第9話


「も~少し小さい悪夢でもいいんじゃないッスか? このくらいの……」

「それだと、何個も喰べさせないとじゃない」



 菜名はポリポリと頬をかき、周りの様子を伺いながら、提案をする。

 手で表す大きさは直径二十センチくらいだ。


 黒バクである自分だったら、最大のサイズを言ったのかもしれない。

 けれど、雪は無常だ。スンっと表情をなくしてさらりと棄却する。



「何個も……」

「喰わせるんスか……」



 無知故の発言だと分かっているが、血の気が引けて仕方ないのだ。

 黒バク二人は悪寒がするのか、両腕を摩っている。



「あらあら、雪ちゃんったらスパルタ~」

「そんな呑気な話じゃないだろう」



 若葉は頬に手を添えて笑っているが、言葉はそうでもない。

 柔らかい口調に騙されそうになるが、黒バクたちと同意見なようだ。


 誰も指摘することなく、引いているだけの現状に、菫はまた深いため息を零す。



「なんでよ。みんなだって美味しいの喰べたいでしょ?」

「そうは言っても、大きい夢が美味しいものとは言えないんじゃないかしら」



 全員から否定されるのは面白くない。

 頬をぷっくりと膨らませるとジト目を紅緒に向けた。


 教育係をしてくれた、ということもあって彼女とは距離が近しいのかもしれない。

 瞳の奥には助け舟を求めるような色も見える。だが、そんな簡単な話ではなかったようだ。


 どう伝えれば、雪は素直に受け入れるのか。

 それがいかに難しいのかを知っているからこそ、彼女は困り果てた顔をしている。



「夢を見る人間によって良夢の基準も変わるからな」

「それは……そうだけど、当たる確率は高いもの」



 冷静さを失わない菫は腕を組み、当然のごとく言う。それは雪もまた理解はしているのだろう。

 でも、納得いく回答ではないのか、不服そうに自分の言い分を続けた。



「でかい夢は脂っこいのが多くてかなわん」

「菫ちゃんは柔らかい味が好みだものね」

「ババアなだけでしょ」



 苦虫を噛み潰したような顔をする菫は、大きな夢を喰べた時のことを思い出したのかもしれない。

 うぇ、と舌を出す。その表情が彼女らしいのか、面白く見えたのか。それは分からないが、若葉は楽し気に笑うと首を傾げた。


 なんとしても菫にたいして悪態をつきたいのだろう。

 だが、雪の吐き捨てるそれはその場の空気を凍らせた。



「……」

「……」

「…………」



 彼女を見る若葉と紅緒は口角が上がったまま。

 二人の怒りがビンビンと伝わってくるのか、菜名は身体を強張らせて委縮している。



「……?」

「お前……緑のと赤のもと同期だってこと忘れてないか」



 この空気が読めないのか、否か。恐らく前者だろう。

 いきなり静かになったことが不思議だったらしい。首をひねった。


 純粋と言うべきか、馬鹿と言うべきか、両方と言うべきか、頭が痛くなるほど問題児の小娘に眉間のシワが寄る。

 菫はテーブルに肘をつき、手のひらに頬を乗せると指摘した。



「……スミマセン、ゴメンナサイ、デキゴコロデス」



 それでやっと分かったらしい。

 自分がとんでもない地雷を踏み、優しい二人を敵に回しかけているということを。


 平謝りをするが、恐怖のあまりに片言だ。



「全く……」

「雪たちは対を組んでから何年目?」

「んーと……二十年くらい?」



 驚くほどのスピードで意見を翻す彼女に菫のため息はまた零れる。

 肩の力を抜き、ズレている本題へと戻るために残る疑問を解消するため、紅緒は問いかける。

 それはなんてことはない、ありきたりな質問だ。


 何故、そんなことを聞くのか、分からない雪は眉を八の字にさせる。

 けれど、答えられないものじゃない。

 正確な年月を思い出そうとしているのか、天井に目を向けた。



「大きくなったわねぇ……雪ちゃん」

「あはは、ボクだったら無理ッスね」

「同感よ」



 改めて月日の流れをしみじみ感じたのか、若葉は感心する。

 けれど、彼女のおぞましいそれに菜名は笑った。面白くて笑ったわけではない。


 一周回っておかしくなったから、笑ったのだ。それに共感したらしい。

 紅緒は目を閉じてうんうん、と首を縦に振った。



「何が」

「そんなに悪夢を喰わされることに、よ」

「喰わされるって……喰べさせてあげてるのはこっちでしょ!?」



 黒バクたちの言わんとしていることが分からないのだろう。

 ムッとした顔をすると紅緒は手をひらっと宙に舞わせ、指摘する。

 だが、その言い方が癪に障るのか、眉を吊り上げて立ち上がると、声を荒げた。



「ふふふ、愛の力ね~」

「意味わかんない」

「何がよ」

「紺はツイよ。ツガイじゃないわ」



 だんだん見ていて面白くなったのか、若葉はこの場に似合わない能天気なことを言い出す始末だ。

 どうして急にそんな抽象的な表現が出てきたのか、理解しがたいらしい。プイッとそっぽを向き、腕を組んだ。

 反抗的なその態度に、呆れてきている紅緒は怪訝そうに眉根を寄せると雪は偉そうに返す。



「……」

「…………」



