第1話


「ママ……」

「あら、未希みき……どうしたの?」

「ねるの、こわい……」



 小学校上がったか、上がってないかくらいの少女は不安そうな顔をしている。

 ウサギのぬいぐるみを大事そうに抱えて、母親の元へと駆け寄った。


 驚いた母親は膝を折って視線を合わせると娘はぬいぐるみをギュッとして、震える声で訴える。



「怖いの?」

「うん……こわいゆめ、みるの…………」



 母親は安心させるように話しかけると未希はコクリと頷き、甘えるように抱きついた。

 恐怖からくるソワソワとした感覚を落ち着かせようと、本能的な行動だろう。



「どんな夢を見たの?」

「………いいたくない……」



 トントン、とゆっくり、歩くテンポで背中を優しく叩きながら、問いかける。

 けれど、少女は眉根を寄せて、首を横に振った。

 きゅっと唇をきつく締めているから、彼女にとってよほど・・・なのかもしれない。



「大丈夫。……大丈夫よ」

「……どうしてぇ?」

「黒バクさんが喰べてくれるわ」



 困った、と静かに息を吐きつつも、母親は我が子を慰めた。

 その言葉に、抱きついていた身体を少し離し、未希は理由を求めた。

 愛らしく首をこてん、とする姿に母親はふと目を細める。



「……来てくれてないもん」

「…………黒バクさん、忙しいのかしら」

「いそがしいの?」



 怖い夢を見ているのに、喰べに来てくれない。

 これが現実だからこそ、受け入れることができないらしい。

 娘の思いもまた分かるのだろう。


 どうやって、説得させるか。それを短い時間の中で考えると、自身の頬に手を添えて大げさなほど、困った顔をした。

 忙しい、という言葉にピクリと反応して顔を上げると視線が交じる。



「怖い夢を見てる人がたっくさんいるのかもしれないわ」

「わたしだけじゃないの?」

「そうよ、ままも見るときあるもの」



 なかなか黒バクが来ない理由を想像し、伝えると大きな目がパチパチと瞬きした。

 抱え込んでる悪夢は自分一人だけじゃない、と初めて知ったらしい。

 話が心に届いたと感じたのか、母親は頭を撫でながら、言葉を続ける。



「ママも?」

「そうよ。でも、忘れちゃったわ」

「どうして?」

「そうね……きっと、黒バクさんが喰べてくれたのよ」



 未希は興味深そうに身を乗り出すと母親はコクリと頷いた。

 怖い夢を簡単に忘れてしまう、なんて信じられないのだろう。

 疑っているのか、自然と眉が八の字になる。


 そんな我が子がかわいらしく見えるのかもしれない。

 彼女は微笑みながら、答えた。そこには根拠なんてものはどこにもない。

 けれど、どこか確信のある言葉に聞こえた。



「じゃあ、未希のゆめもたべにきてくれるかなぁ?」

「ええ、喰べに来てくれるわ」

「……じゃあ、ねる!」



 なんとなく安堵を覚えたのだろう。

 強張っていた声がいつの間にか和らいでおり、表情も柔らかい。

 それにほっとしたのか、母親もにこっと笑って首を縦に振った。


 未希は、よしっと自分を鼓舞するように両手をグッと握ると決意を表した。



「まだ怖かったら、ママと一緒に寝る?」

「もうしょうがくせいになったからひとりでねるの!」

「そっか……じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみなさ~い!」



 そんな力んで寝る必要はどこにもない。

 だからこそ、娘を思って提案をしたけれど、余計なお世話だったらしい。

 ぷっくりと頬を膨らませ、母親と距離を取った。


 娘の成長に頬を緩めて手を振れば、同じように手を振り返される。

 未希はウサギのぬいぐるみを抱え直してリビングを後にした。


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