第6話
優希は女性ホルモンを飲み始めた後、肌は白くなり、胸も少しだけれど膨らんだ。自分自身を少しずつ変えていった。髪を伸ばし、密かに可愛らしい女性の服を着るようになり、声も練習して少し低いが女性らしく聞こえる声を出せるようになった。外出する際の服装も徐々に中性的なものに変えていき、少しずつではあるが、自分の姿を鏡で見るたびにほんの少しだけ自分のことが好きになれるようになった。平日は中性的な服装で大学へ行ったが、休日は完全に女性の格好をするようになった。
ある休日、優希は顔に化粧をし、白いブラウスに黒いスカートを履いて外出していた。「お姉さん、これどうぞ」と広告を渡された。ただそれだけのことが、優希には嬉しくてたまらなかった。
夕方になりアパートに帰ってきてドアを開けると、部屋の中に見慣れた男性が立っていた。父だった。彼は興奮し、怒りに満ちた目で優希を見つめていた。
「お前がまともに連絡してこないから心配してきたというのに、なんだその格好は!なんだこの服は!お前は何をしているんだ!」
優希は青ざめた。心臓が激しく鼓動し、口が乾いた。それでも、話せばわかってもらえると信じていた彼は、深呼吸をしてから話し始めた。
「お父さん、僕は今までずっと自分のことを隠して生きてきた。でも、もう隠し続けることはできないんだ。大学にもちゃんと通っているし、成績だって悪くない。だけど、僕は自分自身を受け入れたいんだ。僕は女性として生きたいんだ。」
父の表情は硬直し、一瞬の沈黙が流れた。その後、怒りが爆発した。
「そんな格好で大学に通っているのか!一家の恥晒しめ!俺は母さんになんて説明したらいいんだ。俺はお前をオカマにするために大学へ出したわけじゃないんだ!今すぐ退学しろ!」
優希の目には涙があふれ出し、声が震えた。「お父さん、お願い、理解して…」
しかし、父の怒りは収まらず、さらに厳しい言葉を投げかけてきた。優希は耐えられず、泣きながらアパートを飛び出した。彼はどこに向かうのかもわからず、ただ心の痛みから逃れたい一心で夜の街をさまよった。
そして、ネオンの光がまばゆく輝く夜の街に足を踏み入れた優希は、混沌とした人々の流れに紛れ込んだ。周囲の雑音と人々の喧騒が彼の心の孤独感を増幅させた。涙が止まらず、心の中で言葉にならない感情を叫び続けた。その時、赤いワンピースを着た女が「葵?」と話しかけてきた。それが紗季だった。
優希は、泣いていた。そして、紗季が優希を抱きしめていた。
「ごめんね、あなたには葵じゃなくて、優希っていう名前があるのに。あなたには、そんなかわいらしい名前があるのに。私はあなたを無視したんだ」
それから、紗季は優希の唇に口づけ、二人は快楽に飲まれてしまった。
眠らない街からは、ぼんやりとした光が窓から差し込んでいた。遷り変わるネオンの輝きが柔らかく揺れ、まるで夢の中のように幻想的だった。窓の外の喧騒は、少しずつ遠のいていき、車の音や人々の話し声がかすかに耳に残る程度となった。夜は静かに、そして確実に更けていった。街は少しずつ穏やかになり、空気が澄んでいく。夜の闇が一層深まり、眠らない街に静けさが訪れた。
しばらくして、アルコールでぼんやりとした意識の中で、二人は話を続けた。ベッドの中で、優希と紗季は交互に話した。
「僕たちは、お互い死のうと思っていたのに、なんだか不思議だね」
「そうだね。あのね、優希、『僕』って言わなくていいよ。『私』って言いたいでしょう?」
「...ありがとう。自分でもわからないんだ。ずっと『僕』だったから、どういえばいいんだろう」
「好きな方でいいと思うよ。でも私は、あなたが女の子にしか思えないよ。声も、女の子の声なんだ」
「違うよ。僕の地声はもっと低いんだ。自分の声が嫌いで、作っている声なんだよ」
「そうだとしても、とってもかわいい声だよ。優希は音楽家になりたいんだよね? 私も音楽は好きで、歌うのが好き。優希は、歌は上手?」
「歌は苦手なんだ。自分の声が、嫌いだから...」
優希はそう言い終わると、しばらく会話が途切れた。一台の自動車の通る音が窓の外から聞こえた。それから、優希が再び話し始めた。
「...僕ね、紗季が僕を男だって気づいた瞬間、もう自分はおしまいだって思っちゃったんだ。気持ち悪い変態だって思われるんじゃないかって、怖くて」
「そんなことないよ、優希ちゃんはかわいいよ。私が葵と見間違えるほど、ね」
「...」
優希は泣いてしまって、うまく話せなかった。
紗季が「私もかわいいものが好きだよ。子供の頃から着せてもらえなかったからね。今度一緒にかわいい服着て出かけよう? きっと、すごく楽しいんだ」
優希はすごく安心して、母親に包まれる幼子のように深い眠りに落ちた。紗季は、それをとても見て、とても悲しそうな目で、一筋の涙がこぼれた。
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