第20話_兄の悩み①

 傘招きと別れ、錫夏、ついでに沙とも別れ、今度こそ風に向かってトンネルを進む。トンネル街道へ着く頃には雨は上がっていた。危険極まりないものではあるのに、なぜだか一抹の寂しさを感じる。


 それは佳流も同じ気持ちだったようだ。傘から聞こえなくなった雨音に気づくと、闇夜を見つめて憂いまじりに笑い、静かに傘を閉じていた。



 不謹慎だろう。何も分かってやれないだろう。


 それでも、あの雨は。あの雨が。







 お互いの姿のみ確認のできる真っ暗闇を、歩き続ける。


「こんなに長居したの初めてだね」

「そうですね」


 だがおかげで、異種族と話すことができた。それはレトロコアに訪れるにあたって、決して避けられないことだ。その、小さな一歩になったはず。



 物思いにふけっていると、風架はとんでもない事実に気づく。


 長居したと言うことは、その分家に帰っていないと言うこと。時間の流れが違うのは人間世界も同じだ。

 早く帰らねば、今度こそ家族に不審がられる。



 2人は大急ぎでトンネルを走った。







  ***







 彼は腕を組み、眉間に皺を寄せてパソコンを睨んでいた。画面にはプログラミング言語が大量に羅列されており、その途中で文字は終わっている。

 ソフトウェアの開発について悩んでるのかと思われたが、彼は非常に優秀なSEシステムエンジニアだ。人件費削減のためかプログラミングも兼任してくれと上司に言われたが、勉強していたおかげで問題なく仕事をこなしている。



 彼の悩みは、仕事とは全く関係ない。





「どうした?たちばな。えらい悩んでるみたいだけど」



 ひとりの同期が話しかけ、紙コップに入れたコーヒーを机に置いてくれた。

 それには手をつけず、尚も腕組みは解かれない。



「いや………………聞いてくれるか……」

「え?…うん、珍しいな」



 長考の後、ため息をつきながら相談させてほしいと頼む。


 彼、橘晶斗あきとが仕事について悩んでいると誤解されたようで、周囲は軽くざわついた。同期も揶揄いながら、コーヒーを持って休憩室へ向かった。






「最近、妹と同居人が2人で出かけることが多いんだ。それ自体はいいんだが、帰ってくる時間が夜中だったり翌日の昼間だったりで…」



 晶斗から明かされた悩みが家族の不思議な行動だったことに、同期はさらに驚いた。晶斗は家族の話すら、尋ねたってあまり話さなかったから。


「あー…同居人って幼馴染だっけ?」

「ああ」

「女?」

「そうだ」

「妹さんいくつよ?」

「高1」

「…………彼氏じゃん?ダブルデートとか楽しんでんだよきっと」



 バシャン、と床にコーヒーが溢れた。


 深刻になりすぎないように茶化したつもりが、どうやら本気にされてしまったらしい。晶斗の持っていた紙コップが床に落下した。

 その反応が新鮮で余計に面白いと感じた同期は、笑いながら追撃する。



「なんだよ、彼氏くらいできるって!妹さん高校生ならさぁ、一番楽しい時期じゃんか。幼馴染の人も橘みたいなワーカホリックよりいい人見つけたのかもな」

「…風架に彼氏………」



 幼馴染よりも妹の方が心配なようで、床に広がるコーヒーをろくに片付けられず、紙コップを拾って固まってしまった。


 雑巾を渡しながら、幼馴染に自分を紹介してくれよと言うと、「冗談はスキルだけにしてくれ」と力無く拒否された。



















 同期の男は、彼氏だなんだとほざいていた。仮に本当に彼氏ができたとして、なぜ2人で出かけるのか。それにデートなのだとしたら、もっと楽しそうに、もっとおしゃれして出かけるはずだ。二人は楽しそうでもないし、派手な服を着ていない。



 もしかしたら、何かよからぬ事件に巻き込まれているのではないだろうか。心配させまいと何も言わないのかもしれない。

 事情はあるはずだ。そうでなければ、土曜に出かけてなんの連絡もよこさず、火曜の明け方に帰ってくる理由が解らない。「遅くなっても心配しないで」という言葉の真意を探ってしまう。


 昨日帰ってきた2人のことで悶々と悩みながら、自宅の鍵を開ける。しかし鍵は開いていて、外開きのドアを開けると、隙間を縫うように1匹の子蛇が出てきた。

 逃げていく蛇を見送りながら、晶斗はため息をついて玄関に座り込む少年に声をかけた。


「動物は駄目だと言ってるだろ…」

「だって寒いって言うから」

「冬眠させてやれ」


 悪いと思っていなさそうな「ごめんなさい」の言葉に、頭を雑に撫でて家に入った。

 玄関から繋がるダイニングキッチンには、夕飯らしき料理が並んでいた。コンロにはぐつぐつと沸騰する味噌汁の鍋があり、だというのに少年以外に誰もいない。



 晶斗は鍋の火を止め、少し考え、玄関から離れた位置にある洗面所のドアをノックした。


「風架、蛇はもう逃げた」


 そう教えると、鈍い音と共に引き戸が開かれる。焦ってどこかに頭をぶつけたようで、額を押さえながら「お帰りなさい」と安心したように、兄である晶斗を迎えた。




 「ただいま」と返し、逃げるならコンロの火を止めてからにしろと注意する。すっかり失念していたようで、瞬時に蒼白した風架は「すみません!」と急いで洗面所を出た。





 兄が自室に行く背中を見送りながら、風架は玄関に座り込む少年に声をかける。


珀流はるくん、動物は連れてきちゃダメです……!」


 そう言うと、珀流はまっすぐに目を見て答えた。


「ごめんなさい」



 謝罪の言葉と共に、彼の服の内側から新たな蛇が顔を出す。風架の悲鳴も再度飛び出し、隣人に注意されたのは言うまでもない。

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