第8話


「――で、今度は何で喧嘩した」

「……え。急に本題入る?」



 人気ひとけのない河川敷にある白の東屋。

 それに合わせたようにアンティークのテーブルとイスがレイアウトされている。

 そこに一目散に座るのは菫だ。テーブルに肘をつき、手のひらに顎を乗せると冷え切った目で問う。


 まさか、前置きもなく本題に入るとは思っていなかったらしい。

 雪は一瞬、目をまんまるにさせる。でも、次の瞬間、顔を強張らせて聞き返した。



「その鬱陶しい顔をやめさせたくてな」

「いじわる……」



 全く変わることない表情で、ふっ、と鼻で笑う。

 その先輩の姿に、雪は肩を縮こまらせた。

 まるで母親から説教を受ける子供の図だ。



「いじわるじゃなくて、雪ちゃんのことを心配してるのよ」

「心配……?」



 若葉はクスッと小さく笑って雪の隣に座り、顔を覗き込む。

 柔らかい彼女の口調と表情につられたのか、チラリと視線を上げた。


 菫が自分のことを心配している、なんて思ったことがないのかもしれない。

 それは意外そうな顔が物語っている。



「アンタはこの区域一、大食いの白バクだから心配にもなるわよ」

「……もしかしなくても、バカにされてる?」



 ふぅ、と吐き出されるため息は、呆れているような、困っているような複雑さをまとっている。

 けれど、紅緒の表情を見れば、嫌なものを感じない。


 恐らくフォローしつつも、心配しているのだろう。

 眉を下げて宥めるように言うが、返ってくるのは憎まれ口だ。



「なーんで言葉の通りに受け取れないスかねぇ。雪センパイは」

「ひねくれておるからな、この馬鹿は」

「バカじゃないし、ひねくれてもない!」



 雪の真ん前に座る菜名はテーブルに両肘をつけ、両手で顎を支えながら、眉を八の字にする。

 彼女の疑問にたいする答えは決まっているのだろう。菫は最年少に教えるが、その言い方はなんとも雑だ。


 ここまで言われると何も言いたくなくなる気持ちも出てくる。

 だが、雪は黙って聞いてるなんて出来る珠じゃない。ダンッとテーブルを叩き、凄んだ。



「まあまあ……それでどうして喧嘩しちゃったの?」

「…………」



 よしよし、と幼い子を宥めるように、若葉は頭を撫でる。

 けれど、それに答えたくないのか、雪は口を噤んだ。



「……」

「早う云え」

「……お前は大きい良夢ばかり喰いすぎだって」



 どうしたものか、と困った表情を浮かべ、若葉は彼女から口を開くのを待っていると鋭い一言が飛ぶ。 

 それに雪はビクッと肩を揺らし、おずおずと、口を開いた。



「それが喧嘩の理由ッスか?」

「喰われる人間の事も考えろって言われた」



 お菓子の袋を遠慮なく開く手が止まる。

 目を真ん丸にして問いかける菜名の表情は間抜けだが、確認するようにもう一度聞き返した。


 雪はコクリ、と頷き、ムスッとした表情をする。



「別に奴の言い分は間違ってないな」

「私は美味しい夢が喰べたいの!」



 ふむ、と腕を組むと菫はこの場にいない人物の肩を持った。

 彼女がそうすることは目に見えて分かっていたのか、雪は不満そうに眉を吊り上げる。



「それで喧嘩しちゃったのねぇ」

「っていうか、毎回よく同じ内容で喧嘩できるわね。アンタたち」



 理由がクリアになって納得したのか、若葉は自身の頬に手を添えて首を傾げた。

 目を閉じて眉を寄せているところを見ると案外難しい問題なのかもしれない。


 用意したティーカップに紅茶を注げば、湯気が立ち、茶葉から色と香りが出る。

 紅緒は各々に紅茶を手渡し、肩を竦めた。



「……みんなはその、喰べる量とか質とかどうしてるの?」



 ぐうの音も出ないのか、彼女は悔しそうにストンッと座る。

 目の前に運ばれたティーカップを覗き込むと静かな水面に映る自身の不細工な顔が映った。


 こんな顔を晒していたんだ、と自覚すれば、肩の力が抜ける。

 自分たちが上手くいかない理由は何か、それを確かめる気になったのかもしれない。

 俯きながら、ポツリと零した。



「ウチはあたしが基準っスね」

「私のところもそうね」



 持ってきたお菓子を勝手に食べ始める菜名はボリボリと咀嚼音そしゃくを立てる。

 ごくん、と飲み込み、人差し指を顎に当てて答えた。

 やっと落ち着いた紅緒は菜名の隣に座ると紅茶に手を付ける。



「…………はそもそも少食だ」

「若葉姉は?」

「わたしのところはそうねぇ……その日の気分によってかなぁ」



 紅茶の入ったティーカップを手に取るとすぅと息を吸えば、お茶の香りが鼻腔をくすぐった。

 ジーっと刺さる視線が鬱陶しいのか、顔を顰めると青空と同じ色の瞳と交差する。

 菫は仕方なさそうに息を吐き出した。


 最後の一人の意見を聞こうとバッと隣を見る。

 若葉は顎に人差し指を添え、考え込む素振りを見せた。

 けれど、喰べる量が毎度安定しているわけじゃないらしい。

 にこっと笑って差し出されたそれもまた彼女に響くことはなかった。



「…………」



