第5話 贈り物

 肩に触れない短さの髪をどうにか編み込んでピンでまとめる。前から見れば、きちんと髪を結った形に見える。毛先の集まっている後頭部に付け毛を手で当て、エスターは振り返った。


「これなら誤魔化せそう?」


 先ほどから黙っている背後の妹は、怪訝な顔をしていた。


「うーん……短い毛がかなり飛び出ちゃってるけど、オイルをつけて、ちゃんとお支度の人に頼んだら問題ないと思う」

「そっか」


 一番の懸念であった髪の毛がどうにかなったことで、エスターは少し安心した。ここしばらくは髪を少しでもまともに伸ばそうと、細かく結んでみたり、絵を描く時間以外はブラッシングで血行を良くしようとしたりしていた。

 付け毛をしまい、鏡の中に視線を戻す。あとは、いつもはあまりしてない化粧も必要になる。流石に妹は大人の女性がするようなものは持っていない。エスターに至っては保湿用のローションくらいしか持っていない。


「化粧品は、母さんに言わないとどうにもならないか」

「……そうだね」

「普段ちゃんとやらないから、急に必要になると、どうしようもないな」


 そう言って笑ったエスターに、妹は眉を寄せた。


「お姉様、今まで髪がどうだとか、お化粧だとかなんて気にしなかったのに」

「まあね。今度、向こうの家で相手方の家族と会うから格好をしないと」

「今までお母様が何を言っても変わらなかったのに……」


 妹の暗い表情を見て、エスターは困ってしまった。妹が何故暗い顔をしているのかエスターには全く分からない。

(確かに、至らない姉の尻拭いを一緒にさせられているのは面白くないか)


「今更だと呆れるのは分かるよ。でも、今までが気にしなさすぎだったのかもしれないし。初対面は大事だと言うから、出来ることはしておきたくてね」


 エスターにも付け焼き刃だと言うのは分かっている。しかし契約の相手方に恥をかかせないためにも、自分がこれからの結婚生活を楽にするためにも、『お祖父様』には初対面で持ちうる限りの社会性を誇示しなくてはならない。

(可愛い坊ちゃんのために使用人が勝手に相手を調べるような家だから、きっと普段の行いは筒抜けだろうけど。それでもたったひとりの肉親の為の結婚なら、せめて安心くらいはさせてあげないと。相手には結婚した事実以外ほとんどメリットがないし)


「呆れてなんかないわ。でも、お姉様がお相手の方に会った時はいつもの格好だったじゃない。それに……あの、お姉様のお相手の侯爵様、すごく変わっているから。きっとご家族も気にしない。お姉様がそこまでしなくてもいいんじゃないかって」


 エスターは妹の言葉に目を見開いた。


「あれ? どこかで会ったの?」

「……やっぱり。いいえ、この間のパーティですれ違っただけ。ただ、胸元に白い薔薇をつけていたからもしかして、って覚えていたの」


(ああ、エイダがさっきから怒っているのは、アストさんのことで心配しているのか。もしこれで、実は契約結婚だなんて言ったら、どんな反応をされるのやら)

 エスターは妹に向かって明るく微笑みかけた。


「確かにちょっと変わってるけど優しい人だと思うし、そんなに心配しなくとも多分大丈夫だと思うよ」

「多分? 思う? お姉様それって――」


 妹が大きな声を上げた瞬間、ドアが叩かれた。


「どうぞ」

「お取り込み中のところ、失礼致します。エスターお嬢様にお荷物が届きました」


 メイドが部屋に入ってきて、鏡台の横のチェストに革張りの箱が置かれる。開けてみると、中には瓶詰めのローションや陶器の軟膏ケース、白粉、紅、眉墨などが入っていた。内封されていたカードにはアストの名前とともにメッセージが残っていた。


