第11話



「……」

「…………どうして」

「……」

「どうして、紺は言わなかった、のかな……」



 沈黙の中、四人のバクの視線は一箇所に集まる。視線を感じる暇がないのかもしれない。

 それほど大きな衝撃を受けている。俯いたままの彼女はぽつりと呟くけれど、その先が分からないから皆、黙って耳を傾けるだけだ。

 皆が待ち望んだその続きを紡ぐその声は今にも泣きそうで、鼓膜が揺れる。



「紺くんに聞かないと分からないことじゃないかしら」

「……そう、だよね」

「どーせ、お前に言ったところで耳を貸さないと思ったんだろ」



 雪の疑問にたいして、此処にいる者が出来ることは憶測だ。けれど、それは本人の本音ではない。

 余計なことを考えることなどせずに若葉は目を細め、顔を覗き込んだ。


 如何に何も知らないとしても、態度が変わることなく、優しく諭す彼女は慈愛に満ちた人なのかもしれない。

 だからこそ、彼女その言葉はすんなり、受け止められる。でも、この場にいる先輩は若葉だけではない。飴があれば、鞭もいるのだ。


 憐みなど一切見せることない菫は雪のツイである紺の心情を推理する。

 なんて、投げやりで冷たい一言だろうか。



「ちょっと、菫!」

「聞いたところでお前のことだ。どうせ対(ツイ)は人間のことを考えてそんな与太話よたばなしをしてると決めつけるはずだ」



 流石に言葉を選んだ方がいいと、思ったのだろう。

 紅緒は彼女を制しようと呼びかけるが、言うことを聞くような人ではない。

 ワザと、琴線に触れるようにクイッと顎を上げて威圧的に言い放った。



「そんな、こと……」

「ないと言い切れるか?」



 そんなことない、と断言出来たら、どれほど良かっただろう。でも、そう言い切れる自信はない雪は言葉を詰まらせる。

 何故、詰まらせたのか、分かっているくせに菫は意地悪く問いかけた。



「…………」

「ま、まあまあ、落ち着いて下さいッス。雪センパイも悪気は――」

「悪気がないからいい、というわけでもない」

「っ、」



 彼女に言える答えを持ってないのか、雪は唇を噛み締め、自身の手を見つめる。

 流石に可哀想に見えたのか、菜名は慌てたように庇おうとするが、年の功には適わないのだろう。ピシャリと一蹴された。

 それにずくっと鉛のような重いものが心に沈み、雪はしゅんと小さくなる。



「菫ちゃん……」

「学ぶ機会を自ら無駄にしておいて知らないとかほざいてる糞餓鬼クソガキには灸を据えるべきだ」



 どうして彼女がそこまで厳しくするのか、知っているのかもしれない。若葉は胸元に手を添えた。

 菫の口から紡がれるそれはどれだけ冷たく、鋭い言い方だとしても、正論であることには違いない。



「…………」

「ふふ、でも――」

「?」



 だからこそ、庇う者も反論する者もいなかった。そんな中、笑みが零れる。その声の主は若葉だ。

 くすくす、と笑う口元を隠しながら、何か含みがあるような瞳を三日月にすると青空の瞳と交わる。

 急にどうしたのか、分からなくてパチパチ、と雪は瞬きをしながら、続きを待った。



「雪ちゃんはやーっぱり愛されてるわねぇ」

「……え?」

「だって、私たちはお互いのことを思い合わないと生きていけないんだもの」



 テーブルに肘を乗せ、手のひらに顎を添えて言われるそれは耳を疑う。

 一瞬、何を言われたのか分からなかったのかもしれない。いや、もしかしたら、愛、とは大げさな表現に感じてしまったのかもしれない。

 雪は眉根を寄せた。でも、若葉は少し頬を赤らめて嬉しそうに見つめるだけ。



「確かに、愛……とも言えるわね」

「若葉サンらしい言い方ッスね!」

「その有難さを知らんバカには意味ないがな」



 んー、と顎に人差し指を添えて考える素振りする紅緒もまた、否定はできないのだろう。

 眉を八の字にさせ、コクリと頷くとスナック菓子を口の周りにつけた菜名がニカッ、と笑った。


 否定しそうな菫もそこに指摘することなく、ティーカップに口を付けて一言、言う。



「……菫、もう少し柔らかい言い方出来ないの?」

「青いのみたいな考え方が嫌いだから無理だな」

「あっそう……」



 ピシャリ、と冷や水を浴びたように場が静かになった。

 場の雰囲気を和らげようと思っていたのか、否か。若葉は恐らく、思ったことをそのまま言っただけ。

 しかし、それを無下にした菫に頭が痛くなったらしい。

 紅緒はジト目で彼女を見つめるが、別に痛くもかゆくもないようだ。


 ツーン、と素っ気ない態度を示す彼女にこれ以上、何を言っても無駄だ、と分かっているのだろう。

 こめかみに手を添え、何かを耐えるようにして紅緒は話にピリオドをつけた。



「大丈夫よ~。ねっ、雪ちゃん」



 呑気で柔らかい声がが聞こえる、と思えば、若葉は雪に抱きついている。



「……」

「どこにそんな根拠があると?」

「美味しいものを紺くんにも喰べて欲しかったんじゃないかしら……もし、そうだったら、雪ちゃんだって彼のことを考えてるんじゃない?」



 黙りこくってる雪を他所に鼻で笑う菫が庇う彼女に求めるものはただ一つ。証明だ。

 よしよし、と幼い子を宥めるように頭を撫でながら、若葉は勝手な自論を話し始める。

 確証はないけれど、自信溢れてていた。



