第6話 擬態・1

 結婚するのにも順番がある。まずは今更ながら父親にアストを紹介する。それから、家長同士で弁護士を連れて持参金などの嫁資を取り決める。婚約が済んだら、教会に何日か公示を出した上で、結婚式を経て夫婦となる。

 一番揉めるのは財産の取り決めだ。しかし、内容がエスターに有利なものばかりで、アストがそれを承知しているため、交渉に時間はかからないだろう。今は草案でしかない婚姻継承財産の契約も、それでやっと効力を持つようになる。

 時代は進歩したとは言えど、結婚だけは面倒な手続きばかりだ。それでも、晩餐会で一度に顔合わせするだけで結婚を許されることは幸運なのだ、とエスターは自分に言い聞かせている。

 今夜、両家が初めて話をする。現時点では、まだ取り消しの言葉さえも必要ではない希薄な関係だ。


「だから、その――変わった人だから、あまり期待しすぎないで欲しいんだけど」


 侯爵邸での晩餐会に向かう馬車の中、エスターがもぞもぞ発した何度目かの言葉に、父親と母親は呆れた顔で笑った。


「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」

「そうよ。ちょっとやそっとの変わり者なら、気にならないわよ。みんなどこかしら変なところなんてあるんだから」

「いや、ちょっとやそっとというか……」

「貴女が好きになった人と会えるのが楽しみだわ。パーティでもお会いしたことがないし、貴女ちっとも話してくれないんだもの」


 何度言っても両親の期待値が減らないことに、エスターは困り果ててしまった。

 エスターが話さないのは、話せないだけである。アストのことをよく知らないし、二人の間には具体的なエピソードも少ない。知っているのは、アストが魔術の研究に没頭したいこと。両親を早くに亡くし、祖父を大事に思っていること。歳は六つ離れた二十八歳であること。興味があること以外、例えば金銭などには頓着しないようだということ。

 侯爵家とは異なり、父親や母親はアストについて身辺調査を行った様子もまだない。幼い弟は純粋に、義兄となるかもしれない人に会えるんだと楽しみにしている。すでにアストに会ったことのある妹だけが、さっきからあらぬ方向を向いている。


「そんな顔して、心配しすぎよ。好きな人を家族にも気に入って欲しい、って気持ちは分からなくないけどね」

「…………」


 母親に反論したくとも出来ないエスターは、そこで口をつぐむしかなかった。

 エスター自身はアストの髭面なんかがそこまで気にならなかったが、何日か前、妹による『変な人』という評価を聞いている。自分のことばかり気にしていたエスターだったが、直前になって、両親が反対してくるのではないかと怖くなってきてしまった。

 ある意味でアストが『変な人』だったからこそ、エスターの申し出を受けてくれた側面は否めない。こんな好条件で受け入れてくれる人が次に出現する見込みはない。

 不安を解消できないまま、馬車が侯爵邸の前に停まった。ほとんど全ての使用人がオートマタに置き換わっている侯爵家に、両親たちは圧倒されているようだった。訪問が二度目のエスターは、贅沢さには驚かない。問題は人だ。相変わらず訪問者を威圧するような大階段を通り、応接間へと案内された。


「……あ、――」


 部屋の中にアストを探す。が、そこに見知った髭面の男はいなかった。部屋の中央、黒い髪をした男に目が留まる。エスターと目が合うと、その男は虹色の瞳を大きく開いた。その瞬間、エスターは目の前の人物が誰なのかを理解し、息を呑んだ。


「素敵な方じゃないの」


 母親がエスターにだけ聞こえる声でそっと囁いた。

 気にかけていた両親の心象のことはエスターにとってはもうどうでもよくなってしまっている。それより、頭の中は目の前の人物についての疑問で埋め尽くされている。

(どうして? もしかして、私が気を使わないとなんて言っていたから?)

 自分の契約相手が、無頓着な世捨て人のような姿から、宗教画から抜け出してきたような非の打ちどころがない美男子へと変貌していた。髭の落とされた輪郭と高い鼻梁がその端正な顔立ちをさらに際立たせている。ぼさぼさとしていた黒髪は今や艶やかに整えられており、エスターが仕立て屋に手配させた銀の髪留めでまとめられていた。隠されていた虹色の瞳は今や露わとなったが、その奥にはまるで星々が輝くような神秘が宿り、見る者を虜にして離さない。

 見慣れぬ男はこちらをじっと見た後、ゆっくりと立ち上がり、おずおずと差し出されたエスターの手を取り、挨拶をした。


「エスターさん、こんばんは」

「こ、こんばんは」


 手の甲へアストの顔が近づき、エスターは思わずがらになくどぎまぎしてしまった。ぎこちなく笑ったエスターに、アストが柔らかく微笑う。そのままアストは自分の家族を紹介し、エスターもそれに倣った。

