幕間・彗星
昔見た彗星の色だな、とアストは思った。
手の中にある銀製の髪留めには、淡い青色のカラーストーンが嵌め込まれている。それは贈り主の瞳と同じ色をしていた。
『もらっていてばかりは悪いので、お贈りします。わたしも似たものを持っていて、髪が長かった頃、気に入ってつけていました。アストさんに似合いそうなものを見繕うようにお願いしましたが、気に入っていただけると嬉しいです。エスター』
恋人同士の贈り物は、色やモチーフに自分を潜ませるものだとアストは聞いたことがあった。しかしメッセージカードを読む限り、彼女にそんな意図はなかったようだ。
おそらく彼女とアストとの仲を察した仕立て屋が気を利かせて、わざわざ彼女の瞳に似た青い宝石入りのものを探してきたのだろう。彼女へ贈った品の報告に昨日来なかったのはこのためだったのか、とアストは商人の性分というものに呆れた。
薄暗い研究室の中、灯りにかざすと、青い石は一層きらきらと輝いて見える。
「……もらってばかりいるのは、こちらも同じなのに」
髪留めを手に、アストは青い目の彼女と出会った何週間か前のことを思い出した。
そろそろ結婚相手を見つけろ、と祖父に追い立てられて公爵家の舞踏会に参加したものの、輪に入ることも女性と話すこともなかった。慣れない場所では、何もしなくとも気疲れしてしまう。アストは密かにパーティを抜け出し、中庭で星空を見上げてやり過ごしていた。
そんな時、頭上のバルコニーに人影を見た。そこから飛び降りようとしている。思わず危険だと声をかけた瞬間、その人物は滑り落ち、目の前に降ってきた。
――青く燃える彗星の、アイスブルーの瞳。
突然落ちてきたその目に射抜かれ、驚きで心臓が跳ねたのを覚えている。
相手には見覚えがあった。ダンスホールの壁際で見た美少年。柔らかそうなウェーブの金髪の下、頬と唇は薔薇色に染められ、冷たい青い目玉がはまっている。そう表現したくなるほど、均整の取れた作り物めいた顔だった。あまり人の顔を覚えるのが得意ではないアストも、(もしも人型のオートマタに顔をつけてくれと頼まれたらこういう規格になるんじゃないか)などと酔った頭で考え、印象に残っていた。
相手にとってバルコニーから落ちたのは意図しないことだったらしく、焦りや羞恥といった人間らしさが見え、予期せぬ出会いはアストの興味を引いた。
話をしてみると、その人も親に言いつけられてパーティに参加させられていたらしかった。バルコニーの件は、舞踏会から逃げ出そうとしたようだ。自分とは違う世界の住人だと思っていた相手も同じ思いだというのが新鮮だった。少し打ち解けたことと、酒が入っていたせいもあり、アストは少しだけ調子に乗っていた。だから、いつもは絶対にしない恋愛観なんてものを初対面の相手にたらたら話をしていた。
「――貴方が結婚について求めるのは、恋愛ではない。と言うよりも、信頼関係のある妥協や合理的関係、なんですね?」
「えっ、ええ、まあ……」
会話の途中、その人は急に思いたった表情で胸の白い薔薇を抜き取り、アストに向かって差し出してきた。アストはその意味を測りかねて狼狽した。
「えっ、あの、その……?」
「黙っていて、すみません。わたしはエスターと申します。女です」
「えっ!」
驚くアストの手に、
「もしよろしければ、わたしと結婚――契約結婚いたしませんか?」
男性だと思って気安く話しかけていた人物が自身を女性だと告白し、出会ったばかりだというのに求婚してきた。しかも女性である彼女の方から。言い出した内容も突拍子がなく、頭を殴られたような衝撃が走る。頭の処理が追いつかず、アストはその場に硬直した。
「えっと、その、わたしも貴方も、自分のやりたいことがある。それでも……結婚をしないと家族や世間はなにかとうるさい。なら、我々が結婚するのは、その、合理的ではないかと思ったんですが――」
固まってしまったアストに、彼女はしどろもどろになりながら突然の求婚の意図を説明する。しかし、それでも呆然としたままのアストを見、彼女ははっとした表情になった。
そのうち、気まずくなったらしい。今までの言葉を撤回するように、おずおずとアストの手に握らせた薔薇の花を取り上げようとする。やっとアストは我に返り、彼女の細く長い指ごと花を握った。
「いえ! 断ったわけではないのです!」
「わっ」
驚いた声を上げた彼女の手を離す。突然、よく知らない男に手を握られたら、嫌悪を感じるはずだ。しかし、前髪の向こう、彼女の顔は曇っていない。それにアストは幾分ほっとした。
「あっ、いや、すみません。つい……その、黙っていたのは、女性と話すのが苦手でして……だから、拒絶したわけではないんです。ただ、ちょっと驚いてしまって」
まだ幾分酔ってはいるが、今のショックでだいぶ酔いが覚めた。
(いや、まだ酔っているのかもしれない。今、自分は、この女性のプロポーズを受けなかっただろうか?)
