第35話_偽ったのは愛のため①

「ごめんなぁ、向日も沙も…私には人間の育て方なんて分からなくて」



 隠し世の里に訪れた沙と向日は、約100年ぶりに八塩やしおと話していた。もう見ることはないと思っていた人型の八塩は、泣いたのか少し目元が赤い。




「私には人狼としての身の守り方しか教えられない。人間の護身の術を知らないから守人になれと言ったんだよ」



 あの日、沙と向日の姿は見つけられなかった。2人は毒のコントロールの練習をするために村から離れた場所にいて、騒ぎを聞きつけ戻った頃には八塩たちは旅立つ直前だった。

 引き留めに行ったから結果的に八塩は守人になれと提案できたが、あのまま会えなければ白助はくすけらに任せようとしていた。


 沙は首を振って「謝るな」と頭を下げる八塩を止めた。


「八塩さんが言わなかったとしても白助さんらが言ったんだろ。どのみち、俺は守人になろうと思ってたから」

「え、そうだったの?」



 どうやら沙は分裂が起こる前からレトロコアに行くことを考えていたらしい。だから八塩らが旅立った後、すぐに守人になった。

 一方の向日は守人になることなど欠片も考えていなかったため、数年悩んだ末に村を離れた。


「辛くはなかったかい?沙は村でもしばらく恐れられていただろ」


 無差別に毒を撒いてしまっていた頃は、同い年くらいの人狼たちに嫌われていた。ほんの子供の頃の間だけだったが、人狼ではなく、かといって別のイグズィアでもない沙を皆は怖がって遠ざけた。彼に近付いた者はこぞって腹を痛めたり息苦しそうにしていたから。




 八塩たちは沙や向日を「人狼」としてではなく「人間」として育てていた。「お前は人狼ではなく人間だ」と言って教えるだけの育て方だったが、種族を偽って育てることは誰もしなかった。偽ったとしても、いつか気づいてしまう。自分が人狼ではないことにいつか必ず気づく。

 人間なのだと言われてやってきたレトロコアで、人間は弱種として爾余じよ街道に並ぶ生き物だと知った。人狼ではなく、人間。その人間という種族ですら、沙にとっては過去の話。何者でもない生き物と化している。



 滅多に村に帰らなかった沙や向日の事を緑太狼ろくたろうから聞いていた。辛くなかったのか。「辛くなかった」と沙は答えた。



「八塩さんの言ったとおり毒をコントロールできるようになったし、俺や向日が守人で活躍すれば人間の地位が上がる。だから辛いと思ったことはない」


 一瞬だけ黙り、再び口を開く。




「八塩さんたちは人間だとか人狼だとかで俺らの事、悩んだと思うけど、結構どうでも良いと思ってるよ。あんたらに育ててもらったってだけで俺は満足してる」

「まぁ種族の嘘をつかないでいてくれた事は大きいけどさ、俺も同じかな」



 沙と向日の感謝に、八塩は「そうかい…」と目を伏せた。







 外の方では桜一よういちの怒鳴り声が聞こえる。きっと藍藍あいらんたちに怒っているのだろう。今までの〝常識〟は皆が押し黙った非常識であったことに納得ができないから。

 青葉あおば柚子ゆずにも、我々は謝らなければならない。



 そして一番謝罪すべきなのは、


「ねぇ八塩さん!人型になってもいいってほんと?」


ずっと村に行きたがっていた錫夏すずかだ。

 3名が話し合う小屋に入り、獣の姿で期待に満ちた眼差しを向けている。


 八塩は頷き、これからは好きな姿で、雨に気をつけるなら傘招きでも誰でも自由に話しかけていいと言った。そして「ごめんね」と頭を下げる。

 しかし錫夏は人型になる許しがもらえたことと、黄泉村に行ってもいいという許可が降りたことに大喜びし、八塩の低頭を背中で受けていた。




 錫夏の歓声を遠目に、沙と向日に人間のことを尋ねた。


 風架と佳流はまだレトロコアにいる。レトロコアで錫夏を待っている。そう沙は答えた。

 ならば、と八塩は立ち上がった。錫夏を連れて、謝罪の意を示さねばならない。錫夏には申し訳ないが黄泉村に行くのは少しだけ待ってもらおう。後回しにしたら儚い人間の命が過ぎてしまうかもしれないから。

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