第26話_守るが護らず①

 最古の記憶は、自分に爪を立てた子狼の姿。そいつは怯えていたような気がする。曖昧なのは、200年以上前の話であるうえにどうでもいい事だから。




 そんな昔の事を思い出したのは、あの2人の人間と出会ったからだった。大人からの言いつけを聞かなかった錫夏は、きっと里に帰っても傘招きと話してはいけない理由には納得しないだろう。


 「呪いが移るから」などという建前の底にある、「あなたが心配だから」という庇護に気づくのは、何十年後だろうか。いや、下手をすれば何百年とかかるかもしれない。なぜなら呪いの伝染という分かりやすい理由を、あの人間たちがたった一言で崩したからだ。




 いさごは暗闇に生える小さな枯れ木にもたれかかり、上を見上げる。



(『気を付ければいいだけ』……)



 本音を言えば、自分もそう考えている。錫夏が心配なのは同じだが、隠し世の里の人狼ほど傘招きを危険視していない。あの人間たちが錫夏に教えたように「気を付ければいい」だけなのだ。

 しかしこの考えを里の奴らに打ち明ければ十中八九、糾弾を受けるだろう。危機感が足りない、だとか、子供が心配ではないのか、だとか。



 例えばこういった危機感ひとつ取っても、何かと里の人狼たちとは衝突が多い。おそらくは分裂時、黄泉村に残った〝黄泉村派〟だから。






 100年と少し前までは、一緒の土地で暮らしていた。しでかしたいたずらをお互いになすりつけ合い、嘘がバレると一緒に怒られた。

 ひとつの家で雑魚寝をするほど信頼し合っていたのに、今では一定の距離を保たれ、牙を剥き出しに唸られる。


(何について怒ってんのか訳がわかんなくなってくるな)





 背中を預けていた枯れ木から離れ、暗闇を進み夜市に出る。



 今日は我楽多市の日で、つまり我楽多隊である沙は先程までサボっていた訳だが、特にお咎めはない。上司である百薬隊長のたきに見つかれば、小言程度に怒られてしまうが。




 掟と夜市を守れば、大したルールに縛られない守人もりと。自分が守人になったのは、黄泉村が分裂した直後だった。

 『守人になれ』と、言われたのだ。言った奴は、そのまま村を出ていってしまった。







 フードを被り、百薬街道を歩く。どこかの街道に傘招きがいるのか、ぽつりと雨が降ってきた。






  ***






 レトロコアに到着するや否や、雨が身体を冷たくした。もらった傘も折り畳み傘も所持していない風架と佳流は、最初こそ上着などでしのいでいたが、最早意味なしと諦めて濡れ鼠になった。


 周囲の者たちも同じ考えのようで、びしょ濡れの客で街道は溢れかえっている。





 毎回ランダムでひとつの街道に出るのだが、今回は果たしてどこだろうか。植物がないから植物街道ではない。独特の匂いがしないから百薬街道でもない。檻に入れられた生き物は見えないから禽獣きんじゅう街道でもない。となれば魔法薬街道か、或いは。



(売られている商品に統一性がないということは…)


 他4つに当てはまらない商品が売られる街道。名称は確か、爾余じよ街道だ。




 佳流もどこの街道か考えているようで、辺りを見回している。すると、ある一箇所に視点が止まった。風架も同じ方向を見ようと顔を向けた。


 その瞬間、大きな物体が頭のすぐ上を通過し、固いものがぶつかり合うような鈍い衝突音が聞こえた。

 風架と佳流は身を寄せ合い、何が起きたのか分からず混乱する。




「走って!」



 頭上から、少年らしき声がかけられた。



「翁隊長が言っていた人間だよね?!走って逃げろ!人狼が2人を狙ってる!」

「ラッキィ〜〜〜!!人狼見っけ!!あのド短気狂犬は何も言えないよね!だって翁の下僕げぼくだかペットだかを狙ってんだもんね〜!!」



 逃げろと叫ぶ少年に続き、やたらと楽しそうで狂喜に溢れた女の声が横を通り過ぎた。巨大な両刃斧ラブリュスの向こうに藍色とピンク色の人狼が2体いて、人型生物2名が戦っている。




 突然の出来事だったが、今回は足が動く。風架と佳流はなんとかその場を離れようと後退ると、戦闘が行われている近くの人混みから、1匹の狼がこちらに走ってきていた。色は青系で、先程の藍色の狼かと焦る。



 近くにきた狼は、藍色よりも深い青毛だった。紺色だ。

 背中を怪我しているその紺色狼は、動けずにいる人間2人の横に立った。


「早く離れるぞ!」



 そう言って、顔で「行け」のジェスチャーをする。彼が茶子や蒼一狼そういちろうと同じ黄泉村よもつむらの人狼だと気づき、2人は素直に従った。

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