第3話
「……」
ゆっくり目を開くと、場所が変わっていた。
先ほどまでいた女の子の部屋ではなく、リビングだ。
リビングからダイニングもキッチンも見えるからいわゆる、LDKという造りだろう。
キョロキョロと辺りを見渡しても、誰もいない。
なんなら、夜目が効いてるから問題ないが、真っ暗だ。
(夢の中も夜、か……
現実と夢の中がリンクしている。
それしかいま、分かることはない。
リビングから出て家の中を探ろうとした瞬間、ゾワッと背筋が凍った。
寒くないのになぜか寒くて、栗毛が立つ。
本能的に身の危険を感じるそれに、悪寒を感じる方へと視線を向けた。
リビングから出ると二階へ上る階段と玄関へ続く廊下があるだけ。
いや、玄関から一番近いところに扉が一つある。
しかも、そこは扉が薄く開かれていた。
(……ここに悪夢の正体がいんのか?)
足音を立てずに、壁に寄りかかる。
妙に早い心拍数を下げようと息を整えて、意を決して中を覗き込んだ。相も変わらず、暗い。
なかなか見えにくい部屋の中でクチャクチャ、グチャという妙にリアルな音が聞こえてきた。
(何がい――……!)
目を凝らすと闇の中で、さらに漆黒の人型が動いている。
腰を曲げて何かをしていたようだが、手を止めると腰を正した。
その横顔に紺は息の仕方を忘れた。
闇に同化しているとはいえ、人型の横顔が見えたからだ。
(……これは、あの子にしたら相当な悪夢だろうな)
細い腕、細い手に、指先。
何故、暗い中でも分かるのかと問われれば、答えは簡単だ。
奴が闇に溶け込まぬ白を持っているからだ。
切り取られたように目立つそれは人骨と酷似している。
何が楽しくて黒い布に覆われた白骨死体が自分の家の中でウロチョロしている夢を見たいだろうか。
幼い子供にとって恐ろしい夢としては十分条件を満たしていた。
だからこそ、彼は納得すると覗くことをやめ、もう一度、壁に寄りかかって止めていた息をゆっくり吐き出す。
(二階……、か)
幼い少女があんな恐ろしいモノの近くで隠れるようなことはしないと思ったのだろう。
もう一度、息を殺して、二階へと続く階段を上った。
(――で、どこの部屋にいるんだ)
二階には三部屋ある。普通なら、自分の部屋にいるはずだ。
けれど、女の子の部屋は階段から一番近い。
だからこそ、別の部屋にいる可能性を捨てきれないようだ。
(とにかく探すか……アレと接触するのは勘弁……!)
考え込んでる時間もあまりないのかもしれない。
軽く息を吐き出して一歩踏み出した瞬間、聞こえてきた。
静かじゃなければ、聞き逃してしまうほど小さい、
「……」
それは間違いなく、近い。
遠くにある部屋や中距離にある部屋から聞こえるほどのものじゃない。
考えられるのは夢の主の部屋。
ドアノブを回し、扉を開けると現実で見た光景と同じ。
扉の正面には勉強机があり、その上には赤いランドセルが置かれている。そして、その隣にはベッドが備わっていた。
違う点があるとしたら、ベッドの上にあの子がいない、ということだけ。
「ひっく、……ふ………っ、うう……」
夜目が効くにしてもあの小さな体がどこにいるのか、見当もつかない。
声を頼りに少しずつ静かに歩く。
(どこに隠れる場所があんだ?)
勉強机の下に潜り込んでることもなければ、ベッドと勉強机の間にも隠れてはいない。
クローゼットはあるけれど、声のする方とは反対だ。
キョロキョロと辺りを見渡してるうちに部屋の窓際まで来てしまった。
(……いた)
横を見れば、窓とベッドの間に隙間がある。
それも子供が隠れそうなちょうどいい隙間。
下に向けていた視線を上げて部屋の角を見れば、小さな体をさらに小さく縮めている女の子の姿があった。
「……大丈夫か」
「っ、ぃゃ、ぁ……」
恐怖からかウサギのぬいぐるみの首を絞めるように抱きしめながら、涙する姿に痛ましく感じる。
紺は驚かせないように慎重に近寄った。けれど、それはなかなか難しかったらしい。
少女はビクッと肩を跳ねさせると緊張で締まる喉を酷使して叫ぼうとしたが、それは思い通りにならない。
先ほどと変わらない小さな叫びだ。
「驚かせてごめん。俺は君の味方だよ」
「……ほん、と………?」
「本当だよ。助けに来たんだ」
どうやっても怯えさせてしまう。
分かってはいたことだけれど、増す罪悪感に眉を八の字にさせる。
そして、しゃがみこむと恐怖に滲む瞳と目を合わせた。
窓から入る月明りが、暗い闇をほんの少し照らす。
交わる海のように深いのにどこかほっとする青に、ポロリと涙が零れ落ちた。
震える声でもう一度、聞けば、彼はぎこちなく目を細めて少女の涙を拭う。
「こ、こわ……こわかっ、た……よぉ」
「ああ、……よく一人で頑張ったな」
「う……うぅ」
拭ったのにまた溢れるそれはまるで、決壊したダムのようだ。
人肌が恋しいのか、誰かもわからない彼に両腕を伸ばすと抱き着く。
シャツがジワリと濡れていくのが分かるけれど、その行動を止めようとはしなかった。
まだ十にも満たない子供が悪夢の中、必死に一人で耐えていたのだから。
「名前、言えるか?」
「ヒック……み、
「未希か。いい名前だな。もう大丈夫だから泣くな」
止まらない涙と恐怖の中、答えてくれたことにほっとしたのだろう。紺は表情を和らげるとポンポンと叩く。
「ママとパパがぁ……」
「……パパとママがどうした?」
「し、にがみ……ヒック、……しに、がみにっ、……うっ、ふ……た、食べ、られちゃった、の……ヒック」
「死神、か」
彼は未希の両親を一度も見ていない。
なのにも関わらず、出てくる二人の名前に眉根を寄せた。
落ち着いた口調で問いかければ、泣きすぎて息を吸うのもやっとの中、なんとかして伝えようとする。
死神、幼い子から出てくるにしては物騒だ。けれど、思い当たる節はあったのだろう。
一階で見た真っ黒な中に薄っすらと見える人骨のような顔を。そして、クチャクチャという音を。
「み、未希……ッも、た、食べられ、ちゃう……ヒック、のぉ?」
両親が食べられて心細いのと自身も食べられてしまうんじゃないか、という不安から零れた。
ただの夢だから、そんなに恐れなくていい。けれど、夢だと自覚していないのだとしたら、それは無理な話だ。
いや、自覚していてもどうすることもできなかったら、恐ろしいのは変わらないだろう。
「大丈夫。兄ちゃんが守ってやるから」
なんと声をかければ、安心させることができるか。
それを考えるけれども、口から出るのはありきたりなものだ。
言葉選びがそんなに上手じゃない自分に、紺は失笑する。
「……え?」
「俺が喰ってやるから安心しろ」
あたたかい手に包まれ、未希は目を真ん丸にさせた。
優しい言葉と裏腹に交わる深い青が揺らぐ。
だから、とても寂しく悲しそうに見えた。
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