第4話 呼び出し

「まさか、あれで、侯爵とは……」


 あの夜の約束が記憶から薄れつつあり、夢だったとさえ思い始めていた数日後。オートマタの馬車が子爵家のタウンハウスの玄関口に横付けされ、大騒ぎになった。

 馬車に乗っていた老婦人は、スターリング侯爵の命令でエスターを迎えに来たのだと告げた。それでやっと、エスターはあの虹色の瞳の世捨て人が、侯爵その人だったということを知った。

(あの人、何でもないように研究をやっている家だからなんて言っていたけど。スターリングと言えば、オートマタの基礎を作った家だ。魔術の大家じゃないか)

 エスターが花を交換した相手について、母親がどんなに尋ねようとも答えられなかったのは、名前すら知らなかったからだ。普段冷静沈着な父親も、この相手には目を見張っていた。

 詮索をしてくる家族や窓から顔を出した隣人たちを尻目に、馬車へ飛び乗ったエスターは、今や立派な戸建てタウンハウスの豪奢な応接間にぽつんと座っている。屋敷の中には人間の使用人はほとんどいないらしく、機械人形たちの動く独特な音が聞こえる。これほどの数のオートマタを揃えた屋敷をエスターはこれまで見たことがなかった。


「なんだか、途方もないところに来てしまった。というか、とんでもない相手に、大それた申し出をしてしまったんじゃ……?」


 エスターは直情型だが、その分熱しやすく冷めやすい。なので三晩経った今は頭が冷静になっている。あの夜に自分が振りかざした蛮勇を後悔し始めていたところだった。応接間の美しい調度品を楽しむ余裕もなく、恐縮することしかできない。

 そんな心理だったので、世捨て人のような男が慌ただしく部屋に入ってきた時には、その不釣り合いな様に安堵感を覚え、胸を撫で下ろしたくらいだ。


「お待たせしました」

「いえ、とんでもないです」


 目の前に腰を下ろした男は、相変わらずなんとも形容しがたい瞳の色をしている。見つめすぎているのを自覚し、エスターはそっと目を伏せた。


「本当は、舞踏会の次の日にでも動こうとしたのですが、二日酔いだったもので……」


(そんなに深酒だったのか。なら、きっとこれは断りの話かな? 忘れたふりをしていれば良いのに、律儀な人だ。帰ったらなんて言って母さんを誤魔化そうかな)

 一夜のうちに盛り上がって、その後責任をとって結婚しただの、どちらかが捨てられただの、女性の家族から半殺しにされただの。そんな話は枚挙に遑がない。男も酔いが覚めて我に返ったのだろう。口約束とは言え、相手がいるから焦ったに違いない。

 さっきまで後悔していたのにも関わらず、少しだけ残念に思う自分を不思議に思いながら、エスターは男の次の言葉を待った。


「それで、顔合わせも兼ねた略式で、結婚式自体も簡易なもので良いのではないかと思っているんですが、懇意の教会や希望はありますか?」

「えっ?」

「えっ……?」


 断りの言葉が聞こえてくると思っていたエスターは、男の意欲的な姿勢に意表をつかれて拍子抜けする。しかし、それ以上に男の方が驚いたようだった。


「相互利益追求のために、契約結婚してくださるって話だったのでは……?」

「そ、それは――」


 へなり、と男が項垂れる。そのしょぼくれた様子にエスターは目を見張った。


「……自分は揶揄われたんですね。それはそうだ。貴女のような方が自分なんかと……そうか、まいったな……」

「いえ! 違うんです! えっと、その、お名前をお聞きしてないのに話が進んだのに驚いてしまっただけで!」

「そ、そうですか。失礼いたしました」


 見るからに萎えていた男が、すぐに持ち直す。エスターはそんな姿にも驚いた。

(この人、おもしろ――いや、可愛い人だな?)

 おそらく年上であろう大人の、しかも髭面の男性に向かって可愛いと思う自分を後めたく思いながら、エスターは男に向かって微笑んだ。研究者というものはシャイな人間が多いのかもしれない。男は挙動不審になりがらも、改めて挨拶してくる。


「アストロフェル・スターリングと申します。アストと呼んでください」

「エスター・ニュークレストです」


(そういえば、フルネームで名乗ったのは初めてかな? なら、どうやってこの人はうちの屋敷が分かったんだろう?)


「それで、どうしましょうか? 結婚にあたり、取り決めをしなくてはならないのでは考えたんですが。婚姻関係はいつまでだとか。社交界やパーティーでのルールだとか。家族にはなんて言って隠すか、口裏も合わせないといけませんし」

「…………」


 アストは大真面目に契約結婚のことを考えている口ぶりだ。

 尻込みするほどの前向きさには怪しさを感じずにはいられないが、これはエスター自身が言い出したことだ。エスターは結婚や恋愛に対する幻想はない。舞踏会で素敵な男性からダンスに誘われるとか、ある日突然降って湧く運命的な出会いだとか。そういったロマンスを期待していない。だから、契約結婚なんて発想が出てきた。自分だけ臆病になっていたエスターは、なんだか申し訳なくなってきた。

(相互利益追求、なんて言った覚えはないけど。とにかく、相手が乗り気なら、こちらに有利な条件を出さなくては)

