第3話 プロポーズ

「あ……」


 バルコニーの下にいた人物と目が合う。

 ブルー、グリーン、イエローにオレンジ。複数の色が混じった虹色の瞳が目の前にあった。エスターは凝視することしかできない。

 惚れ惚れするような美しい目の持ち主は何人にも会ったことがある。アーモンドの形をした目や影を落とすようなまつ毛。薄い瞼。ぽってりとした丸い目。すれ違いざまのヘーゼルアイに見惚れたこともある。

 しかしそのどれも今や過去の話。目の前の不思議な虹彩には敵わなかった。


「――その、大丈夫ですか?」


 心奪われているエスターに、その類まれな目の持ち主――その目にはあまりにアンバランスな髭面――の男が心配そうに声をかけてくる。途端、エスターは自分が宙づりの姿勢のままでいることに気がついた。


「もしかして、降りられませんか? 手を貸しましょうか?」

「い、いえ、大丈夫です!」


 とは言っても、足元はつるに絡まっている。結局、差し出された手を借り、エスターはどうにか降りることが出来た。誰もいない状態で飛び降りていたら、どうなっていたことかとエスターは密やかに安堵する。

 手助けしてくれた男からは、かすかにアルコールの匂いがした。


「……ありがとうございます」


 焦りと恥ずかしさで額に汗をかきながら、お礼を伝える。助けてくれた相手を改めて正面に見て、エスターは内心首を傾げた。

(この人、どこのパーティでも見たことないな。公爵閣下が付き合うタイプとも違うような。たぶん、間違いなく貴族だとは思うけど。世捨て人にも見えるし……)

 というのもやや猫背だが物腰と話し方は貴族のもので、服も上等だ。しかし、顔を覆う長い黒髪と髭は手入れされている様子があまりない。貴族で使用人がいれば、こんな姿にはならない。そんな見た目なのだ。一度会っていたら、忘れようがない。

 エスターは女性としてはかなり背の高い方だが、それでも見上げるほどに背が高い。がっしり、というほどの体格ではないが、髭や頭髪のせいで熊のようだ。胸元には白い花が飾ってある。なので、おそらくは結婚相手を探すような年齢だとだけ推察できた。

 エスターがあまりにも見つめ過ぎたせいだろう。髭面の男は顔を少しそむけた。得体が知れない男だが、その美しい目のせいか、親切にも助けてくれたからか。エスターは不思議とそっけなく歩き去る気にはならなかった。突然、男がエスターに質問を投げかける。


「……上はそろそろ終わりそうでしたか?」


 その質問に、エスターには男が自分と同類なのではないかと思われた。エスターと同じように、早くパーティが終わらないかと願っているのではないか。こんな舞踏会に出ているよりも、絵を描いたりしていたい同志なのではないか。男も、エスターと同じように会場を逃げ出そうとしたのかも知れない。


「ダンスもたけなわです。残念ながら、まだまだ終わりそうにはないですよ」

「そうですか。それは……残念ですね」


 エスターがそれとなく不満を滲ませて答えると、その髭の向こうで男がかすかに笑ったような気がした。なんとなく通じ合うものをエスターは感じたが、相手もそう思っていたらしい。


「にしても、貴方のような方が壁際にいるんですから、自分なんかが来る場所じゃなかったと思いましたよ」

「えっ?」

「実は、さきほど上で貴方をお見かけしていたのです。貴方のような貴公子が壁のシミなら、自分なんか床のシミでしょうね」


 一瞬、口説かれたのかと思い、エスターは驚いてしまった。しかし、続く男の言葉にその意味するところを理解し、自分の自意識過剰さを恥じた。男はエスターのことを男だと思っているらしい。

(まあ、母さんの言う通り、男みたいな髪の毛だし仕方ないかな。普通の令嬢ならスラックスなんて履かないし、バルコニーから飛び降りようなんてしないから)

 髪の毛に関していえば、エスターよりも男の方が長い。この勘違いも含め、エスターには今の妙な状況が面白いもののように感じられた。


「慣れないところには来るべきじゃないですね。お酒の力も借りてみましたが、どうも自分には向いていないと言うか。大勢の人がいると落ち着かなくて」


(それで、お酒の匂いがするのか。自虐的なのも酔っ払ってるからかな)

