★ 四月

★ 四月


 おはよう諸君。人によってはこんにちは諸君。こんばんは諸君。もしくは初めまして、諸君。

 前回の書き込み通り、先日は千駄ヶ谷を中心に明治神宮の外苑エリアを見て回ってくると同時に、虎藤虎太郎についての情報を色々と探ってみた。

 しかし結果として、これといった収獲はなかった。新しくなった国立競技場は予想以上に規模が大きく、これはあの虎藤虎太郎でさえも一目置くだろうと納得はしたが、虎藤虎太郎がこの地を訪れたという痕跡は見つけられなかった。随分入念に探したのだが、時間が経つごとに周辺に人が増えてくるのもあって、結局夕方前に調査は断念した。どうやらこの日は神宮球場の方で野球の試合があったらしい。これを見越して虎藤虎太郎は姿を消したのだろうか。だとしたらこの情報収集力と判断能力はさすがと言わざるを得ない。もしかすると、観衆に紛れて私の目をかいくぐった可能性もある。虎藤虎太郎は恐ろしい男だ。私より遥か先の未来を見ている。

 ただ私とて、ただ単に神宮外苑を観光していたわけではない。ちゃんと虎藤虎太郎の行きそうな場所は見て回ったことは重々承知していただきたい。私はその日、まず千駄ヶ谷で有名なラーメン屋に足を運んだ。入念に店内を観察し、虎藤虎太郎らしき人物の姿はないか血眼になって探し回った。結局その日その時間に虎藤虎太郎らしき姿は店内にはなかったが、ラーメンは美味しかった。それだけで、虎藤虎太郎が以前ここに訪れたことがあるのを悟った。虎藤虎太郎はきっと、大盛りを頼もうとしたが客の回転の速さに怖気づき、腹の満足度よりも居心地を優先して、普通盛りを頼んだ光景がありありと瞳に浮かぶ。

 その後はおすすめのスポットとして挙がっていたイチョウ並木の通りに足を運んだ。その日は天気が良く気温も快適だったため、道路沿いのベンチに腰掛けていたら十分か十五分くらい眠ってしまった。起きたら一本の木が私を見て、長閑のどかな一日を覚えるように葉を揺らしていた。近くにある明治記念館という施設には、近くまでは行ったものの警備員が怖くて中には入れなかった。あとは周辺を走るランナーたちの後を追うように散歩していると、段々人が多くなってきて歩きづらくなったので、その日の調査は断念したという次第だ。十六時四十三分発の各駅停車三鷹行の総武線に乗って、神宮外苑に別れを告げた。


 しかし改めて思うのだが、虎藤虎太郎とは何者なのだろうか。私がこれだけ辺り一帯を入念に調査したにもかかわらず、全くもって尻尾を出さない。それどころか、痕跡一つ見つからない。確かに以前かのラーメン屋に来たことがある気配は察知したのだが、だから何だという話だろう。虎藤虎太郎が一体何者なのかという答えに行き着くには、ラーメン屋で見せた微妙な器の小ささはヒントにはならない。むしろ、答えを導き出すことの妨げになっている気さえする。

 私は段々、虎藤虎太郎はとんでもない人物なのではないかと思えてきた。私はかれこれ一年近く虎藤虎太郎の行方を追っているのだが、先日の神宮外苑を含めて、これだけの追跡を免れるのは何か大きな勢力の協力によって、意図的にかくまわれているとしか思えない。神宮外苑周辺で言うと、例えば神宮球場の真向かいにあるホテルだとか、国道246号沿いにある大企業のオフィスだとか、もしくは国立競技場の本体の中だとか、何か私の想像の及ばない大きな力による庇護がそこにありそうだ。或いは虎藤虎太郎自身が周辺一帯を全て支配していて、私が道中ですれ違った人々だとか、ラーメン屋の店主が虎藤虎太郎の存在に辿り着かないよう目くらましをしていたと考えるのも一理ある。もしかしたらその日に私が来ることを見越して、プロ野球の日程をぶつけたのは虎藤虎太郎本人かもしれない。結局のところ何が言いたいのかというと、それほど私にとって、虎藤虎太郎の捜索は不自然な不発の連続なのだ。


 いや、逆にこうは考えられないだろうか。今回私は大家から、虎藤虎太郎は以前神宮外苑が好きだったという情報を聞いたわけだが、そもそもその情報自体を操っているのが虎藤虎太郎であり、私はまんまと踊らされたのではないだろうか。神宮外苑にノコノコ現れた私を見て、虎藤虎太郎はどこか高い場所でほくそ笑んでいるのではないだろうか。大家はこうやって虎藤虎太郎に都合の良い情報を私に与え、加えて家賃の一部を虎藤虎太郎のポケットに横流しすることで、国立競技場や神宮球場で行なわれる試合のチケットを毎回融通してもらっているのではないだろうか。お昼ご飯にラーメンを食べている私を見て、虎藤虎太郎もラーメンが食べたくなったのではないだろうか。

 そうだ。私は虎藤虎太郎について、何も知らないのも同然なのだ。実際には何の仕事をしているだとか、所縁ゆかりがあるとされている場所で実際には何をやっていたかだとか、どんな場所で生まれ育っただとか、どんな環境で生まれ育っただとか、どんな見た目をしているだとか、鼻は高いのか低いのかだとか、声は高いのか低いのかだとか、血液型は何型だとか、外食に行くなら洋食と和食どっちが多いかだとか、映画は字幕で観るかそれとも吹き替えで観るかだとか、そもそも好きな映画は何だとか──、私は虎藤虎太郎について、何も知らないのだ。実際の虎藤虎太郎はマフィアのボスをやっていても、私は受け入れるしかないのだ。所縁のある場所で実はインサイダー取引をやっていたとしても、私は通報するしかないのだ。知り合いの女性から頼まれて虎藤虎太郎を紹介しようとしても、私は虎藤虎太郎の出身も、見た目も、印象も、一部の人がやけに気にする血液型の相性も、おすすめできる食事も、一緒に観に行きたがりそうな映画も、教えることはできないのだ。そのことに関して、私は虎藤虎太郎に謝ることしかできないのだ。代わりに自分はどうだとセルフプロデュースしようとしても、虎藤虎太郎の情報がないから比較することができないのだ。自分が持っているだけの武器で、私は世間と戦っていかなければならないのだ。

 虎藤虎太郎に寂しい思いをさせないためにも、一刻も早くその全容に近付かなければならない。幾つか心当たりのある情報筋はあるのだが、どれも不充分かつ不明瞭で、どうしても私の求める虎藤虎太郎像とは距離がある。それを埋めるには、やはり足を使った調査しかない。今回の神宮外苑は不発だったが、次は必ず何かきっかけを掴んでみせる。


 それでは、また会う日まで。

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