『ばあやに相談したところ、勧められたので贈ります。しかし、女性の化粧品は鉱物性のものが多くて驚きました。害の少ないものを選びましたが、長時間肌につけるものじゃないですね。基礎化粧品と紅くらいにするのが良いかもしれません。アスト』


 それを読んだ瞬間、エスターは大笑いしてしまった。女性にプレゼントを贈っているというのに色気のない文章の内容や、この間は使用人と紹介していた老婦人を実は『ばあや』と呼んでいるらしいこと。そして決定権は彼女の方があるらしいこと。エスターには気になるところばかりだ。

(相変わらずなんか面白いんだよなあ、あの人。それにしても、あんなことを言ったから気を使わせてしまったみたいだな)

 エスターはカードを大事にしまいつつ、妹に振り返った。


「噂をすれば、アストさんからだったよ。あんまり化粧はして欲しくないらしいけど、この間準備の話をしたからプレゼントしてくれたみたい。なら、しても薄化粧だね」

「……お姉様が自分でそう決められたなら……でも、やっぱり変な人に違いないわ」

「面白い人だから、エイダも話したらきっと楽しいと思うよ」


 その時、またドアを叩く音がする。別のメイドが入ってくる。エスターに馴染みの仕立て屋が来ているとのことだった。前触れのない訪問にエスターは面食らうが、母親が呼んだのだろうと納得した。

(それか結婚するんじゃないかって噂でも聞いて、嫁入り支度の営業にでも来たか)

 メイドたちと妹に断って、応接間へ向かう。すると、上機嫌な母親と出会した。


「あらエスター。ちょうどよかった。ご覧なさい、あなたの目の色と同じ色よ!」


 やはり、と思いながら、エスターは広げられたアイスブルーのドレスを眺める。

 何枚も重ねた氷のような繊細な薄絹が美しいシンプルなドレスだ。いつもスーツを作らせている仕立て屋のデザインだからか、やや直線的で中性的なデザインがエスターの目に馴染む。ドレスに抵抗のあったエスターにも、なんとなく自分らしいものに感じられた。古風な母が許容するドレスとは思えなかったが、これはアストという特定の相手がいる影響だろうとエスターは契約結婚のメリットを噛み締めた。

 仕立て屋に言われるまま、ドレスに袖を通してみる。普段から服を作ったり調節させたりしている店だけあり、エスターのサイズはよく知っている。あとは細かい寸法を詰めるだけらしい。このような服の仕立て方をしたことがない。エスターはやはり不思議な思いで成り行きにしたがっていた。


「あらあらあら! すごく似合うじゃないの!」


 母親が甘い声で喜びをあらわにする。


「髪もちゃんと結び直せば、誰が見ても素敵なレディだわ」

「そうかな? そう思う?」

「ええ、もちろん。ふふふ、やっぱり恋は人を変えるのね」


 口の固い仕立て屋だろうと、人前で自分のロマンスのことを指摘され、エスターは気まずく思った。母親も妹も、そのロマンスが偽物だとは知らない。


「もう、貴女って子は。もう少し嬉しそうにしなさい。せっかくの侯爵様からの贈り物なのに」

「えっ?」

「貴女がスターリング様に、ここが馴染みだって紹介したんでしょう?」

「……ああ、そんな話もしたような気がする」


 仕立て屋が嬉しそうに光栄だと御礼を言う。エスターは内心苦笑いをした。

 馴染みの店ならサイズや好みを把握している。だから短時間で気に入るようなきちんとしたドレスが仕上がる。『ばあや』はどこまで調査しているのか、その手際の良さにエスターはめまいを感じた。アストの贈り物が好意と打算によるものだとエスターにもわかっているが、化粧品にドレスとあまりにエスターの方が貰いすぎている。

 母親が父親を呼びに行ったのを見届け、エスターは仕立て屋に話しかけた。


「侯爵様へはこの後?」

「ええ、ご報告に伺う予定です」

「なら、ちょっと頼みたいことがあるんですけど」

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