 エスターは笑いを噛み殺しながら同意する。男が妙に饒舌なのは、アルコールのせいなのだろう。


「まあ、分かりますよ。私なんかは両親に言いつけられて来たのですが、この時間家に居て趣味の時間にしていればもっと有意義だったのに、なんて思ってしまいますから」

「貴方みたいな方も、自分と同じように、家にいた方が有意義だと思われてるなんて思いもしませんでした。分からないものですね」

「まあ、少数派なのは認めますよ。理解されたことがないですし」

「そうでなくて――おや」


 息がかかりそうなほど、エスターに男の顔が近づく。虹色の瞳に見つめられ、エスターは動揺して身じろいだ。男はじっとエスターの目を覗き込んだ後、納得したようにうなずいた。


「精霊ルチアの祝福か。目を開ける――良い人を見つけられるように、ですかね。なるほど。ご両親に言いつけられて、か。貴方はそうでなくとも、ご家族はかなり乗り気なんですね」


 男の言葉に、エスターは目を見張る。


「……なんで分かるんですか?」

「これでも魔法や魔術の研究をしているので」

「えっ……すごいですね!」


 魔法が苦手なエスターにとっては、その魔法や魔術を研究しているなんて尊敬の対象でしかない。感嘆の声を上げると、男は少し照れたようだった。


「まあ、昔からそういうのを研究している家なんですよ」


 男の浮世離れしている雰囲気は研究者だからかとエスターは合点がいった。

(確かに、舞踏会というよりは、本でいっぱいの地下室の方が似合うタイプかな)

 学者という人種には今まで接点がなかった。だからエスターにとっては想像でしかないが、本人の口ぶりからも遠くなさそうだ。

 そう考えると、酒の匂いも仕方ないとエスターには思えた。絵を描く関係で、エスターもどちらかと言えばインドア派だ。交友関係はあるが、広くはない。世捨て人のような見た目もそれらしく見えてきた。急激に自分に似たところがある男に対する好感度が高まるのを感じる。微笑んだエスターに、男は少しまごつきながらも笑い返してきた。


「……まあ、しかし。貴方が競争相手なら、余計に自分の結婚は難しくなりますね」


 男はそう言って、アルコールの匂いがするため息をついた。エスターはアイスブルーの瞳を瞬いた。要領を得なかったエスターに、男はその意味を説明してくれる。


「自分も家族に結婚を急かされてる身なんですが、研究というものを理解してくれるか放っておいてくれる信頼に値する人なんて、そうは居ないでしょうから」

「……!」

「男というものは、自分の世界があるとは言いますが。そういう世界に踏み込んで来ないパートナーを求める人は、こんなパーティーでさえ貴方と自分の二人がいますから。世の中のご令嬢が選ぶのは貴方でしょうし」

 

(なんで、この人は私の考えていることに近いんだろう! それとも、この人はお酒のせいで口が軽くなっているだけで。みんな同じことを考えてるのかな?)

 先ほどまで壁際で考えていたようなことを口にする目の前の男に、エスターは驚嘆しっぱなしだ。男の言っていることやエスターの思っていることは、ただの子どもっぽい無責任な我儘なのかもしれない。しかし、エスターは自身の心の中に芽生えた希望で、世界が明るくなったような気さえしていた。


「――さあ、それはどうでしょう」


 エスターは男に悪戯っぽく笑いかけ、自分の胸元の白薔薇を抜き取る。


「貴方が結婚について求めるのは、恋愛ではない。と言うよりも、信頼関係のある妥協や合理的関係、なんですね?」

「えっ、ええ、まあ……」


 急に態度を変えたエスターに、男は戸惑った声を上げる。

(母さんの言う通りだ。いつ出会うかなんて、自分じゃ選べない。きっとこれが最後のチャンスだ)

 男の目の前に、瑞々しい白薔薇を掲げると、男はまごついた。その慣れていない不器用さに、エスターは誠実さを見つけ、安心する。男は本気で気づいていないらしい。


「えっ、あの、その……?」

「黙っていて、すみません。わたしはエスターと申します。女です」

「えっ!」


 驚いて声を上げ、男は虹色の目を大きく開けた。エスターは呆然としている男に無理やり薔薇の花を握らせる。ついで、男の胸元の花を抜き取り、自分のブートニアに挿した。


「もしよろしければ、わたしと結婚――契約結婚いたしませんか?」

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