 その答えに驚きを隠せないのか、その場の全員が目を真ん丸にさせた。

 ツイである相手のために紺は大きな悪夢を喰べていたことに驚きを隠せないのかもしれない。



「あら、二人はつがいじゃなかったねぇ」

「んなわけないでしょ、あんなわからず屋」



 シーン、となったこの空間に柔らかい声が響く。

 それは四人の代表とも言えるものだった。

 けれど、つがいと思われていたことの方が意外で仕方ないらしい。否定の仕方が全力だ。



「だったら尚更、感謝した方がいいんじゃないかしら」

「どうしてよ」



 紅緒が言ったのは、つがいじゃなく、ツイだったら、という意味なのだろう。

 菜名もそれに激しく同意しているのか、首がもげそうなほど、頷いている。

 けれど、だからといって何故、感謝などという言葉が出てくるのか、いまだにわからない雪の意思は変わらなかった。



「あなたの基準で悪夢喰わされて平気でいられるなんて紺くらいよ」

「何言って――」

「赤いのが言ってることは間違ってないぞ」

「どういうこと?」



 本当に何も知らないと、その目を見ればわかるからこそ、タチが悪い。

 紅緒も考えただけで気が遠くなりそうになったのか、額に手を添えた。


 夢喰いバクの食事量の統計など露知らない者からすれば、抽象的なものに聞こえるのかもしれない。

 具体的に聞き返そうとした瞬間、それは遮られた。


 声の主の方へと顔を向ければ、藤色の瞳と交差する。

 その瞳には怒りもからかいも侮蔑もない。

 あるのは真剣さ、のみだ。だからこそ、身体が緊張するのか、雪は固唾を込む。



「……お前はどうしてバグが少ないと思う?」

「は?」

「簡単な基礎知識だ。答えてみろ」

「……元々数少ない種族な上に規則があるからでしょ?」



 脅したわけでもないけれど、空気に飲まれて静かになった少女に視線を向け、抑揚のない声で問いかけた。

 それは唐突で脈絡のない質問で雪は一瞬、思考が停止する。けれど、菫は容赦がない。

 待つ時間など与えることなく、催促するのだ。


 答えるしかないと本能的に察したのか、雪はイスに腰を下ろし、返答した。



「その規則とは?」

「二人一組で行動し、喰べる夢の質と量が同じであること」



 腕を、足を、組む姿は実に優雅だ。菫はひとつ頷けば、また新しく聞き返す。

 まるで試験でもされている気分になるのか、雪の表情は戸惑っていた。

 けれど、分かることであり、常識だと知っているからこそ、すらりと出る。



「――では、同等でなければどうなる?」

「…………消滅、する」



 菫は目を細め、首を傾げた。それは考える必要もないほど簡単だった。

 簡単なはずなのに、雪は言い淀む。


 きっと、考えたくもなければ、言いたくもない言葉だったからだろう。

 しかし、言わざるを得ないからこそ、苦々しい顔をした。



「じゃあ、もう一度問おう。何故、少ないと思う?」

「はあ? だから――……」



 こくりと深く頷くから、満足したのかと思えたが、問題はまだ続いた。

 それもまた一番最初に聞かれた質問。先ほど、答えたのにも関わらず、また聞き返されるとは思わなかったのだろう。

 眉間にシワを寄せて、同じ答えを言おうとしたが、目を見開いて声を失った。



「気が付いた?」



 その表情から、菫の問いにたいしての答えが見つかったことが伺えたらしい。

 紅緒はテーブルに身を乗り出した。



「雪ちゃんの言う通り、種族が少ないのもあるけれど、一番の理由は同等の量と質を喰べられなかったからなのよ」



 よく出来ました、とばかりに若葉は彼女の頭をよしよしと撫でると、諭すように告げた。

 あたたかくて優しい手にザワついた心が落ち着いてくる。



「どうして?」

「……お前のように何も考えず、喰うことを楽しんでたバクがその結末を迎えている」



 雪は息を整え、彼女に上目遣いしながら、聞いた。

 それは純粋な質問だった。でも、それに答えたのは若葉でなく、菫だ。

 彼女はどこか悲痛にも似た色を浮かべて見つめる。



「…………私は違う」

「違わない」

「違うっ!」



 ドクン、と心の臓が跳ねるのはその目にか、心のどこかで自覚してるからか。それは分からないが、否定したい気持ちが勝った。

 だから、菫の目から逃げるように目を逸らした。


 でも、逃がしてくれる相手ではない。断言するそれに雪は耳を塞ぎ、叫んだ。



「………雪ちゃん」



 カタカタと肩が震える姿に若葉は哀れに思ったのか、眉を下げている。



「……どうして、その人たちは消滅したの」

「…………聞く勇気はあるか」



 耳からゆっくり手を退かすと震える声で、苦しそうに呟いた。

 消滅したと言われる夢喰いバクたちが自分と似ていると言われて、気が気じゃないのだろう。不安で大きな目が揺れる。


 それでも受け止めようとしているのが伝わるのか、菫は淡々と問いかけた。

 自分の意思で確かめる意欲があるかを確認したいのかもしれない。



「……」



 雪はきゅっと唇を締め、静かに首を縦に振った。


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