第10話


「――一昔前ひとむかしまえまで夢喰いバクは少数種族じゃなかった」



 菫の口から聞かされるそれは知らない者たちにとって衝撃的な事実だった。



「……」

「そーなんスか?」

「えーっと、いつだったっけ?」

「明治の終わりくらいまで沢山の同胞がいたわ」



 雪は目を真ん丸にさせて黙っていたが、菜名にとっては驚きで興味深い話だったらしい。

 目を真ん丸にさせている。


 顎に手を添え、遠い記憶を引っ張り出そうとする紅緒に若菜はにこやかに答えた。



「……美食家の白バクが一匹いた」

「…………」

「あれは美味しい夢を求めて喰いまくった」

「影響力も大きい人だったから……真似する白バクも増えたの」



 藤色の瞳がそっと閉じられ、柔らかくも芯のある声で告げる。

 その言葉に興味深そうに雪はじっと見つめた。


 苦しい思い出なのか、顔を歪ませると悲痛な声が響く。

 菫の声に若葉はどこか傷ついたような顔をしてその人物について語った。

 見知った人だったのか、酷く懐かしんでいるようにも見えた。



「それで起きたのは夢の奪い合いよ」

「奪い……合い?」



 持っているティーカップの手に自然と力が入る。

 けれど、表情を変えることなく、お茶に口を付け、紅緒は彼女たちに続いて告げた。


 夢喰いバクの世界は基本的に平和だ。ルールを守れば、特段命の危機を覚えることはない。

 だからこそ、聞き慣れないワードに雪は動揺する。



「今は住む地域によって管轄が決められてるけど当時はなくて……無法地帯だったの」



 曇った表情で微笑もうとする若葉は彼女の疑問を紐解こうとした。



「美味い夢は早い者勝ち……だから、良夢も悪夢もほとんどなくなっていった」

「そ、そんなことしてたら全滅……!」



 無法地帯で何も考えず、欲のまま喰うとどうなるのか。

 それをティーカップに浮かぶ自分の歪む顔を見つめながら、菫は話す。


 全ての夢喰いバクが大きい夢を喰えば、次の日の食事に不安を覚えなければならないどころか、今日の食事にありつけるかどうかも分からなくなる。

 とても小さな夢を喰って凌ぐことも出来るだろうが、それだと新たに生まれる幼い夢喰いバクを犠牲にすることになる。

 それが分からぬほど、バカではないようだ。雪はサアッ、と顔を青ざめる。



「いいや。そうなる前に消滅した」

「……え?」



 静かに瞼を下ろす菫は首を横に振った。それはそうだ。

 もし、彼女の言う通りであれば、この場に夢喰いバクが女子会なんてしている訳がないのだから。

 でも、その危機の前に消えてしまった、という意味がわからないのだろう。雪は表情をなくした。



「っ、…………黒バクが悪夢を喰べることを放棄したからだ」

「……ど、う……して?」

「…………」



 菫は何か感情が込み上げてきたのかもしれない。

 俯いて誰からも表情を見せないようにすると下唇を噛んだ。

 長い沈黙の後、重々しく告げるそれはとても悲しくて、苦しい。


 生きる為に喰べる夢。

 それが二人で一つの夢喰いバクなのに、喰べる事を拒絶され、死んだ同胞がいたことに驚愕したようだ。

 雪は今にも泣きそうな顔をして、震える声で聞く。でも、それにたいして返ってくる声はない。



「ねえ、雪」

「…………何」



 誰も何も言わず、下を向く姿に心細さを感じた時、紅緒が彼女の名前を呼んだ。

 やっとあった応答にほっとしたのか、目が潤んでいる。



「良夢って美味しい?」

「美味しい……それは黒バクも一緒でしょ?」

「そうね……でも、私たちは喰べるのに苦痛も伴うの」

「…………」



 幼い頃から変わらないその表情に親心のようなものを覚えたのか、眉を八の字にして微笑む紅緒は小首をひねった。

 その問にたいしての答えはひとつしかない。それはみんな同じだと思っているようだ。こくりと頷き、じっと紅の瞳を見つめる。


 自分と同じだと、信じて疑わないその純粋さに怒りなど湧くことなど出来ないのかもしれない。

 悲哀の色を浮かべて静かに答えると空色の瞳がまん丸になった。まるで、初めて聞いたかのような反応だ。



「赤いの……お前、本当に教えたのか?」

「うーん、教えたんだけどね……黒バクに必要なのは強靭なメンタル!」



 ジロリ、と鋭い目が見る先は紅緒だ。彼女は慌てることもなく、頬に手を添えて眉根を寄せる。