 アストの祖父リットン・スターリング卿は厳格そうな老紳士であり、エスターはドレスや髪をそれなりにしてきて良かった、と心から安堵した。両家の紹介が済んだことで、応接間の中は和気藹々とした雰囲気になり、穏やかな歓談に満ちた。

 場が温まってきたところで、準備が出来たと晩餐室に呼ばれる。家長であるアストにエスコートしてもらいながら、エスターは階段を降りた。


「あの――」

「ドレス、お似合いです。髪留めをありがとうございました」

「いいえ、こちらこそありがとうございます……」


 腕を貸してくれるアストへ話しかけたものの、言葉をかぶせられたことで、エスターはすぐ後には家族がいることを思い出した。言いたいことはたくさんあったが、今言えるはずもない。

(でも、言葉には気付けないと。いつも何も考えずに話をしてしまうから。見た目に気を遣えという嫌味のつもりなんてなかったのに。それだと、このドレスも意味が変わってくるし……アストさん、気を悪くしてないといいけど)

 丸いダイニングテーブルを囲み、男女が交互に座る。料理が運ばれ、他愛無い話をしながら時間を過ごす。基本の社交活動なので子爵家でも晩餐会はよくあるが、主賓として呼ばれたことはない。エスターは弟とスターリング卿の横になり、何か粗相をしないか気が気でなかった。

 ふとアストの方を見ると、母親と妹に挟まれ、少し困った顔をしていた。女性と話すのが苦手だと言っていたのを考えると、向こうも相応の試練を受けているらしい。エスターには母親が嬉しそうに見えたが、妹はいつもの愛想がなく、アストを睨みつけているように感じられた。

 それに気がついてからちらちらと妹の様子を窺っていると、デザートが運ばれて皆が一瞬静まった途端、妹はアストへにっこりと笑った。


「……アスト様は、姉のどんなところが好きになられたのですか?」

「えっ?」

「あら、ぜひお聞きしたいわ」


 母親が同感を表したところで、一同の顔が一斉にアストへ向いた。

 事前の打ち合わせで、母からどこかのタイミングで聞かれるかもしれないとは伝えてあったが、まさかこの顔合わせで、しかも妹から発生するとは思っていなかった。


「それで、実際のところ、どうなんだ?」


 意外なことに、スターリング卿もこの話題が気になるようだった。アストは半笑いで少し考えるようなそぶりをした後、ゆっくりと目を伏せた。


「……そうですね。エスターさんとの出会いは、彗星の新発見のような喜びでした。彼女が私のところへ落ちてきて――その、比喩です。結婚に対する考えががらりと変わりました、隕石の衝突ような衝撃を受けたのです」


 アストはそこまで言うと、質問をした妹へどきりとさせるような微笑みを向けた。途中危ういところもあったし、肝心な答えにはなっていない。しかし妹は迫力負けしたらしく、赤くなって俯いた。


「……孫は天体も研究しておりまして。わかりにくい例えが多くて、お恥ずかしい」

「あら、素敵でしたわ」

「なるほど。天文学ですか。エスターの名前は、星を意味しますから、それにかけたのかと」


 アストが天文学を研究しているとは初耳だったが、エスターは当然知っているかのような表情を作った。親たちは好き勝手に品評をし始めている。エスターはアストが安心したような表情をしたのを見逃さなかった。内心は余裕などないようだ。それに気がつき、エスターは思わず笑ってしまいそうになった。


「まったく……」


 スターリング卿が深いため息をつく。何か失望させたのかとエスターは身構えたが、その表情は明るかった。


「息子夫婦を亡くしてからというもの、侯爵家のことは心配だったが、お前は結婚をしてくれないと思っていた。まさか、こんな素敵なお嬢さんを連れて来るとは思っていなかった。儂が死ぬ前には、ひ孫の顔が見えそうで安心した」

「……お祖父様、酔われてますね? まあ、そこは授かり物と言いますから」


 アストがさらりと笑いながらかわした。エスターも無言で微笑んでおいた。


「そんなさびしいことをおっしゃらないでくださいな」

「そうですよ。楽しみが増えれば、心に張りが出ますから。ますます長らくお過ごしになられますよ」


 こういう時に、こういう言葉をかけてられる両親を誇りに思いつつ、エスターは罪悪感で身を縮めた。アストの両親のことは伝えてあるからか、母親なんかは少し目を潤ませている。その顔を見て、親は永遠には生きないのよ、と言われたことをエスターは反芻していた。

 やや湿っぽくなった雰囲気に、少しだけ会話が途切れる。すると、さっきからちらちらとエスターの顔を窺っていた弟が、突然横から聞いてきた。


「……それで、エスターは?」

「なにが?」

「どこが好きになったの?」


 今度はエスターに視線が集まった。

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