第26話_守るが護らず③

 噂話に夢中な女性陣に混ざることはせず、縄張りの見回りから帰ってきた紺は報告する。


 村と里の間にある川で、向こう岸に人狼を見た。以前は姿を視認しても特に干渉はしなかったのだが、ここ最近は川を飛び越えて来そうなほど睨まれ、唸られる。



 すると黄夜も、神妙な面持ちで口を開いた。


「私も同じようなことがよくあるんです。紺は無事みたいだけど、私は浅瀬で鉢合わせたから執拗に追い回されて………錫夏という子供が原因ですよね?」





 眉間に皺を寄せ、錫夏の存在をあまり良いふうには語らない。


 それもそのはず。錫夏は100歳に満たない幼い子供で、100年前の分裂時にはいなかった。隠し世の里という新たな人狼の群れができた後に加わった。

 つまり黄夜や紺や蜜柑といった、思春期真っ只中の若い衆は錫夏の名前は知っていても顔は知らない上、どんな性格かも把握していない。

 茶子や蒼一狼のように昔を覚えていればまた印象は違っただろうが、彼らにとって錫夏は、日々のストレスの元凶に近い。



「錫夏の発言が里連中の癇に障ってこんなことになってるんでしょう?……もういい加減、黄泉村を移動しませんか?」

「俺もその方がお互いのためになる気がするけど。でも茶子や蒼さんは嫌なんだよな?」



 黄夜と紺から提案される引越しの件について、茶子は口角を上げつつも顔を下に向けた。

 蒼一狼はゴロリと体勢を変え、2匹に顔を向ける。


「錫夏は悪くない。いけないのは八塩やしおなんだ」

「でも八塩さんに同調した奴らが村を出てったんだろ?思想の違いで村を出るのは賢明だし、錫夏が意見の違う人狼だったんならさっさと黄泉村に来させればよかったのに」


 八塩やしお とは、隠し世の里の長だ。赤い毛を持った最年長の女人狼で、約100年前に彼女が筆頭となって村を出た。




 価値観の相違で村は分裂した という紺の意見に、蜜柑が小さくも反論する。



「じゃあなんで私は黄泉村に残ったの?」

「は?」

柘榴ざくろは隠し世の里に行って、私は村に残った理由ってなんだったの?」

「………」



 言葉に詰まった紺の代わりに、茶子が立ち上がって答える。


「理由は分からん。でも心配するな蜜柑、必ずまた会えるから」



 そう言うと、紺を連れて外に出た。



 蜜柑は俯き、両手を握る。声をかけようにも言葉が出てこない黄夜の代わりに、蒼一狼が身体を起こして元気付けた。


「茶子の言うとおりだ!分裂したってちゃんと元に戻る!…戻すから大丈夫だぞ!」



 しかし、蜜柑の暗い顔は晴れなかった。







  ***








 場面は戻り、夜市 禽獣街道。



 一瞬の隙を突かれた獣型の茶子の喉元に、青い狼が牙を立てていた。


 野次馬は歓声をあげ、見知らぬ者たち同士で大いに盛り上がりを見せる。その野次馬の最前列にいた風架と佳流は放心状態となって、目の前の光景を見つめる。




 青い狼は首に噛みついたまま、親の仇を見るような目でこちらを睨んでいた。


瑠蓋りゅうがい…!!」


 獣姿の紺に地面に伏されている、赤い狼が叫ぶ。名前を呼ばれた青い狼 瑠蓋はその声で口を離した。




 僅かに意識があるのか、茶子は一瞬だけ地面に脚をつけて横転を堪えようとするが、すぐに倒れ込んだ。紺がすぐに間に入り、瑠蓋に唸る。



 佳流が走り出し、倒れる茶子に駆け寄って止血を試みた。その光景を、風架は呆然と見ていた。周囲の声が水の中にいるように聞こえにくく、何が起きているのか処理が追いつかない。