 貴族であれば、領地や財産を守るための愛のない結婚なんて珍しい話ではない。侯爵で名家の男子ともなれば、一度は考えたことがあったのだろう。


「……なら、まず婚姻継承財産設定書を作りたいです」

「妥当な要求ですね」


 妻の財産や権利を認める要求を出したのにも関わらず、アストは申し出にあっさりと同意する。アストが懐から出した鈴を鳴らすと、オートマタが部屋に入ってきた。アストは書斎から羊皮紙とペン、法的文書の雛形を持ってくるように言いつける。


「ああ、そうだ。持参金も貴女の資産として頂いて構いませんよ」


 エスターはアストの言い分に姿勢を正し、向き直った。あまりにエスターにとって都合が良すぎる。対して、アストの受ける利益が少なすぎる。流石のエスターも、指摘せずにはいられなかった。


「アスト様」

「呼び捨てで構いませんよ」

「では、アストさん、は何故契約結婚を? これではメリットがないじゃないですか」

「それは――、しっ……静かに」


 エスターの質問に答える途中で、アストは指を口元に立てる。その瞬間、応接間の扉が開き、馬車に乗っていた老婦人が入ってきた。アストは何も話していなかったかのように、振る舞っている。


「ぼっちゃま、お持ちしました。こんなもの、どうして――?」

「ああ、ありがとう。大丈夫。大したことはないから。もう下がってくれ」


 老婦人が下がると、アストはため息をついた。


「……自分の一番の望みは、思うままに研究をしていたいだけなんですが。祖父がしつこく結婚を勧めてくるのです」

「ああ、あの時もそう言っていましたね。ご家族に急かされているとか」

「祖父は高齢で、きっと長くはありません。祖母を亡くしてから気落ちしていて、安心させてあげたいので。とはいえ、祖父はいつも領地の本邸の方にいるので、エスターさんがお会いすることは少ないでしょう」


(ああ、だから婚姻関係はいつまでかなんて聞いてきたのか。この人にとっては、喫緊に解決しなくてはいけないけれど、結婚自体は祖父が亡くなるまででいいんだ。でも、期限付きの方が、うまくいかなかった時に気が楽かもしれないな)

 納得したエスターが頷くと、アストはふっと笑った。


「エスターさんもそうでしょう? お母様が大変ご熱心で、妹さんの縁談が進んでいる今、エスターさんに早く結婚をするように仰っているとか? ――ああ、これはさっき来たうちの使用人が舞踏会の翌々日には調べてきたのです。自分が貴女のお名前しか知らなかったものですから」

「……なるほど」


 結婚前に相手の身辺を調査する貴族は少なくない。ただし、女性側の家がするのはよく聞くが、男性側というのはあまり例がない。自分が調べられたとなると面白くはないが、理解の出来ないエスターではない。とはいえ、無意識に憮然とした思いは表情に出ていたらしい。アストは肩をすくめて見せた。


「不快にさせてすみません。ただ、今うちの家では、自分が貴女に一目惚れをして頭がおかしくなったと思われていて。実際は二日酔いで黙りこくっていただけなんですが。彼女にも、とんでもなく心配をかけたらしくて……」


 適齢期の子どもが花を交換してきたのを見た家人は皆同じ反応をするのかとエスターは少し呆れた。あの夜アストと花を交換した後、母親と出会した後から今朝に至るまでエスターは常に母親に探りを入れられていた。

(それで、身辺調査でも問題がなく、都合が良いと分かってのこの流れか)

 エスターがアストの名前すら知らず、また黙っていたこともあり、流石に子爵家では調査までは至らなかった。エスターはやや呆れつつも笑った。


「ご家族から、大切にされてるんですね」

「ええ、まあ。両親が早くに亡くなりましたから。残っている身内は自分と祖父だけですので、それなのに研究ばかり、と心配ばかりかけている状態ではありますね」

「そ、それは……本当にお辛かったですね。何かあれば――」


 突然の打ち明けにしどろもどろ寄り添う言葉を探しながら、エスターははたと思いたった。今までは自分のことながら現実感を持ってあまり考えられなかった結婚に関する具体的な物事がはっきりと見えてくる。


「……そんな大事にされている貴方が、わたしのようなものを連れてきたら、お祖父様は驚かれませんか?」


 エスターは初対面でアストに男と間違われた身だ。母親にも男の子のようだと言われているし、友人にも少年のようだと揶揄された。そんな女を大切な孫息子でしかも後継のアストが連れてきたら、どう思うか。


「髪の毛はこんなんだし、背も高すぎる。ドレスだって仕立てないと。初めて会うとしたら、きっと気まずい思いをさせてしまうでしょう」


(これがエイダみたいな女の子なら、そのお祖父様という人を安心させてあげられるんだろうけど。どうしよう?)

 血の気の失せたエスターに、アストはしばらく呆然としていたが、最後にはくすりと笑った。


「大丈夫。そんなことをしなくても素敵ですよ」

「あ、ありがとうございます。でも、気がすみませんから」


(なんだ、あまり人付き合いがないタイプに思っていたけど。お世辞くらいは言えるんだな。でも、いくら契約結婚だとしても、結婚前から婚家に印象が悪いのも面倒だし。結婚したら会うことも少なくて、好きな格好にさせてもらうにしても、ね)

 エスターは自身のスタイルにはプライドやこだわりがある。しかし、たった一人の肉親の話をされてそれを曲げないほどには薄情でもない。自分の中で折り合いをつけようとするエスターに、アストは虹色の瞳を瞬かせ、やがて深いため息をついた。


「……いえ、お礼を言わなくてはいけないのはこちらの方ですよ」

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