★ 五月

★ 五月


 おはよう諸君。人によってはこんにちは諸君。こんばんは諸君。もしくは初めまして、諸君。

 それにしてもおはよう諸君。人によってはこんにちは諸君。こんばんは諸君。もしくは初めまして、諸君。

 おわかりいただけただろうか。私は今、機嫌が良い。底抜けに機嫌が良い。なぜだかわからないが機嫌が良い。本当はちゃんとした理由があるのだが、それを無視してなぜか一度「なぜだかわからないが機嫌が良い」と書いてしまうくらい、機嫌が良い。

 種明かしをすると、なんと、虎藤虎太郎に関する具体的な情報を、遂に私は入手したのだ。私の周りで唯一虎藤虎太郎と接触したことのある人物、すなわち大家に行方不明になる前の虎藤虎太郎について訊いてみたところ、虎藤虎太郎は以前アパートの近所にあるラーメン屋にしばしば通っていたとあっさり教えてくれた。私は今までインターネットを駆使したり、それこそ実際に色々な場所に足を運ぶなどして多大な時間を虎藤虎太郎捜索に割いてきたのだが、身近にこんなにも有益な情報が転がっていたとは夢にも思わなかった。

 とにかく虎藤虎太郎の具体的な足跡を発見できたのは、私にとってとても大きな意義がある。道頓堀の川に投げられたカーネルサンダース像が引き上げられたくらい大きな意義がある。すなわちそれは、世間には影響がなくとも阪神タイガースのファンには特別な意味合いがあるように、アパートに住む他の住人には一切関心がなくとも、私にとって虎藤虎太郎がアパートの近所のラーメン屋を行きつけにしていたという事実は、特別な意味合いがあるものなのだ。

 ちなみに日本のプロ野球に多少なりとも精通している方々はこの例えについて、阪神タイガースの「虎」と虎藤虎太郎の「虎」を引っ掛けて意図的にやっているのだろうと内心寒気を催しているかもしれないが、まあ、それに関しては触れないでいただきたい。これ以上深く突っ込まれると、アパートの部屋を借りる際に身分上は大学生としている設定にボロが出てくるので、くれぐれもやめていただきたい。それと、この段落は、くれぐれも、見なかったことにしていただきたい所存でございます。


 とにかく話を戻すと、虎藤虎太郎はかつてアパートの近くのラーメン屋に通っていた。そして私はつい先日、そのラーメン屋に意を決して足を運んだ。そのときに起きた出来事を今から順を追って説明していくので、必要な方はメモの準備をしてきてもらって大丈夫だ。スマートフォンのメモでも問題ない。ルーズリーフを使用する方は、バラバラにならないよう取り扱いには充分気を付けていただきたい。

 そろそろ準備ができただろうか。それでは説明を始めよう。

 単刀直入に言うと、私がそのラーメン屋を訪れた際、なんと、虎藤虎太郎らしき男と偶然にも出くわしてしまったのだ。その男は大家から聞いていたほど身長は高くなかったが、一見ラーメンなど食べなさそうなくらい瘦せ型で、何より普段あまり外に出ていなさそうな色白の肌と、喘息を持っていてもおかしくない病弱な雰囲気をまとっていた。そしてその男は、なんと、ラーメン屋でラーメンを食べていたのだ。

 そうか、虎藤虎太郎もラーメンを食べる男だったのか──、この事実を目にしたとき、私は率直にそう思った。純情可憐なアイドルでさえ生理現象としての排便を免れないように、虎藤虎太郎もお腹が空けば何か栄養を摂取せねばならない人の子だったのだ。その上で私と同じように、ふとしたときにラーメンが食べたくなる、そんな衝動を虎藤虎太郎も持っていたのだ。わざわざ千駄ヶ谷に足を運んだのも無駄ではなかったのだ。

 くだらない話はこれくらいにして、状況を整理しよう。

 とりあえず、虎藤虎太郎らしき男が近所のラーメン屋にいた、これは事実だ。この目ではっきり目撃した。虎藤虎太郎らしき男がラーメンを食べた、これもおそらく事実だ。私が目にしたものが万が一ラーメンに似た別の何かだったなら話は変わるが、あのラーメン屋はそんなメニューを提供できるようなタマじゃない。これに関して少々ラーメン屋側が不快に捉えかねない表現を使ったことは重々承知しているが、あくまで虎藤虎太郎がラーメンを食べた事実を強調したいが故の苦肉の表現だったということを、くれぐれもご了承いただきたい。また、ここまでは「虎藤虎太郎」と断定する表現と、「虎藤虎太郎らしき男」と若干匂わせを含んだ表現を使い分けてきたが、ここからは仮定として「虎藤虎太郎」という表現に統一することをご了承いただきたい。

