第二章

第21話_語らい①

 山を下り、木と木の間を通り抜け、大小三つの川を越える。霧の濃い場所にある曲がり道に気を付けて、背高の草の中を進む。その先にあるのは、嘘にまみれた獣の里。





錫夏すずかみーっけ!」



 かくれんぼのような声をかけられ、錫夏は驚く。あしの中から出てきた獣は、自分よりも少し身体の大きい同族の少年だった。

 青色の毛を持つ人狼少年、青葉あおばは、錫夏が手に持っている大きな傘に興味を示して匂いを嗅ぐ。


「どこで拾ったの?この傘。知らない匂いがいっぱいついてる」

「川からながれてきてたからひろったの」

「川から?ふ〜ん…」



 訝しげに匂いを嗅ぎながらも、早々に興味が失せたようで錫夏に目を移す。錫夏自身にも別の匂いがついている。


「レトロコア行ってたんだろ?ぼくも行きたかったなぁ」

「いけばいいじゃん」

「うーん……行きたいけどさ、人間の兄ちゃんたちいるだろ?」

「…………別にいいじゃん……」


 耳を伏せ、少し落ち込む青葉。錫夏の呟きを聞き取ったが、応えることはなかった。




 葦に囲まれた川のほとりで黄昏れていると、ガサガサと遠くから音が聞こえた。人型になっていた錫夏は慌てて獣型に姿を変え、身を低くして後退りする。青葉は歳下の錫夏を守るために前に出た。

 草の中を進む音は、確実にこちらに近づいている。明らかにここに自分たちがいることがバレている様子だ。


 背後には川で、流れはさほど速くはないが侮ってはいけない。子供だけで川に入るなと、大人にキツく言われている。


 しかし、緊急事態に逃げ道が川しかないとなると、やむを得ないか。



 青葉は接近してくる獣に最大限の警戒をしつつ、どうやって逃げるかを考える。


(いっそのことフイをつく…?そうだ、ぼくらは人狼だ。逃げるなんてよわい奴のすること……!)




 ガササ と目の前の草がかき分けられ、獣が姿を現した。それと同時に青葉が牙を剥き出して飛びかかる。

 あと少しで届く…ことはなく、獣の右の前脚でバチンと叩き落とされた。顔面に反撃を喰らい、しかし痛くはなかったため青葉はすぐ起き上がる。見上げた先にいたのは、錫夏や青葉よりもはるかに大きい金茶色の狼。


「なんだ金茶茶かなさざくんかぁ…!」

「おどかさないでよ!びっくりした…」



 里で一番身体が大きい、金茶茶かなさざだった。迫ってきていた獣が身内だったことに、青葉はへたりこんでため息をつく。


 そんな青葉の横を通り過ぎ、金茶茶は錫夏の匂いを嗅ぎ始める。そして近くに無造作に置かれた傘を一瞥し、首根っこを噛んで持ち上げた。


「帰るぞ」

「あっ、まって!あれ錫夏の傘なの!もって帰るの!」


 金茶茶は少し立ち止まり、錫夏が示す傘を見つめた。しかし取りに戻ることはせず、そのまま草むらの中を進む。



「ねぇまって!まってよ金茶茶くん!!」



 4本の脚をバタバタと動かして抵抗するが、大人の男に子供が敵うはずもない。

 葦の中に入ればすぐに道無き道となり、傘も川原も見えなくなった。後ろをついていく青葉が取りに戻ってやるかどうか迷っていると、横からまた別の狼が現れた。



「あ、朱介しゅうすけさん」



 朱介しゅうすけ と呼ばれた赤毛の狼は何かを口に咥えている。それは先ほど見たばかりの傘。

 金茶茶は「錫夏の傘!」と叫ぶ錫夏を地面に降ろし、傘を地面に落とす朱介に顔を向ける。



「戻れたのか」

「おちょくらんといてほしいわ。帰り道くらいどうとでもなんねん」



 訛りのある口調で喋りながら、傘を咥えて尻尾を振る錫夏の頭を舐める。



「というか傘くらい持って帰ったったらええのに」

「朱介さんありがとう!」

「はいはい」



 4匹の狼は少しの会話を交えながら、背の高い草むらを進む。朱色、青色、金茶色、錫色。やけにカラフルな色を持つ獣たちだ。













 大人に比べてまだまだ身体の小さい錫夏は、傘を長時間咥えることはできない。そのため、致し方なく人型になって傘を抱え歩いた。

 その姿に、里の狼たちはいい顔を向けない。


 自分が今どんな視線を向けられているか、幼いながらに理解している錫夏は、傘を抱きしめて金茶茶の後ろを歩く。そこに、2匹の狼が近づいて進行を阻んだ。




 数時間ほど姿の見えなかった錫夏がどこに行っていたのか、ある程度の予想はしていた。には行っていないならば、候補は一つ。レトロコアだ。

 そこから帰ってきた錫夏の手には、お土産と呼ぶにはあまりに不吉な傘がある。


 2匹のうちの1匹、藍色の狼、藍藍あいらんは錫夏に顔を寄せ、傘の匂いを嗅ぐ。



「おかえり、怪我はしてない?」



 開口一番に怒られることを覚悟していた錫夏は、彼女の優しい声に一瞬だけ固まり、遠慮がちに頷く。

 その様子に、藍藍は「よかった」と錫夏の頬を舐めた。




「怪我がないならこっち来なよ。その傘について説明してもらうから」



 地面に尻をつけて座る青毛の狼、瑠蓋りゅうがいが、錫夏を睨みつけながら言い放つ。金茶茶や朱介は何も言わず、ただ黙って瑠蓋を見つめている。

 良いとは言えない雰囲気に、青葉は思わず錫夏を庇った。


「傘は川で拾ったんだって!なぁ錫夏?」

「う……」

「拾ったなら錫夏の口からそう説明してもらうから早く」



 一歩も譲る気のない口調に、青葉は朱介の背中に隠れる。


 金茶茶に助けを求めるように視線を送るが、彼は頬を舐めるだけで何も言ってくれなかった。朱介も同様に無言だった。




 人狼は長幼の序を大事にしている種族だ。それと同時に強さも重要視されている。歳を重ね、なおも強ければ強い発言権を持つ。

 そんな人狼の里、隠し世の里では、若者である藍藍、瑠蓋の2匹が顔を利かせていた。金茶茶と朱介は彼らよりも歳上で、少なくとも金茶茶は2匹よりも確実に強い。それなのに、こういう場面で一度も錫夏を庇うような言動を見せない。逆に、藍藍や瑠蓋に同調することもないのだが。




 歳上が偉く、強ければさらに偉い。錫夏のような子供でもそれをよく理解している。だから錫夏は、藍藍と瑠蓋が好きではない。

 しかし、自分は里の最年少であり、力は誰よりも弱い。故に、誰かが庇ってくれない限り、来いと言われれば従うしかないのだ。

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