第19話_「大人になったあなたにまた会いたい」①

 嬉しさと戸惑いの表情で駆け寄ってきた幼い人狼、錫夏すずかの姿に、雨勿あまなし露無つゆなしは呆然としていた。自分たちはおよそ60年の月日を生きてレトロコアへ来訪したというのに、錫夏はあの時と何も変わっていない。


 一方、何も分かっていない錫夏は2人に何度も問いかける。


「雨勿ちゃんたち帰ってなかったんだね!お話してくれる?ねぇ、露無くんどうしたの?なんで2人ともだまってるの?」




 ぴょんぴょんと跳ねてキラキラした顔で、服の裾を掴む。

 絞り出すように、雨勿が錫夏の名前を呼んだ。すると、声を聞いた瞬間に錫夏の表情が一変する。



「…だれ?雨勿ちゃんじゃない。そんなおばあちゃんみたいな声じゃない………」


 耳を伏せて尻尾を丸め、警戒するように後退りする。そして沙の背中に隠れ、片耳と片目だけを覗かせた。





 10秒ほど沈黙が流れ、やがて雨勿から深いため息が聞こえた。



「そうか…………そうか………………こんなにも短い……!」



 くずおれて、項垂れるように両手を地面につけた。

 困惑しながらも警戒の解けない錫夏に、沙が教えてやる。


 世界の時間は平等ではない。たとえば人狼たちにとっての1日は、別世界では2日、あるいは10日、あるいは1年になる場合がある。

 レトロコアでの1日は、傘招きにとっておよそ60年。沙たちレトロコアにいた者にとって、つい先程の出来事は、傘招きの時間軸では60年前の出来事になる。


 雨勿と露無は時間の不平等さを認識していたようだが、レトロコアと傘招きの世界がこれほど離れていたとは思わなかったらしい。




「わしらにとって60年前の過去の話でも…錫夏にとっては現在の続きになるわけじゃな………」


 立ち上がった雨勿は、訝しげにこちらを見る錫夏に語りかける。




「わしは雨勿じゃ。雨勿なんじゃ……こんなにも差が開いてしまって、とっとと老いてしまったことが申し訳ない………過去の話にしてしまって、申し訳ない」



 本当に雨勿なのか、という錫夏の問いに、頷いて何度も名乗る。自分は雨勿だと。露無なんだと訴える。

 嘘をついている様子はないことと2人の被り物を見て、錫夏はなんとか受け入れた。沙の後ろから出てきて、2人の前に立つ。



「錫夏が大人になっていると思ってな、忘れてしまっているやもと古い被り物を引っ張り出してきたのじゃ。まさか…こんな形で納得されるとはな」

「…60年か」



 露無が呟く。





「きっと僕たちは、君が大人になることも知らずに死んでいくんだろうな」





 そう言って、錫夏の持つ和傘に目を映す。錫夏にとってつい先程の出来事、ということは、彼女の持っている傘は…。



「その傘は…」

「露無くんがくれたよ。さっきのことだよ」

「……そうか…」



 震えた声に、錫夏は耳を伏せて露無の服を掴む。


「泣いてるの?大丈夫?」


 露無は頭に手を置いて「大丈夫」と応えた。





 泣あとの見られる錫夏の目元に、雨勿も震える声で言う。



「わしらは約60年間も、おぬしを泣かしていたんじゃな………」




 受け入れ難い時間の差をなんとか受け入れ、雨勿は袖から指を出して錫夏の頬に触れる。その手には、長年を生きた証が刻まれていた。

 本当に、彼女たちは年老いているのだと錫夏は理解した。


 頬に手を伸ばした雨勿は、優しい声で話す。



「あの時の…先程のことかな。謝っておらんかったじゃろう?おぬしに怒鳴り散らして泣かせてしまって…本当に、申し訳なかった」



 続けて露無も「ごめんなさい」と謝罪した。錫夏は首を横に振り、「いいよ」と許す。何度も謝り、何度も許した。




 雨勿は、錫夏の和傘を見ながら「そういえば」と尋ねる。あの時いた、人間はどうしているか、と。


「顔も名も忘れてしまったが、あの人間は…無事に自分の世界に帰れたじゃろうか?」


 錫夏は答える。風架と佳流は先ほど別れたから、帰ってしまったかどうかは不明だが無事であることは確か。

 その返答に、雨勿は再び「あぁそうか」と俯いた。



「つい先程の…ことじゃったな…」

「…ねぇ沙お兄ちゃん、まだいるかな?」




 後ろに立っている沙に、風架と佳流がまだいるのか尋ねる。沙が「さぁな」と答えると、錫夏は「呼んでほしい」と駄々をこね始めた。

 最初こそ冷たくあしらっていたが、騒がれて大泣きされて雨の中を走り回られたら大惨事なので、致し方なく翁に連絡を入れた。

 翁からの返事では、数分前に我楽多支払いを終えてトンネル街道へと向かったらしい。

 割って入った錫夏が大声で「呼んできて!お願い翁くん!」と懇願する。雨勿と露無がいるのだ、と。すると彼は「うるさい」と一喝し、その〝お願い〟を了承して通話を切った。



「申し訳ない、守人よ」



 雨勿が沙に謝罪した。

 露無に錫夏との関係について尋ねられ、近所のガキだと答えると2人は納得したように笑って、再度謝罪を口にした。






 やがて雨が、降り始めた。






  ***





 トンネル街道に辿り着いた風架と佳流は、風を探して歩き続ける。


「お話したかったね。錫夏ちゃんともっと……傘招きともさ」


 佳流の言葉に、そうですねと頷く。

 もっと話し合えば自分の言いたかったこと、傘招きの抱えている悩みが、ほんの少しだけ噛み合ったかもしれない。そのためには関わることは不可欠で、関わり合うと傘招きたちは遠ざかる。




 ふと風を感じ、今回の出口はここかとトンネルに足を入れた。その時、2人の名前を呼ばれた。振り返ると、翁が立っていた。

 支払いに使用した古本に不具合があったのかと聞くと、違うと否定された。



「錫夏から言付けだ」




 その言葉が、向かい風を追い風にする。

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