 ということで虎藤虎太郎がそのラーメン屋に現れたわけだが、私の目に映った虎藤虎太郎は、ただラーメン屋を訪れて、ラーメンを食べて帰ったわけではなかった。それもそうだ。私が長い年月を費やして探し出そうとしている虎藤虎太郎とあろう男が、ラーメン屋に行ってただラーメンを食べただけなんて、百歩譲って世間が許しても、私が許すはずがない。私にとっての虎藤虎太郎は、それほどの宿命を背負っている稀代の男でなければならないのだ。

 というわけでここからは私の目にしたありのままの事実を述べるとすると、虎藤虎太郎らしき男は私が頼んだラーメン大盛りが出来上がったあたりで入店してきたのだが、虎藤虎太郎はまずその店の食券のシステムを目で確認して、素直にそのシステムに従った。ここまでは問題なかったのだが、事件が起きたのはその後だ。虎藤虎太郎は券売機で六〇〇円のラーメンと三〇〇円の餃子を買おうと思い、千円札を投入した。会計の合計金額は九〇〇円のため、一〇〇〇円を出した虎藤虎太郎の元には一〇〇円のお釣りが返ってくることになる。

 しかし問題は、そのお釣りが、なんと、五〇円玉二枚で返ってきたのだ。

 これには天下の虎藤虎太郎も驚きを隠せなかったどころか、私も熱いうちに食べようと思っていたラーメンを食べる口を止めたほど、何が起きたのか一瞬では把握できなかった。なにせお釣りで返ってくる小銭の音が二回だった時点で少々の違和感を覚えた上に、虎藤虎太郎としては手触りや見た目が百円玉と同じ銅やニッケルだったことで、完全に百円玉が二枚返ってきて得をしたと考えたに違いない。少なくとも私だったらそう考える。

 しかし結果として返ってきたのは五十円玉二枚であり、お金の勘定においての損得は発生しなかった。天下の秩序は守られたのだ。穴の開いた二枚の硬貨を握りしめ、虎藤虎太郎は私から二席空けたカウンターの席に、少し哀愁を漂わせながら着いた。たった一分にも満たない僅かな時間の中に、ほのかな希望と絶望を握り締めて。

 そのような出来事があったので、もし諸君らの中で虎藤虎太郎と対面する機会が生まれた者は、是非虎藤虎太郎に慰めの言葉をかけてあげてほしい。虎藤虎太郎も人の子なのだ。殴られたら痛いし、つねられたらじわじわ痛いし、足の小指をタンスの角っこにぶつけたら、何かに八つ当たりしたくなるほどには気力が残るくらい絶妙に痛い。「お前、最初に小銭が二枚返ってきたとき、どっちも百円だと思ってラッキーだなんて浮かれてただろ」なんてSNSのダイレクトメッセージで送られてきたら、虎藤虎太郎の心だってチクチク痛むだろう。この一連の出来事は、是非道徳の教科書に載せてほしい。虎藤虎太郎君が立ち直るためにはどうすればいいか、クラスのみんなで考えてみてほしい。


 というわけで書いたことを整理すると、大家の情報にあったかつての虎藤虎太郎の行きつけだったラーメン屋を訪れると、実際に虎藤虎太郎らしき男がいた。これは今までの捜索活動において大きな進展である。私が何ゆえにその男が虎藤虎太郎だと直感したか、これは完全に勘の領域なので根拠など何一つないが、その男は確かに五十円玉二枚をお釣りとして受け取っていた。本来は百円玉一枚でいいはずのお釣りを、五十円玉二枚という形でも文句なく受け取っていた。こんなことを成せる男は、世界広しといえども虎藤虎太郎くらいではないだろうか。もしあの男が虎藤虎太郎本人ではなくとも、あの男には虎藤虎太郎を引き寄せる何かがあるのではないか。私は突如として舞い降りたこのチャンスを、千載一遇のチャンスとして掴むべきではないだろうか。

 というわけで、今回の報告は以上だ。今までのものに比べると、我ながら充実した報告になったと胸を張りたい所存である。今この報告を見ている諸君らの中にも、胸を張っている者がいるのはわかっている。是非その気持ちを忘れずに、明日も明後日も胸を張って日々を生きていこうではないか。


 それでは、また会う日まで。

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