第22話_ムカつくあいつら②

「これ…材質はガラスに似ているね」

「…ガラスです」

「ガラス?本当に?落としただけで割れてしまうガラスを使っているの?」

「人間はガラスを普通に使いますよ」

「へー…」



 夢現つの状態でも彼の耳は話声をしっかり聞き取っていた。ガラスという高価な商品について、誰かと誰かがやいのやいの話している。


「…!」


 意識がはっきりとし、自分が気絶したことを思い出して飛び起きた。


 右手には見慣れた顔と小尉面、翁面が立っていて、左手には全く知らない人型種族の女が座っていた。反射的に左側にいる人物を警戒した。



「お前誰だ?!」

「あっ、風架です」

「そっか、オレは蒼一狼そういちろう。こいつ誰?」


 蒼一狼 と名乗った人狼は、見知らぬ女について隣にいる沙に尋ねる。沙はその質問に一切答えることなく、額を指差して怪我をしている事を自覚させた。頭を負傷しているのだからいきなり動くな、と。

 その言葉に徐々に痛みを感じ始めたのか、蒼一狼は左腕で頭部を押さえようとしたが、その手は風架によって阻まれた。


「左腕も怪我をしています!あまり動かさないでください」


 見たことのない女を蒼一狼はじっと見つめ、再び尋ねる。



「………お前誰だ?!」




 困惑する風架の代わりに沙が「人間だ」と簡潔に教えた。たった一言だけの情報しか教えられていないのに彼は「そっか!」と安心したかのように警戒を解いた。






 あの後、現れた沙が蒼一狼を回収した。心配で風架も同行し、「困っている」と伝えたからか翁もついてきた。

 怪我といってもさほど大きなものではない、と診た沙は、「寝れば治る」という診断結果を出してなにも処置することなく放置した。翁によって止血されているため、これ以上手を加えても薬の無駄にしかならないそうだ。

 痛み止めや治りが早くなる薬などはないのか、と聞く風架だったが、寝ていれば治る怪我に費やす薬はない、と一喝されて案の定撃沈した。


 せめてもの、自分への気休め、自己満足として頭や腕に包帯を巻いた。



 その後、風架が我楽多支払いに訪れたことを知った翁は小尉を呼び、蒼一狼を囲んでの借金返済をしていた。




 沙から大まかな説明を聞いた蒼一狼は、翁が自分を助けたという事実に心底驚く。


「翁がオレを助けたのか?なんで助けたんだ!?気持ち悪いぞ!」

「君が死ぬと風架が困るそうだ。だから助けた」

「え?何で困るんだよ?オレお前なんか知らねーぞ」



 終始戸惑う反応だが、しっかり伝える。


 茶子や錫夏と知り合い、人狼が悪い種族ではないと知った。もし蒼一狼が茶子や錫夏と知り合いだった場合、死んでしまったら2名が悲しむのではと思った。だから、死んでほしくなかった。



 風架の言葉に、蒼一狼は耳を動かして首を傾げる。


「お前、錫夏を知ってるのか?」

「え?…はい」

「……ちょっと待てよ…………あれ?お前の名前は?」



 聞き逃してしまったのかと思い、再度名乗る。すると蒼一狼は、風架の名前を復唱して何かを考え込んだ。


 今度は風架が首を傾げていると、小尉が蒼一狼の怪我について尋ねた。なぜ人狼がレトロコアで争っていたのか、と。

 名前について考えながらも答える。



「最近里のやつらが過激になってきてんだよ。罪の姿でいるなとか獣でいろとかウダウダウダウダ…村には来れないからって、レトロコアで…何だっけ?ウ……ウッ…わかんねぇ。ウンコみたいなやつ晴らしてんだ」

「…ウンコみたいなやつ?四市よいち、解る?」

「解らない。ウンコとは糞便ふんべんのことか?」

鬱憤うっぷんだろ、バカ犬が」



 言いたかった単語を沙が教える。付属された「バカ犬」に、蒼一狼は憤慨した。


「なんだと!?バカ犬に育てられたお前だってバカなんだからバカとか言うな!カエルの子はカエルって知らないのか?!」

「オタマジャクシだよ」

「……ほんとだ」




 愛想笑いも苦笑いできず、このまま話を聞いていたら変な顔をしそうなので蒼一狼と沙に質問する。


 錫夏は沙にかなり懐いているようだった。「お兄ちゃん」と呼ぶほどに。さらに蒼一狼は「バカ犬に」と言った。2人は、ひいては沙と人狼族はどういう関係なのか?

 沙は答えた。


「レトロコアでこいつらに拾われただけだ」

「…えっ!?レトロコアで生まれたってことですか?でも人間ですよね…?錫夏ちゃんが人間だと言っていましたが…」

「人間だった、が正しい」



 沙は生まれて間もなくレトロコアに迷い込み、商人たちにいたずらで〝人型の薬〟を飲まされた。


 人型の薬とは、摂取した生き物を人の姿に恒久的に変える薬だ。人狼でもカエルでもオタマジャクシでも、飲めばどんな生き物も人間のような身体になる。

 ただ難点がいくつかあり、最大の難点がことだ。レトロコアでは、種族を失った者たちを「楽楽狗ららぐ」と呼び蔑む。

 種族がないということは、値札が付けられないということ。値札が付けられないということは、価値がないということ。


 売買の行われる夜市よいちにおいて、価値がないものは存在していないものと同義だ。「楽楽狗」はレトロコアでは相当な蔑みの言葉であり、個人に対して使えば死ぬまで恨まれるだろう。


 商人のいたずらは、いたずらの域を超えた非道な行為だった。

 哀れにもおもちゃにされてしまった赤ん坊の沙を、通りかかった蒼一狼たち人狼が助け、イグズィアの世界へ連れ帰ったというわけだ。



 小尉が補足するように口を挟む。


「人型の薬を飲んだ者たちの元の種族は明確には分からないんだけれど、細胞を照合させて調べる機械があるんだ。沙の正体が見当も付かないと蒼一狼と緑太狼ろくたろうに頼られて、私が調べて人間の細胞に近いことが分かったんだ」



 植物隊に所属する東童とうどう向日むかいも同様に人狼族に拾われた。しかし彼の場合は人型の薬を飲んでいないため、種族的には「人間」に分類される。



 説明を聞き、頭の中で整理していると新たな疑問が浮かぶ。たしか、レトロコアの掟にこんな項目があった。




────十一、自身の育った世界と異なる世界に行ってはならない。買い取った獣も同様である。





 沙と向日はこの掟に反しているのではないか。そう聞くと、翁が答える。



「3年の猶予がある。生まれて間もない透明な生き物が育つ場所を決める期間だ。比良坂と東童は3年のうちにイグズィア世界に行ったから違反ではない」



 秩序のない場所だと思っていたが、しっかりとルールはあるようだ。異世界に干渉する空間という、唯一且つ強大なものだからだろう。

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