第19話_「大人になったあなたにまた会いたい」③

 露無つゆなしが7歳になったある日、村の小堂に放り込まれることになった。そこで初めて、雨勿あまなし邂逅かいこうした。



 暗闇でも慌てることなく、自分たちが生贄として神に食われることを仕方ないとして話した。次の雨がひどいものにならないよう、神の怒りを少しでも鎮められるよう、神に食われるのだ。

 腹が減ったと口を尖らせて話す露無に、雨勿はニヤリと笑った。




『なぁおぬし、夜市よいちって知っておるか?』






  ***






 一度目のレトロコアでは、怖くなってすぐに逃げ出した。そして二度目の来訪で、錫夏と出会った。

 錫夏と別れ雨村へと帰ってから、錫夏の言葉が頭から離れなかった。先祖の罪と子孫は関係ない。関係なのだから、好きに生きていいのだと、この子狼は言ってくれた。「好きでいてほしかった」と。



 雨勿は言う。

 この話をしたのは、傘招きの呪いが何百人もの命を奪ってきたことを伝えるため。それほど危ないものであるから、傘招きに近づいてほしくないのだと怒鳴った。その意見は、60年経っても変わらない。


 好きに生きれば誰かが死ぬ。誰だろうと死なせたくないから好きには生きれない。


 自由だのなんだのと考えることは、錫夏に会うまでは微塵もやらなかったことだ。考え始めたら難解で苦しくて、今日も明日も夢に見るほど悩み、迷うだろうと彼女は言う。




「じゃがな……好きに生きたら、少しだけ楽しかったぞ。初めて年寄り共に反抗した時は、それはそれは愉快じゃった。相当怒られたけどな」



 懐かしむように笑い、風架に顔を向ける。



「…わしらは、錫夏に呪いを移すことを覚悟して舞い戻った。わしらがレトロコアにいる限り、雨は止まぬというのにな。何度謝っても許されぬを、どうして置いておけようか」



 ついさっき、傘招きにとっては約60年前の、風架の言葉だ。




『危険を教えるのはまた別の話です。罪の話も置いといて…!幼い子供を泣かして謝りもせずにいなくなるなんて、あなたたちこそ酷いです……!』





 少しだけ口を開き、閉じる。


 こちらを見上げる錫夏と目が合い、また口を開いた。




「あなたたちの抱える悩みは、あなたたちだけのものです。そこに私たちという異種族は関係ないです。だから、私たちが傘招きに話しかけること、手を触れることは、私たちの自由です。実害が出てしまう以上対策をしないといけませんが、それだけでしょう?軽視していると捉えられてしまったら、すみません。

でもそれだけなんです。雨さえ避ければそれでいい。ご先祖様の罪に私たちは関係ありませんし、今の傘招きたちにも関係ありません」



 そう簡単に言うが、死んでしまう呪いだ。こちらに走ってきた時の雨と今降りしきる雨は全く違う。

 露無の言葉に、風架は頷いた。頷いた上で尚も否定する。



「とても危険なものだから傘をさします。傘をさして絶対濡れないように気をつけて、またこうやってお話ししましょう。風が吹いたらまた考えましょう。考えるためにまたお話してください。

おふたりの危惧することは、傘をさすだけで避けられるんです。もし濡れてしまったって、こちらの不注意ですからおふたりに関係ないんですよ。ですから、話したいと願う子を遠ざけないであげてください。一緒に守っていきましょう」




 その言葉に佳流は微笑み、錫夏に分かりやすく伝える。


「傘招きとお話するときは、傘をさして濡れないように気をつけること。それさえできれば、何時間だってお話していいんだよ」



 「いいでしょ?」と、雨勿と露無に聞く。2人は、声にならない声で少し悩み、やがて「その通りだ」と小さく同意した。

 錫夏は目をまんまるに開き、少し離れた位置にいる沙を見た。何も言わなかったが、頷くのが見えた。



 ちぎれんばかりに尻尾を振り、跳ね回りたいのを我慢して雨勿に抱きついた。




「じゃあやっぱり、お父さんたちがちがうんだよね!雨勿ちゃんと露無くんに話しかけることはわるいことじゃないもん!わるいことしてない風架ちゃんと佳流ちゃんが言うんだから、そうなんだよ!!」


 雨勿は錫夏の頭に手を置いた。整えられた毛並みが心地いい。



「おぬしを心配する親たちの言葉が、間違いだとは口が裂けても言えぬ。理解できるその時までは、どうか間違っていると言ってやるな」



 忠告した後、今までにないほど優しい声で礼を伝えた。




「ありがとう錫夏。好きでいいと言ってくれたこと、決して忘れない」






 続けて露無も、風架と佳流に感謝を伝える。



「認識を改めます、人間たち。君たちはとても強い生き物です。僕たちよりは遥かに。無知ゆえの強さだとしても、僕たちは救われました……ありがとうございます」





 錫夏に会って、謝罪ができたら帰るつもりだったと2人は言う。傘招きが帰らずにいると、雨はいつまで経っても止まないから。

 もっと話したいと服を掴んで引き止める錫夏に、露無は優しく手を重ねて諭す。



「僕たちがすぐに去ることは何も不思議なことじゃないんだよ。傘招きの習性みたいなものだ。種族の習性を押さえ込んじゃいけない。それは、錫夏はよくわかるだろ?」

「………うん」

「傘招きと人狼が少しだけ分かり合えた、話し合えた。それは奇跡だ。それだけで…錫夏と会えただけで僕たちはもう、前を向いて、好きでいられる」



 重ねた手を放し、小さい背中を押して風架と佳流の元へ行かせた。




「今後、傘招きがレトロコアを訪れることはあるじゃろう。傘をさすことを忘れるな。そして錫夏が大人になった時、傘の下で共に話そう」

「ほんと?約束してくれる?」

「…ああ。約束じゃ」




 その約束は、決して果たされない。時間の流れが違いすぎるレトロコアを彼らが去ってしまえば、数分後にはどうなっているか。

 未来を約束し合う3名に、風架は寂しくなって涙を堪える。



 泣いていては錫夏に勘づかれてしまうかもしれないので、急いで涙を拭って笑顔を作る。






 「さらば」と告げて、雨勿と露無はレトロコアを去った。

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