 四人から聞いても一つも参考にならない。

 レディファーストだというなら、菜名と紅緒と同様にすればいいけれど、根本的に違う。

 彼女たちは黒バクで、雪は白バクだ。


 参考にするならば、白バクである菫と若葉だ。

 けれども、菫は少食で雪は大食。対極の存在すぎる。

 そして、若葉の話もまた今まで通りの自分のやり方に近くて問題解決の糸口にはなりそうにない。

 だからか、落ち込んだようにしゅんする。



「……雪はどうなのよ?」

「…………美味しいのが喰べたいから、大きい悪夢を探して喰べさせてる」



 あからさまに落ち込む雪がかわいらしく、ほっとけないのだろう。

 カチャという音を立て、ティーカップを置くと紅緒が問いかける。


 どうせ、反感を買う、と思い込んでいるのかもしれない。

 顔を上げることなく、か細い声で答えた。



「「…………」」



 その場を支配するのは静寂。誰もがお茶を飲む手やお菓子を食べる手を止めた。

 いや、固まった、といった方がいいかもしれない。



「……」

「えーっと……ちなみに紺くんはそれにたいしてどうしてるの?」



 チラっと視線だけ上にあげれば、驚愕した四人の顔が雪に集中している。

 やっぱり、と雪は肩を落とした。


 更に落ち込ませてしまったことに焦りを覚えたのか、若葉は我に返ると顔を覗き込む。



「文句言いながら喰べてる……」

「……ど、どのくらいの大きさの悪夢喰ってんスか?」



 しぶしぶ答える雪を菜名はジーっと見つめた。

 聞いても大丈夫か、様子を見ているのかもしれない。

 ポリポリと頬をかいては恐る恐る聞いた。



「昨日は……このくらい?」



 責められているような視線、いや、空気に身体が重く感じる。

 のそっと両手を膝から上げると夢の大きさをジェスチャーして伝えた。


 彼女が手で表した大きさはバスケットボールほどのものだ。

 それに黒バクである二人はピキッと固まり、青ざめる。



「まさか毎日じゃないでしょうね……」

「毎日……本当はもっと大きいの喰べたいんだけど、これ以上大きいのってたまにしか見ないのよ」

「うっわ……」



 冷静さを失わないようにしているのか、紅緒は笑顔を張り付けてた。

 しかし、残念なことに彼女の予想は当たっていた。

 雪はコクリと頷くけれど、不満は尽きないらしい。

 ムスッとした顔をするとまた別の問題を零した。


 想像をするだけでゾッとするのかもしれない。

 菜名は無意識に心の底から声を出す。



「鬼畜だな、お前は」

「どこがよ!」



 コクっとまた一口、紅茶を飲むと菫は蔑む目を彼女に向けた。

 辛辣な言葉を言われるとは思っていなかったのか、俯いていた顔をガバッと上げ、声を荒げる。



「無自覚なところ、かしら」

「……」

「お前を育てたバクどもは誰だ」

「……紅緒姉たち」



 ムキになっているところを見て宥めることも出来ただろう。

 けれど、さすがに庇うに庇えないのか、若葉は頬に手を添えてポツリと呟いた。


 いつも優しい彼女がそういうということは余程のことをしている、という自覚が芽生えたのかもしれない。

 雪が静かに座ると深いため息が聞こえてきた。


 チラっとそちらを目配せすれば、乱雑にティーカップをテーブルに置く菫の姿が見える。

 眉間にシワを寄せ、凄む彼女に反抗する気は起きないようだ。雪は指を差し、独り立ちする前についていた先輩を売った。



「おい、赤いの」

「ヤダ。ちょ、ちょっと待って!? 私たちは基本をちゃんと教えたわよ!?」



 雪に向いていた鋭利な視線は紅緒に向けられる。

 標的が自分になってしまったことに驚愕したらしい。

 ビクッと肩を揺らし、ブンブンと手を横に振って反論した。



「……それで、どうしてこうなる」

「私も驚いてるところよ」



 もし、彼女の言い分が正しいと仮定しても、成長した雪がこうなっていることが理解できないのだろう。

 嘆く菫と同じ気持ちなのだろう。紅緒もまた困ったように息を吐く。



「まさか、青の黒もか?」

「そんなことないわよ~。こんくんはこっちで教えてたけど、分からないことがあればすいくんに聞いてたもの」



 もう一つの疑問が生じたようだ。菫はピクっと眉を動かすと怪訝そうな顔をする。

 しかし、それは別の角度から棄却された。

 その声に誘われるようにそちらを向けば、若葉がにこやかに答える。



「……ちゃんと話を聞かないバカ娘とレディファーストのフェニミストが育てた男が組んでこんなちんちくりんになったというわけか」

「鬼畜の次はちんちくりん!?」



 どうして喧嘩しながらも、なんとかやって来れた理由がやっとわかったのだろう。

 頭痛がするのか、菫はこめかみに手を添えて眉間にシワを寄せた。


 自分にたいしての言われようが、どんどん悪化していく様は黙っていられなかったらしい。

 雪は酷くショックを受けた顔をして声を裏返した。


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