ区域の黒バクは五匹。そのうち連携取れる男は紺だけで貴重だ。

 そんな彼がもし、悪食だったらと考えるとぞっとするのかもしれえない。翠はホッと胸を撫でおろす。



「やっぱり悪夢を喰べるって大変だね」

「だよなー。オレそっちじゃなくてよかったわ」

「でも、その代わりに紅緒ちゃんが喰べてる」

「……そー思うと代わってやりたくはなる」



 コンクリートの壁に寄りかかりながら、ポツリと呟くのはツイの苦労を思って出てきた言葉だ。

 落ち込んでいるのか、陽はどこかしゅん、としている。


 ふー、と息を吐いて空を見上げるが、星なんてあまり見えない。

 都会の空は悲しいほどあの自然の輝きを消してしまいがちだ。その空模様にか、それとも自分自身にか、朱里は苦笑した。

 しかし、翠は目を閉じて俯きながら、正論を言う。それは当然のことだ。

 どちらかが白バクで在るならば、またどちらかが黒バクで在らねばならない。それが自然の摂理なのだから。


 彼の指摘を受けると朱里はうっ、と言葉を詰まらせがた。

 生きるためにツガイが引き受け貰っていると自覚しているからこそ、だ。



「ほんと、アンタらツイのこと好きだよな」

「もちろん、愛してるよ」

「対(ツイ)じゃなくて、ツガイな」



 自分たちで出した答えに満足したのか、うんうん、と首を縦に振る年上二人の姿に飽き飽きする。

 そう言わんばかりに紺はジト目だ。呆れを通り越してもはや、尊敬に値するのかもしれない。


 短く息を吐き出し、感心すると翠から爽やかな笑顔が返ってくる。

 無駄にキラキラとしたそれがまぶしいのか、目をギュッと閉じると朱里から訂正を求められた。



「はいはい。ツガイ

「……紺さんもでしょ?」

「は?」



 キラキラとしたオーラを追っ払うようにパシパシ、と手で払うと適当に相槌を打つ。

 それ以上、深く突っ込めば、またノロケを聞かされる羽目になると分かっているからだろう。

 でも、下からフッ、と圧を感じて視線を下げると顔を覗き込む陽の姿がある。なんだ、と眉根を寄せれば、純粋な真ん丸の目はジーっと見つめてくる。


 意味の分からない問いに、間抜けな声が出た。

 まるで、雪と紺がツガイであるかのような確認に驚くのも仕方ない。



「だって、なんだかんだ言いながらも用意された夢を喰べてるんでしょ?」

「……っ、」

「じゃあ、断って小さくしてもらえばいいのに」



 陽はグイっと顔を近づけてもう一度、問いかけた。

 顔の近さに驚いて息を飲み、後ろに下がる紺だが、陽は引くことはない。むしろ、食い気味だ。


 彼の言い分は確かに間違ってない。恋仲でもないツイに気を使って喰うことはないのだ。

 それなのにも関わらず、文句を言いながらでも喰べているということは結局、口ではなんだかんだと言いながら、好意を、恋慕を持っていると思われても仕方ない。



「…………」

「いたっ」



 純粋で無垢な顔に苛立ちを覚えたのか、紺は目を細めるとスッと手を出し、彼の額にデコピンを食らわせた。

 鈍い音が響くと唐突に与えられた痛みに耐えるように陽は目を瞑り、額に手を当てる。

 一歩、二歩と下がり、涙目になりながら、額を摩った。



「紺?」

「あのバカにそんな妥協なんて通じると思ってるのが甘い」



 まさか、そんな行動をするとは誰もが思っていなかったらしい。翠も朱里も目を真ん丸にさせた。

 愛だ、なんだの問題ではない。話が通じない相手に文句言っても結局、折れないんだからこちらが折れるしかないのだ。


 常日頃から雪といるわけじゃない彼らに理解できていないのは仕方ないのだが、その言葉で終わらされるのはとても不愉快なのだろう。呆れた目を向けた。



「…………」



 果たして、喰べる夢の量や質を減らしたり、小さくしてもらうことが妥協といえるのだろうか。

 そんな疑問が三人の頭の中で浮上するけれど、それを口にするのは躊躇ためらわれる。


 冷ややかで諦めきった目が言葉の重みを深くさせていたからだ。



「……そ、そろそろレディたちに声かけようか」

「そーだな」

「じゃあ、紺。お願いね」



 むやみやたらに揶揄うべきではないと察したのか、話を戻そうとばかりに翠が咳払いする。

 それに同意した朱里と陽はコクコクと首を縦に振ると翠は柔らかい笑みを浮かべて頼み込んだ。



「は? なんで俺……」



 振られた話題にピリオドが打てたのは有難いのだろうが、この流れで頼まれるとは思っていなかったらしい。怪訝そうに眉を寄せた。



「女子会に乗り込んでレディたちに嫌われたくないし」

「邪魔するなって言われたくないし」

「菜名に怒られたくない」

「……お前らな」



 にっこり笑う翠に明後日の方向を向く朱里と陽の言い分に肩の力が抜ける。

 全員が全員、女子の機嫌を損ないたくない、と思っているとは思わなかったのだろう。紺は頭を抱えて、深い深いため息を付いた。


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