アストは訳が分からなくなりながら、彼女から渡された薔薇を自分の胸元へ飾った。そして、彼女に向かってまた会うことの約束をして逃げるようにその場を立ち去った。
それからどうやって自分が家に帰ったのか、アストはまるで覚えていない。次の日、目を覚ました時、あれは夢だったかとも疑った。しかし、彼女にもらった白い薔薇が確かにあった。深酒のせいかその日はずっと気持ちが晴れず、頭の中では彼女が上から落ちてきた時と、彼女から薔薇を差し出された時のことばかり反芻していた。
出かける時と違う花をつけて帰ってきたせいで乳母からは色々と聞かれたが、二日酔いで話す気にはならず、余計に乳母の気持ちを掻き立ててしまったようだ。うっかり、エスターという名前しか知らないと言ってしまったが最後。その翌日には、乳母が晴れやかな顔で相手のことを調べてきたと告げた。
誰に聞いたのか、彼女の詳細が綴られたメモの束を読むうちに、話した印象通りの好ましい人物というのが分かった。絵に関することと普段の服装以外の瑕疵はなく、浪費癖の話や浮き名を流したこともなかった。結婚相手を探すためにパーティへ参加するよりも、趣味に時間を使った方が有意義だと言う女性。まさにアストの期待する、アストが研究に没頭しても放っておいてくれる、信頼に値する人のようだった。
「まさか、返礼が返ってくるとは思わなかったな。ドレスや化粧品なんかが、そもそもお礼のつもりだったのに……」
彼女のプロポーズを受けるまで、結婚や恋愛について理想化しすぎていたとアストは自省している。結婚とは祖父母のように本当に愛し合う者同士でするべきものであり、そうでないと人生や生活は破綻してしまうと思い込んでいた。本気で結婚したいなら研究に没頭したい、家族にあれこれ言われたくない、なんて我儘は押し殺すべきだ、と。
しかし、そんなことは必要ないとでも言うように、彗星のごとく現れた彼女は合理主義の元に、出会ったばかりのアストに求婚したのだ。
そんな思想の転換を促した彼女は、再会した時、アストが非常に乗り気になっているのを見て、怪訝そうにしているのを感じ取った。しかしアストの事情を伝えるとすぐに納得し、その上、彼女を引き合わせる唯一の家族の心象すら心配する言葉を口にした。ドレスや化粧品は、そんな彼女をサポートするための必要投資という認識でしかない。
「……このままじゃ、似合わないな」
ホコリの被った鏡の中、手櫛でまとめた髪につけた髪飾りだけが不自然に美しい。
(お祖父様の件はきっとどうにでもなる。問題は、エスターさんというよりは自分か)
ここ最近は乳母に相談ばかりしている自分を後めたく思いながらも、アストは髪飾りを手に、研究室を出た。
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