第4話
「……」
夢の主の精神が安定したのを確認するとゆっくり、閉じていた
目の前にいる彼女は眠りながらも、眉間にシワを寄せていた。
額に指先がトンッと触れた瞬間、広がっていた黒いモヤは触れた場所へと、吸い込まれるように集まっていく。
「…………来い」
全てが指先に来たのを感じ、手を離した。
彼の指先を追うように付いていく黒いモヤは、どんどん未希から離れる。
クルクルと宙に円を描き、指先を回すと外へと出されたそれは誘導されるまま、丸くなった。
手のひらの上でプカプカと浮かぶ漆黒の球体はバスケットボールほどの大きさだ。
「……いただきます」
もう悪夢を見ていないのだろう。
女の子は先ほどと比べて格段に表情が和らいでいる。
紺は胸を撫でおろすと球体に口を付けた。
すると、それは青黒く光り、薄く開いた唇から吸い込まれていく。
「っ、……」
身体の中に
脳裏に浮かぶ視線は随分低く、明らかに自分のものではない。けれど、映像は勝手に進む。
玄関に近い部屋は薄っすら扉が開かれており、そこからこっそり覗き込んだ。
先ほど、夢に入った時に見た死神が何かを見下ろしている。
アレの視線の先を辿れば、恐怖に滲んだ両親らしき男女が互いを抱きしめ合いながら、追い詰められていた。
死神は鎌を静かに振りかざすと血しぶきが部屋中に散る。
力なく重なり合う男女に、非常にも奴はもう一度、刃を向けた。
(これは……キツイな)
じわじわと血の海が部屋に広がる中、奴はしゃがみこむ。
もう動かない二人の左胸に、遠慮なく手を突っ込んだ。無常な姿に紺は息を飲む。
これが幼い少女の見た夢だというのだから、当然だ。
目の前で殺された両親を失う悲しみ、次は自分の番かもしれないという恐怖。
絶望の淵に立たされるこの悪夢を何度も体験したのか、と想像したら、心臓が握りつぶされるんじゃないか、とばかりに痛くなる。
でも、それを感じる度、コクと旨味が口の中にじゅわり、と広がった。残酷なことに美味の味だ。
その事実が、暗く重い方へと導こうとしているようで、不快感が増す。
「どうどう? 美味しい?」
「……ああ、美味いよ。濃厚な悪夢だったからな」
イスに座っていた雪は立ち上がり、顔を覗き込むように問いかけた。
それは彼の思いなど知らない、ただ用意した食事にたいする感想を求めるもの。
能天気な声かけにハッと我に返る。
期待に満ちた目が刺さっていると、自覚すれば、先ほどの光景がまるで嘘のように感じられる。でも、嘘じゃない。
それは未だに口の中に残る味が証明している。だからこそ、皮肉そうに言った。
「それは良かった」
「ごちそーさん」
「それじゃあ、今度は紺の番だからね」
スッと細められた目を向けられても動じないところを見ると彼女は図太い神経を持ち合わせているのだろう。
嬉しそうに頬を緩ませる姿にもう何も言う気になれなかったのかもしれない。
紺は用意されたことにたいして、礼を言うと雪はビシッと指差した。
「……あ、この近くにあるぞ」
「ちゃんと
切り替えの早さに不満を覚えたのか、彼は眉間のシワを深く刻んだままだが、瞬間的に何かを捉えたらしい。
感じる方へと顔を向けてぽつりと呟くと今度は、彼女が眉根を寄せる。
「
「私が言ってるのは
しれっと答えるが、雪の疑問が晴れることはないようだ。
さらに問い詰める。
「なんでそんなにこだわるんだよ」
「食事に力を入れないとかあり得ないんだけど」
「小さい夢を何個か喰えば問題ないだろ」
紺からするとそのこだわりが理解できないのだろう。
呆れたようにため息をつけば、彼女も苛立ちを覚え、偉そうに物を言う。
交わらない意見に、彼は乱雑に頭をかいた。
「量の問題じゃないわ! 質の話よ! 小さい夢ほどおいしくないじゃない!」
「そりゃ、質素だけど喰えないことも――」
「なんで美味しくない夢をわざわざ喰べなきゃいけないのよ!」
ワナワナと肩を震わせ、訴える姿が迫力的に見える。彼は引き気味だ。
言わんとしていることは分かるのだろう。言い分を認めつつも、意見しようとした。
けれど、それは最後まで声になることなく、食い気味に切り捨てられる。
「早く悪夢を喰えば、夢で苦しむ人間が減る」
「はっ、そんなの私に関係ないわ」
黒バクが悪夢を喰えば、人間の苦しみが消える。悪夢がなくなるのはいいことだろう。
しかし、大きくなるのを待てば、それだけ苦しみは続く。
全ては自分たちの気分次第で人間の苦楽が変わってしまう。
その重要度を理解しようとしない態度に、紺は目を吊り上げた。
でも、彼女にとってはバカバカしいことらしい。鼻で笑うとそっぽ向く。
「っ、お前な……!」
「世界は弱肉強食よ……いいじゃない。無防備に寝てる人間が悪いのよ」
吐き捨てるその態度に怒りが湧く。
声を荒げるが、対峙してる雪はどこまでも冷静だ。冷めた目で正論を語る。
「無防備って……寝ないと生きられないだろ。人間は」
「そうよ。だから、何も知らずにのうのうと寝てればいいんだわ」
全てを人間に押し付ける発言に、眩暈と頭痛を覚え、彼は頭を抱えた。けれど、彼女もバカではない。
紺の言いたいことも分かっている。だからこそ、首を縦に振って柔らかく微笑んだ。
それが正しい、と言わんばかりに。
「……もう少し言い方ないのか…………俺は悪夢だけど、お前の場合は
「食料の心配なんてしてどうするのよ」
どこまでいっても、話は平行線。
その事実に力が抜けるのか、覇気のなく返すと顔を上げる。
困惑した目が意志の固い瞳と交差した。
「お前の
「それはね、こっちのセリフよ」
もう諦めてしまったのだろうか。紺は首を横に振って自身を労わる。
けれど、それは見過ごせないようだ。
雪もまた見下ろすように、顎をくいっと上げて言い返す。
「ダメだ……お前と話してても生産性がない」
「よく気が付いたわね。さっさと私のご馳走を探しなさいよ」
スタスタと歩きながら、深いため息を付く。
愚痴の一つや二つ零さないとやってられないのか、聞こえるようにわざと吐き出した。
しかし、そんなものは彼女には効かない。
良夢を探しに歩き出した彼に満足げに笑って軽い足取りで後を追った。
「小さ――」
「だーめ」
紺は諦めたように見せかけて、実は諦めていなかったらしい。
もしかしたら、大きな夢を探すのは大変なのかもしれない。
小さい夢でいいか、と聞こうとしたが、それは言い終わる前に棄却されてしまう。
「…………」
深い眠りについてる少女には、先ほどの彼らの掛け合いも、パタリと締まる扉の音も気づくことはなかった。
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