第23話_目的と手段②

 茶子の案内で辿り着いた場所は、東屋ではなく立派な建物の前だった。木造の大きな屋敷で、線香に似た匂いが鼻を掠めた。

 人型に姿を変えた茶子は、鼻を押さえながら舌打ちした。


「もしやと思ったが………チッ。風架、そのマフラー貸せ。頼む」


 嗅覚に優れているからか、漂うこの香りを嫌がっている。鼻声でマフラーを要求してくるため、すぐに外して貸してやった。

 茶子は受け取ると、すぐに顔の半分を覆って嗅覚を鈍らせた。それでも効果は薄いらしく、苦い顔をしている。




 茶子の様子に苦笑いし、屋敷を見上げる。屋敷へは目の前の大きな門をくぐる必要があるのだが、なぜか茶子は門を通らず、塀に沿うように歩き出した。

 後ろを歩きながら引き止めると、「伊舎堂いしゃどう家にバレる」と拒否を示された。


 訪問を知られてはいけないのかと疑問に思っていると、茶子はある程度歩いたところで立ち止まり、塀に爪を立てた。

 何をする気なのか、そのままぐいぐいと垂直に建つ壁を登り進み、3メートルほどの高さをあっという間に登頂した。


 唖然としている風架に、上にいる茶子は手で「来い」というジェスチャーをする。技術的にも体力的にも、倫理的にも登れるわけがないと首を横に振った。

 すると小馬鹿にしたように笑い、軽々と降りてきた。



向日むかいだって登ってこれるぞ」

「私は無理です…!玄関から入りましょうよ」

「仕方ないな、足場でも作るか……いや、弁償させられかねないな」



 風架の必死の提案を、まるで聞こえていないかのように無視する茶子。そして名案を思いついたと言うように耳を立てた。



「連れていってやるよ。首出せ」



 母犬が子犬を運ぶとき、首根っこを咥えて歩く。それと同じことを風架にやろうとしているのだろう。

 流血は避けられない運搬方法に、高速で首を横に振って拒否した。
















 立方体の小さな箱を左手に、階段を登る小尉。箱からは煙がゆらゆらとくゆっている。



 階段を登りきり、廊下を歩いてとある一室に入った。そこは畳が敷かれているだけの何もない部屋。

 小尉は箱を持ったまま、出入り口から一番遠い壁に近づく。1メートルほどの距離を置き、壁と向き合うように立って空いた右手を動かす。空間に手を置き、右から左へ、素早くカーテンを開けるように。

 すると、何もなかった部屋の片隅に、ショーケースが出現した。ケースの扉を静かに開け、左手にある煙が出る箱を中にしまった。

 そして、また右から左へカーテンを開けるように、右手を動かす。


 ショーケースは姿を消した。





 そのとき、部屋の窓から何か声が聞こえた。音の正体を確認するため、窓に近づいて枠に触れる。しかし見えるのは、葉のない樹木だけだ。何者もいないが、暗闇では数メートル先しか見えないため、侵入者ではないと言い切れない。

 また不届者が来る前に、枝の伐採を家の者に頼もうかと考えたとき、枝が大きく揺れた。


 その瞬間、影が飛び出して窓を強く叩かれた。



「小尉、開けろ。客だぞ」



 叩いた者は人狼族の女、茶子だった。器用にバランスを取って枝に立ち、脇に人型生物を抱えている。

 それが風架だと気づいた小尉は、窓を開け放った。


 茶子は抱えた風架を放り投げ、自身も窓に手をかけて飛び移る。



「窓から来るなと何度も言っているよね?なぜ理解しないんだ?」

「木登りが好きなんだよ、ごめんな」


 欠片も申し訳ないという気持ちが込められていない謝罪に、小尉はため息をつく。



 一方、放り投げられて肩と頭を強打した風架。おんぶをしてくれと頼んだのだが、塀を登りきって早々に「登りにくい」と言われ、脇に抱えられた。

 そのまま軽々と、塀の内側に生えていた木を伝い、小尉のいる部屋まで辿り着いたのだ。


 地面が真っ暗闇で助かった、と安堵のため息を漏らす。はっきりと「地面」を認識していたら、高さに恐怖していただろう。茶子の身軽さに恐怖するだけで精一杯だった。




 頭部を押さえる風架に、小尉は歩き寄ってしゃがんだ。


「次から家に来るときは、窓からではなく門を通ってくれ。門を通らずに入ると訪問者ではなく侵入者となるから」

「…はい。すみませんでした」



 次、茶子に出会って小尉のもとへ連れていってもらう機会があった時は、断固として塀からの侵入を拒否しようと決めた。

 この場所で放たれる小尉の〝圧〟は、いつもの倍恐ろしい。














 無事(?)に小尉に会えた風架は、早速バッグから我楽多を取り出す。中学生のときに使っていた参考書だ。

 受け取っていつものように中身を確認する小尉。それを覗き込む茶子。


「なんだこの本?魔術書か?魔法陣が書けそうだな」



 数学の問題を解くための本だと説明しようとすると、小尉が本を閉じた。


「茶子は何か用事があるのか?」

「?ないが」

「ならば早く出ていけ。人狼除けにこうを焚いているんだから」



 門で香ったものと違い、この部屋は鼻の奥が痺れるような匂いが充満していた。ハッカのようなハーブの香りを何倍も濃くしたかのような。

 この香りが人狼除けのものと知り、風架は驚く。人間でさえ少し鼻が痛くなるのだから、茶子は相当辛いだろう。見るとマフラーの上から鼻を押さえていた。


 申し訳なく感じ、自分が茶子に頼んで連れてきてもらったことを伝えた。



「守人に頼めば翁を経由して私に繋がるけれど、わざわざ茶子を頼ったのか」

「少し事情がありまして…」

「事情?守人を頼れない理由があるの?」



 それに関しては茶子が説明した。大雑把に、人狼族が風架と佳流を捕まえようと躍起になっている、と。

 小尉は茶子に顔を向けた。


「分裂の話かな?風架と佳流に関係ないはずだけれど、まぁそれが〝事情〟だね。気をつけてね、茶子。2人は私の友達ともだちだ。死なれては困る」



 茶子は鼻を押さえたまま、目を細める。


「ああ、しっかり守ってやるよ。小尉のトモダチだもんな。だからお前さんも協力しろよ。風架と佳流トモダチが困ってたら助けてくれるよな?」

「困っているのならね」



 含みのありそうな言い回しにも動じず、変わらない様子で頷く小尉。


 茶子は「フン」と鼻を鳴らし、人狼除けの香りを吸ってしまって悶えた。そして目に涙を溜め、鼻声で「帰るぞ」と言い、すぐに風架を抱えて窓に足をかける。

 小尉にろくな挨拶もできず、心の準備もする間もなく窓から飛び降りる。悲鳴をあげると茶子に「静かにしろ」と怒られたが、無理な相談だった。

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