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「……私、今の会話でわかったよ。さいわい橋場はしば君は、そういうのまだ疎いし興味がないみたいだから言うけど」

 彼女はいきなりそっと僕の頬に触れた。彼女の手はほんのり冷たくて、一瞬ぶたれるのかと思った。

「……私さ、何の興味もない人にこんな話をしようなんて絶対に思わないよ」

「…………」

「けどね。私には、自分の気持ちに素直になれない理由がある」

 恋愛には疎くて興味が無いみたいだとは言われたけど、僕だって、本当は、何も思わないわけがなかった。

 げんに、僕は今、彼女が言う素直になれない理由と、その素直じゃない気持ちを向ける相手のことを知りたいと思ってしまったのだから。

 彼女とのやり取りの中で、ふと、読破という言葉が頭の中に浮かんだ。

 読破という単語の由来は、昔は紙だか竹簡だかが貴重だったから、本の内容を覚えたら破り捨てて再利用するから、と中学の時の国語の先生が言っていた真偽不明の話だった。

 その話が本当なら、僕が文字通りに読破できる恋愛小説は未だに一冊だってない。

 いいや。そういう小説に限らず、一冊も。

 僕は本を読破することが叶わないのかもしれない。

 僕は今まで沢山の本を読んだわりには、どんな言葉をかけるべきかもわからず、ただひたすらに彼女の凄さを思い知ったような気がした。物語で得たものを現実の自分自身にじかに取り込めるという、自信どころか静かな確信さえ持った彼女の凄さを。

「――水野さんはすごいよ。君には、本当の意味で読破することのできる本が、既に沢山あるのかもね」

 急にそんなことを言われて、頭の上に大量の疑問符を浮かべたような、困惑したようすの彼女が、そこには立っていた。

 僕の曖昧な言葉のせいで、二人だけの教室に、静寂が訪れた。気まずさでも居心地の良さでもない、白紙のページのような、ほんとうの空白だった。その静けさに、僕はふと、とある人物の姿が脳裏に浮かんだ。

――こんな時に、「マコト」だったら。彼なら、どんなふうに彼女と接していたんだろう。

 だけど、僕はその考えを頭から振り払った。

 やめよう。「マコト」と僕とは、根本的に違うんだ。

 結局、水野結夏の、興味が無い人とこんな話をしようとは思わない、という言葉の真意を聞くことはなく、僕の方からはぐらかしてしまった。

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