 紺に帰れと言われたが、従わずに同じ方向に歩いてきた。しばらく歩くと人集りができていて、飛ばされている野次に「人狼」という単語が出てきたから、また蒼一狼や紺のように、誰かが怪我しているのではと心配になった。


 人をかき分けて前列に出た途端、青い狼と目があって、彼の動きが止まった。対峙していた茶子もこちらに目を向け、そして驚いた表情を見せた。その一瞬を見逃さず、青い狼 瑠蓋は牙を剥いたのだ。




 赤い狼は瑠蓋を下がらせた。耳を伏せ、尻尾を足の間に入れて、怒りの形相を見せる紺から後退る。



 街道は熱気に包まれる。恐怖が少し、興奮が大半。周りにいる生き物たちは収まらぬ高揚を沈めるためか肩を掴んで乱暴に揺らし、理解できない言葉を唾と共に吐いては、数メートル先にいる赤と緑の狼に何度も拳を掲げた。さながら、野球やサッカーを観戦する客だ。



「おい女!!つまらないことするな!!」


 野次馬に怒鳴られても佳流は意に介さず、ハンカチや上着を使って出血を止めようと手を尽くす。

 やがて風架は、飛び交う言葉を正確に聞き取ることができ、目の前で起きていることを理解し始める。茶色の、あの人狼が倒れていること。2体の狼に襲われて血を流していることを。


「茶子さ………茶子さんっ!!」



 風架は自身の肩に乗っている手を強引に退かし、血を流す茶子の元へ走り出した。




 その頭上を、何者かがスピードを持って通過した。そいつは2匹の狼目掛けて数十本の武器を投げる。すぐに躱されたが、瑠蓋が避ける場所を見越していたのか、重たい踵落としをお見舞いする。土煙が舞い上がった。


「やりすぎだ、瑠蓋」



 聞いたことのある声が土煙の中から聞こえた。立ち止まっていた風架だが、我に帰って茶子と佳流の元に走る。

 獣型の姿で伏せる彼女の身体には痛ましい傷があり、逸らした視線の先には流血する噛み跡があった。彼らは命を奪うつもりだったのだろうか。


 僅かに息をする茶子は、重傷だというのに意識があるようで、口を動かして何かを伝えようとしている。聞き取ろうと耳を寄せたが、声が出ておらず分からない。





 晴れた埃から現れたのは、以前に怪我をした蒼一狼を運んでくれた、百薬街道の守人、比良坂沙だった。フードの下にある眼光はただ真っ直ぐ、2匹に向いている。



「ルールを破ってでも人間を捕まえたかったのか?それともただの憂さ晴らしか?なぁ」


 瑠蓋の左側の顔には、沙の攻撃でできたであろう縦筋の傷があった。大きな口を開き、その傷を歪ませる。



「レトロコアに逃げ続けて少しは強くなった?牙も爪もない元人間が100年もよく生きてたな」

「話を逸らして逃げようって魂胆か。相変わらず浅ましいな」


 沙は紺を下がらせ、茶子を村に連れ帰るよう言った。紺は素直に頷き、人型になって茶子を運ぶ。

 イグズィアのトンネルは通れないと解っていながらも、風架と佳流は紺についていった。





柘榴ざくろ、お前は村が嫌いか?」

「嫌いに決まってる」



 赤い狼、柘榴に問う。しかし答えたのは瑠蓋だったため、柘榴に聞いているのだと黙らせた。再度問いかける。黄泉村が嫌いか、と。



「……嫌いだ。罪を軽んじてるから」

「…そうかよ」



 柘榴の返答に俯いた。




 ちらと見えた茶子の怪我は背中からの出血が酷かった。蒼一狼と紺も同様に背後からの傷が目立つ。


 沙はフードを外して上着の内側に手を入れ、短剣を取り出した。瑠蓋と柘榴が身を低くして構える。




「2匹でかかってこい。今のお前らは俺より弱いってことを思い知らせてやる」






 低く、低く呟いた後、戦闘態勢を取るために足を動かすと、どういうわけか沙の足元から真っ赤な彼岸花が咲いた。

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