「考えてたら、あんな答えには――」

「今まではそれを知らなかったけど……もう、知ったものね」

「…………」



 未だ納得出来てない菫は言葉を重ねようとしたが、それは遮られる。

 もうそろそろ若い子を責めるのをやめなさい、と言わんばかりに。


 若葉は頭を撫で続けながら、にっこり笑った。返事はないものの、微かな反応だけはある。

 撫でてくれている手にしがみつくようにきゅっ、と洋服を握っていた。それが今の雪にとって精一杯なのだろう。



「青いの」

「……」

「お前を見てるとあのバカバクを思い出して仕方ならん」

「……」



 張っていた気を緩めたのか、菫は深く息を吐くと彼女を呼ぶ。

 ビクッと、肩が揺れると若葉の胸に埋めていた顔をゆっくり上げ、そちらに顔を向けた。

 凛としていて、清廉な姿が目に入る。


 白バク特有の白の服装が正しさを物語っているように見えるのか、顔が歪んだ。

 決して、雪をバカにするためでもなく、叱るためでもない。

 ただ、客観的事実を伝えた。黒バクを消滅させた白バクに似ている、と。


 それはこれ以上、教えられたくないくらい胸に突き刺さる。

 だからこそ、雪は辛くて、苦しくて、泣きそうで、無意識に下唇を噛んだ。



「お前は……同じ過ちを犯してくれるなよ」

「…………」



 やっと、その顔が見れてほっとしたのかもしれない。

 ずっと素っ気なく、淡々としていた表情が和らぐと目を細めて彼女は言う。

 雪は自分を痛めつけていた唇を解放した。


 あまりにも悲しく、罪を犯した人のような顔をする菫に驚いてしまったのだろう。

 でも、そんなのは一瞬。たった一瞬だった。



「返事は」

「……うん」

「よし」



 雪の知っている彼女の顔に戻っており、同情も哀れみもない声音で求められた。

 見間違いだったのかな、と戸惑いを隠せない雪だけれど、答えはもう決まっている。

 あんな話を聞いた後に今までと同じ食生活をする気にはなれなかった。コクリ、と頷けば彼女は満足そうに腕を組む。



「もー、暗い話はやめましょーよ! せっかくの女子会なんスから!」

「それもそうねぇ。じゃあ、せっかくだからみんなの恋バナが聞きたいわぁ」

「なんで緑のは恋愛厨なんだ」

「まあ、……個性じゃないかしら」



 パンッ、と乾いた音が響けば、皆の視線は音の元に向いた。

 にぱっと人懐っこい笑顔を見せるとまた新しいお菓子を何処からか取り出してテーブルの上に置く。

 菜名は年下らしく、愛嬌を見せるのが上手らしい。それに乗るように若葉も手を叩くと首を縦に振った。

 自ら提案する話に頬を赤らめると楽しそうに頬に手を添えて揺れ始める。


 深刻な話をしていた次には恋バナ……恋の話。

 なんともギャップのある話題にドッと疲れが出たのか、菫は呆れたような視線を向けた。

 疑問ともただの独り言とも取れるそれは前者のように感じたらしい。紅緒は首を傾げて答えた。



「も~! 菫ちゃんも紅緒ちゃんも失礼しちゃうわ!」

「事実だろ」

「くすくす、ごめんごめん」



 恋バナが好きな自覚はあれども、そんな呆れた顔をされるのは心外、のようだ。いや、誰でも好きなものはある。

 それをそんな風に取られたら、嫌だと思うのは皆そうだろう。若葉も頬をぷっくり膨らませて、そっぽを向いた。


 そんな彼女も愛らしくその場を和ませている。ある意味天才かもしれない。

 何せ、あの菫が微笑んでいるのだから。



「……そういえば、菫さんのツイってどんな人なんスか?」

「……」

「…………」

「………………」



 笑ってる年上三人組をじっと見ていて、疑問を覚えたらしい。

 菜名は不思議そうな顔をしてこてん、と首を倒した。

 それは聞いてはいけない事だったのだろうか。和やかな空気にピキッ、と亀裂が入ったように感じる。否、入った。

 どうしよう、と顔を見合わせる紅緒と若葉はチラッと視線を向ける。その先は質問に答えられる人物だ。


 聞いてはいけないことを聞いてしまったのでは、と菜名は内心焦っている。

 やっぱり聞かないことにすると言ってもタイミングが遅い。ただ、だらだらと冷や汗が流れる。



「――彼奴あやつは人見知りが激しくて吾(あ)の前にしか現れん」

「どんだけッスか!!」



 ティーカップに口を付け、喉を潤すその姿は優雅だ。

 その薄く開かれた唇から何が紡がれるのか、と固唾を飲み込む。

 しかし、思っていたより単純で、軽い答えが返ってきてしまった。


 拍子抜けした菜名はカクっと、崩れ落ちるとホッとしつつも、喚く。

 年下をからかうのは楽しいらしい。菫は不敵な笑みを浮かべていた。



「……」



 そんな四人のやり取りを間近で見ていても、声は遠く聞こえる。

 今まで知らなかった自分の無知さとツイの考えの分からなさに未だ悶々としている。



(……紺のバカ)



 人間のために喰う量を考えろ、と言わなければ、雪も考えたのかもしれない。

 もう少し言い方があったのではないか、という不満が腹の底からふつふつと湧いてくる。

 ティーカップに残された少しの紅茶をグイッと飲みほしながら、心の中で吐露した。


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