第31話_着衣①

 バッグの持ち主は、どうやら伊舎堂家のいろんな箇所に分裂しているらしい。同じ匂いがいくつもあり、さらに伊舎堂家特有の香の匂いが充満しているため探り難い。

 とにかく、扉を開けまくって匂いを確認する。しかし開けども開けども、あるのは布の切れ端ばかり。



 驚く伊舎堂家の者たちを躱し、2階に駆け上がってとある部屋に飛び込んだ。畳だけの部屋には、正座してこちらを見つめる小尉面があった。



「どうやら私はハズレのようね…」



 唸りながら部屋をゆっくり歩き、まるで追い詰めた獲物をどこから喰らおうか悩む獣のように小尉の周りを回る。自然界であれば小尉は絶体絶命の状況だが、ここはレトロコア。狼も兎も人も虫も、貴族の前では平等に弱者となる。

 手を出せば夜市よいちに喰われると理解している藍藍あいらんは、一定の距離を保ったまま小尉をどう詰めようか考えた。


 その思惑を見抜いているかのように立ち上がった小尉は、面を外して床に捨てた。レトロコアでは、隠した顔を見せることは信頼を意味する。目の前の生き物が何を考えているか解らず、藍藍は警戒を強めた。


 4センチほどの青い目が、弧を描く口に合わせて歪む。


「君たちは人間が嫌い?」


 藍藍は何も答えない。



「過去に君たちはもう少し知性があるという印象を持ったけれど、長期間も獣型でいると思考回路は獣に近くなっていくのかな」


 藍藍は何も答えない。



「けれど緑太狼はいろんなことを理解しているようだったね。もしかしてもっと単純な話で、君たちの頭がただ悪いだけ──」



 言い終わるより先に藍藍が動いた。畳に爪痕が残るほど強く蹴り出し、小尉の頭を目掛けて口を開け、牙を剥く。怒りに満ちた目には微笑む小尉と、視界の端に現れた何者かが映った。


 次の瞬間、ドゴッ という鈍い音と共に藍藍が壁に吹き飛んだ。窓に現れた何者かに蹴り飛ばされたと理解し、倒れる身体をすぐに起こす。口から血を吐き、藍藍は一層鋭い目を向けた。




「翁……!」




 開け放たれていた窓から入ってきた翁が、藍藍の顔面を蹴り飛ばして小尉を守ったのだ。

 身軽に着地した翁は、血を垂らす藍藍に冷たい声をかけた。



「貴族を傷つければお前様が夜市に喰われる」

「そんな…っ!!そんなことはどうでもいい…!!もうどうでも………ただ私たちは、これ以上苦しみたくないのよ!そのためには人間が邪魔…!あんたが!!邪魔なのよ!!」

「?君の苦痛に私が関係あるのか?」



 微笑む翁の面と微笑む小尉に、身体を震わせる。こいつらの全てを見透かすかのような目と言葉が昔から嫌いだった。

 神経を逆撫でする言い回しは、決して他意があるわけではない。こいつらはそういう生き物で、「そう思ったからそう言ったまで」の思考で物を話す。絡繰と話している感覚に近かった。それらをよく理解しているから嫌いなのだ。


「何も知らないくせに…知ったような口で語らないで」



 小尉が首を傾げ、答える。


「知っているよ。君たちが分裂していることも、理由が先祖の罪であることも」

「私たちも知らない分裂理由を憶測で言うなって言ってるのよ!!なんで知った気でいるの!?私たちは解らないのに!!」

「解らないって、理解できないことを言うね。君たちがそう話していたじゃない」


 藍藍の叫びに小尉はさらに首を傾げた。昔から黄泉村の人狼を知る小尉が、人狼に直接聞いた分裂の原因は「先祖の罪を背負うか背負わないか」しかなくて、今でも理由は変わっていないと茶子や蒼一狼に聞いている。だから彼女の一貫性のない言葉が理解できない。





 藍藍が吹き飛んだ壁の裏側には、隣の部屋に隠れていたはずの風架がいた。




  *****





 バッグに染みついた匂いを辿られてしまうかもしれないと言われ、どうしようか焦る2人に小尉が提案した。


『少しだけ撹乱しよう』




 小尉は風架が来ていた上着を指差し、その服を支払いに使う我楽多として自分に寄越せと言った。そして風架か佳流のどちらか、この家を出るよう指示する。


『布一枚では匂いが弱いかもしれないから、どちらかはここに残れ。この部屋の隣に隠れていれば、私から指示が出せる』

『わざわざ別れなくても、隠れられるなら同じとこがいいよ。それに私たち、人狼と話したいの。隠れるってことは怖がってるってことでしょ?怖がってる私たちと人狼は…話してくれないと思う』


 甘い考えを捨てない佳流に、小尉は現実を突きつけた。



『話し合いの提案を聞き入れてもらえるかは分からないだろ。2人が同時に殺されたら、対話の願いは叶わなくなるよ』



 それに、と続ける。



『君らは人狼が怖いから隠れるの?隠れることは恐怖か?』

『…………ううん。話したいから隠れるの』



 相手は人狼。人間を嫌う今の彼らは、姿を見た瞬間に襲いかかってくるかもしれない。抵抗できない自分たちはあっという間に食い殺されてしまうだろう。そうさせないために隠れるのだ。





 話し合った結果、風架が残ることになった。



『では、佳流は別の場所に隠れてもらおう』

『ですが、移動する間に人狼に見つかってしまったら…』

『移動に関しては翁に、隠れ場所に関しては由市ゆいちに任せようと思う』

『…由市?』



 小尉は袂から無線機を取り出し、翁と由市に連絡を入れた。






 佳流は翁と共に伊舎堂いしゃどう家を離れ、東屋で由市と合流した。こちらが気抜けてしまうようなひょうきんなひょっとこ面をつけた由市は、翁から大まかな説明を受け、隠れ場所の候補を挙げる。


 隠れ場所までの移動は由市が同行し、翁は伊舎堂家へ戻った。




  *****


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