第5話
「……」
ぼーっと見上げる空は何処までも青い。
悠々と泳ぐ白い雲はどことなく、気持ち良さそうだ。
けれど、隣から漂う不穏な空気感に紺はチラっと横目で見る。
「…………」
「どーしたんだよ」
雪は眉間にシワを寄せて不服そうな顔をするだけで、何かを言うことはない。
いつもならはっきりと言う彼女が、態度だけで表している。
肩の力を抜いて膝に肘を乗せ、そのまま頬杖付いた。
「あ・ん・た・が! ご馳走用意してくれないからでしょ!?」
「俺の喰った分の量は用意しただろ」
その質問はしない方がよかったのかもしれない。
胸倉を掴んで揺らしながら、文句を言われるのだから。
相当ご立腹だったことが、今、はっきりしたのだろう。
紺はなされるがままになりながらも、自己主張した。何も怒られることはない、と。
「私が言ってるのは量じゃなくて質!」
「……」
「一回の質よ!」
「……ちゃんと対価になってるだろ」
しれっ、と言う態度全てが気に入らないらしい。
雪は見た目にそぐわない荒々しい声で問題を訴える。
流石に胸倉を掴まれ続けて苦しくなったのか、彼女の手首を掴み、緩めるよう試みるが簡単じゃない。
「ぬぐぐぐ……」
「まあまあ美味いのは用意しただろ」
彼の言い分は正しいいのか、雪は悔しそうに唸った。
首元を締めていた原因の手が離され、やっと息苦しさが解放され、紺はほっと息を吐く。
「だーかーら、一回で美味しいのを喰べたいんだって!」
「そんなことしたら、喰われる人間が可哀そうだろ」
「だから! なんで! 人間のことなんか考えるのよ!?」
彼女の中で、全然問題は解決していないらしい。
ぷっくりと頬を膨らませ、駄々をこねる子供のように両腕を振った。
だが、彼もまた自分の意見を曲げる気はないようだ。
ふぅ、と息を吐いて返すだけ。
キーキーと喚く。それはまるで威嚇する猿のようだ。
「お前の場合は俺と違って人間の良夢を喰うんだ。人間にとって良い夢を喰うって分かってんの?」
「分かってるわよ。そんなの」
これを言うのは何十回……いや、何百回目だろうか。
下手したら、それ以上かもしれない。
眉を下げた紺が問いかければ、彼女は難色を示し、頷く。
言いたいことは分かっているらしい。
「だったら、そのいいものを奪うっていうことに罪悪感を持てよ」
「じゃあ、人間は自分たちの糧に罪悪感を持ってるとでも言うの?」
やっと伝わった。その思いが、心を軽くしたのかもしれない。
先ほどの硬い表情を和らげて雪の頭を撫でた。でも、彼女は眉根を寄せたまま、疑問を投げかける。
理解はしていても、納得はしていないようだ。
「……持ってるやつだっているだろ」
「あたりまえだって思ってるやつが大半じゃない」
虚を突かれた質問だった。
確かに罪悪感を持って食事をしている人間がいるのか、と聞かれれば、それは限りなく少ない。
紺は簡単に答えることができず、目を真ん丸にさせた。
一瞬で考え、出た答えをそのまま口にする。
しかし、彼が即答できずにいたほんの少しの間が、全ての答えだと思ったらしい。
雪はプイッとそっぽ向いた。
「感謝して食べてるだろうよ」
「食品ロスってテレビで見たけど、あれって食べ物を無駄にしてるってことでしょ?」
否定することができないからこそ、紺は別の視点をするしかなくなる。
それならば、確かに罪悪感を持って食べている人間より格段に多いだろう。
だが、まだ納得していない彼女はツーンとしたまま。チラっと相手の様子を見ては、また反論した。
「夢喰いバクがなんでテレビなんか見てんだよ……」
「た、たまたま見かけただけだもん」
雪の口から出たそれに、彼はガクンッと頭を下げて弱々しく吐き捨てる。
その姿に彼女は慌てたように言い訳を始めた。