 ビシッと人差し指を出し、わざとらしい明るい声で声高々に言った。



「……ん?」

「どうしてそれが必要なのか……はい! 菜名答えて」



 空気を壊すような言い方をする彼女に違和感を覚えたのか、雪はパチパチと瞬きをする。

 出してる人差し指を縦に振るとその指で隣を指さした。



「うえぇ!? 急なフリ! ……えーと、悪夢から現実こっちに帰ってくるためッス!」

「正解!」

「……ほっ」



 急に話を振られるとは思っていなかったらしい。

 ギョッとしながらも、昔教わったことを思い出そうと頭の引き出しを開く。


 当てられた時からドキドキと心臓が跳ねてるのを感じるが、その答え方に問題があるのか不安もあるのかもしれない。

 たらり、と冷や汗をかく菜名だったが、紅緒から花丸をもらい、胸を撫で下ろした。



「帰って、くる?」



 とても大切なことのように出たそれは雪にとって不思議だったのかもしれない。

 こてん、と首を傾げ、眉根を寄せる。



「白バクにとって当たり前のことよね……でも、黒バクは違うのよ」

「悪夢はね、命がけなの……夢主が何かに追われたり、何かに怯えていたり、殺されそうになってたり……色々あるから」

「……」



 クス、と隣から笑い声が聞こえるとチラッとそちらを見れば、慈しむような目がこちらを向いていた。

 若葉の言う通り、白バクにとっては当然のこと。楽しい思いをして帰ってくるだけだから。

 でも、と付けられた言葉に続くように紅緒は語った。

 ツイで、同じはずの存在なのに。


 ただ、白と黒に分かれて良夢と悪夢を喰べてるだけの違い。

 それが大きく違うなんて、雪は考えたこともなかったのだろう。



「黄色いの、どうしてだ?」

「ひぇ~、テストしないでくださいよ~」

「いいから答えろ」



 問題を出す、という形を気に入ったのかもしれない。

 菫は雑にもその理由を求めた。


 完全にターゲットにされてしまったことにあわあわする菜名だったが、彼女は容赦ない。切り捨て、催促した。



「も~……夢主ゆめぬしを襲ってる悪夢の正体と出会わなきゃラクできるけど、遭遇した時はそれを倒さなきゃいけないからッス!」

「……」

「夢の中で倒した後……現実こっちで悪夢を喰べる時、またあの悪夢を体感する……それがどういうことかと言うと……夢主の傷ついた心を全て一身に受けるのよ」



 菜名は眉を八の字にして頬をぷっくり膨らませながら、事実を述べる。

 夢の中で何かを倒さなければならない、なんて白バクにない感覚なのだろう。雪は目をまん丸にさせている。


 彼女の答えに補足を入れるべく、紅緒が紡ぐそれは抑揚がない淡々とした声だ。



「……沢山の白バクが毎日大きい夢を喰べてた。それに合わせて悪夢を喰べてた黒バクは悪夢に耐えきれなくなっちゃったの。だから――」



 雪の顔を見つめながら、教えるまた別の声は優しく柔らかい。

 でも、それが過去にあったことだったからかもしれない。若菜の顔は悲しげで。


 もう、皆まで言わなくても分かるのだろう。どうして、黒バクが喰べる事を辞めたのかを。



「……喰べる事を放棄した、のね」



 それを自ら言葉にすることで、雪は自身にそれを刻んだ。



「嗚呼。あの当時はまだ黒バク優先で喰べることも、一つの区域に五組で棲み分けるなんてルールもなかった……それ故に多くの者たちが消滅した」

「…………」



 全てを理解することが出来た同胞に頷けば、菫から新しく聞く話が飛び出でる。

 それは前例のない過ちだからこそ、なかったルールで。過ちが起きてしまったからこそ、今にも続くルールになった。

 だからこそ、自分に厳しく指導しようとするのも納得がいったのか、雪は俯いている。



「今は黒バクが先に喰べるルールがあるから消滅する子は減ったけどねぇ」

「これでわかっただろう。お前がどれだけ危険な行動をしていたかが」

「…………」



 若葉は慰めるようと頭を撫でた。それを彼女はただ受け入れている。

 余程、ショックを受けたのだろう。やっと反省の色を見せたか、と菫は息を吐き出すと念を押すように確認するように問いかける。

 雪はそれにただ、首を縦に振ることしか出来なかった。


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