本当にたまたま見かけただけなのか、それとも人間の娯楽に興味があってみたのかは謎だ。
「確かにそりゃ問題だろうが、それ関係あるか?」
話がそれたことを思い出すと、前髪をかき上げて問いかける。
悪夢と良夢の質と量の話をしていたにも関わらず、なぜ、人間の食糧問題に話が変わってしまったのか。それが不思議でならないのだろう。
「私たちは対価を払って喰べてる」
「ああ」
「人間の悪夢を黒バクが喰べる代わりに人間の良夢を白バクが喰べる……ロスなんてしたことないわ」
「……そうだな。ロスしたとしても人間が見た夢を覚えてるだけだしな」
雪は自身の両手をじっと見つめる。
それは世の理を守っているからこそ、出る言葉だ。
だからこそ、彼は否定することはない。ただ首を縦に振る。
「人間は硬貨と食料を交換する。それは問題ないわ。だって、対価だもの」
「……」
「でも、買ったものの存在を忘れて腐らせたり、胃が満たされて食べきれずに食べ残して捨てられる……なんなら、誰の手にも渡らず、捨てられるのよ。代償を払っていないとすれば、人間の方よ」
まだまだ語り足りないようだ。
ただ黙って耳を傾ける紺に、険しい顔をしてじっと見つめた。
「そうだな。でも、それは俺たちが考える事じゃない。いつか人間が払うべき対価だ」
「そう、私たちに関係はないのよ」
無駄にしていることは事実。
ゴミに群がるカラスの姿自体が物語っているのだから。
だからこそ、彼もまた同意した。
けれど、紺からすればどうでもいい事実らしい。
適当に話を折れば、彼女も同調する。
「じゃあ、わざわざでかくて良い夢を奪う必要もないよな」
「それとこれは別でしょ。私が喰べなかったら、別のバクが喰べるだけなんだし」
「だとしても、お前は喰いすぎだ。頻度を考えろって言ってんだよ」
彼は念を押すように確認するが、素直に応じることはない。
ムッとした顔をして反論する彼女に頭を抱え、射貫いた。
それでも、雪は負けじとばかりに睨み返す。
「私たちは夢を喰べないと死ぬのよ。どちらが多くても少なくてもダメなの。何故なら――……」
「俺たちは同等の量と質の夢を喰わないと朽ちるから」
理由を再確認させてやろうと言葉を続けるが、その先、彼女が何を言うのかが分かったのだろう。
紺は流れるようにその続きをあえて、言った。
「そうよ。良い夢を喰われたって人間は死なないわ。見た夢を忘れるだけよ」
「……はあ、ご馳走を喰うなとは言わない。だけど、頻度を抑えるように努力はしてくれ」
「何よ、もう!」
わざわざ幸せな夢を奪う必要もない。
この疑問を言うために用意された会話だ、ということを嫌でも理解させられる。
何度話しても交わることがないからこそ、彼は落としどころを見つけた。
しかし、彼女にとって気に入らないようだ。ガバッと立ち上がると憤りを込めた声が出る。
「あ、おい! どこ行くんだよ」
「あんたの夢を探しに行くのよ! バカ!」
話はまだ終わっていない。眉を吊り上げて声をかけるが、相手もまた相当怒っているらしい。
鋭い眼光を送って声を荒げれば、屋根から飛び降りてどこかへと行ってしまった。
「……真面目というか、なんというか……これじゃあ、また質の良い悪夢なんだろうな」
食事の準備をしに行った姿に呆れつつも感心する。
しかし、その結果がいつもと変わらないと思ったらしい。
力尽きたように屋根の上に寝転がった。
「……今日、女子会とか言ってなかったか。アイツ」
青い空をぼーっと見上げて、ふと思い出すのは浮かれた
ぽつりと零すが、それは誰にも拾われることなく、空気に解けた。
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