第18話_希望の子②

錫夏すずかちゃん、そんなとこいたらめちゃめちゃ邪魔だよ」



 両手でスカートを少し上げる。足の間に縮こまって隠れている錫夏に、向日むかいは怒りこそしないものの困ったように覗き込む。

 泣き腫らした顔の錫夏は、頬を膨らませて不貞腐れていた。






 我楽多市の1日目が終わり、2日目が始まって間もなくの頃、錫夏と和傘を手にした沙が植物街道へやってきた。

 聞くまでもないとは思いつつも話を聞けば、やはり錫夏が傘招きと接触したらしい。沙から「お前は暇だろ」と失礼なことを言われ、錫夏を預かることになったのだ。



 百薬隊の副隊長である沙に比べれば確かに暇ではある。「人間」を公言しているためか、沙や他隊長副隊長のように頼られることもない。むしろ役立たずの足手纏い扱いされるので、やることと言えば散歩くらいだ。

 そのため二つ返事で世話を請け負い、こうして明影地帯で錫夏と遊んでいる。





 足をどけても錫夏はスカートの中に入り込んでしまう。足をどけて、入り込んで、どけて、入り込んで。繰り返していると、錫夏が耳を伏せて唸り始めた。


「あはははははははははは、邪魔なんだって。なに?気に食わないことでもあったの?」


 笑いながら、泣いていた理由を尋ねる。気に入らないことがあったか、それとも里の連中に何か言われたか。

 向日の問いかけに、錫夏は込み上げてきた涙を自身の腕の毛に染み込ませる。




 しばらく待っていると、弱々しい声が足元から聞こえてきた。



「傘招きとおはなししたかった………」

「へー」

「……向日お兄ちゃんも、ダメって言う…?」


 その問いに、向日は少し口籠った。


「うーん…どうかな」



 曖昧な返答をされ、錫夏は腕の中にうずめた顔をさらに沈める。





 はっきり「言わない」と言ってやれない現状にもどかしさを覚える。


 向日としては構わないのだ。傘招きと会話することは。きっと沙も同じだろう。だから錫夏を叱らなかったのだろうし、里へ帰るよう強要もしなかった。



 黄泉よもつむらかくさとという、2つの派閥に分かれた人狼たちがこのもどかしさを生んでしまっている。

 それが解決しないうちは、波風立てるようなことはなるべく避けたい。しかしそのために錫夏のような幼い子供に、いろんなことを禁止して我慢させてしまうのは、決して良いと言えないだろう。



 自分たちが〝人狼〟ではないから。〝イグズィア〟ではないから。


 故にたとえ共に200年以上を過ごした仲だとしても、彼らの問題に強く出ることができない。










 足元にいる錫夏を励ます言葉を探していると、無線機に連絡が入った。沙からだ。



「どうしたの?」

〔傘招きが錫夏を捜してる〕

「…んん?」



 無線機から聞こえる声に耳を立てた錫夏は、立ち上がって向日の腕にしがみついた。子供とはいえ体格が違いすぎる獣人に体重をかけられ、向日は膝をついて錫夏にも聞こえるようにしてやった。


 沙の説明では、百薬街道に現れた傘招きが「錫夏の居場所を教えてくれ」と、通行人のひとりに声をかけ、執拗に引き止めているとのこと。傘招きの奇妙すぎる行動に周囲は恐れ、軽くパニックが起きているらしい。

 もちろん、そんな怪しく危険極まりない奴らに会わせるわけにはいかないが、どうやら事情が違うのだと、傘招きたちは言った。



雨勿あまなしと、露無つゆなしという名前だ〕


 聞き覚えのある、どころではない2つの名前に、錫夏は食いつく。


「雨勿ちゃんと露無くん…?いるの?夜市よいちにまだいるの?錫夏とお話してくれるの?」

〔百薬街道に来い〕



 場所を伝えると、通信は切れてしまった。向日の腕を握りしめたまま、目を丸くして尋ねる。



「いい…?いいかな?錫夏行ってもいい?沙お兄ちゃん、来いって言ったよ」

「うん、いいんじゃない?ここはレトロコアだから、大人はダメというだろうけどいいんだよ。でも約束して、錫夏。傘をさして会いにいくって。お願いだから絶対に雨に濡れないで。約束が守れるなら会いに行きな」



 「うん!」といつものように元気に返事をして、先ほど露無から受け取った和傘を広げて明影地帯を飛び出した。






 体格に合わない傘を軽々と持ち上げ、それを片手に走っていく。つくづく、種族の違いを思い知らされる。


(なんで俺…人間なんだろう)


 悩み飽きたことを、繰り返し悩む。果たして自分は沙のように、あの小さな子供を抱き上げることができるだろうか。






  ***





 見覚えがある顔だった。というより、被り物だった。すれ違う者の顔なんていちいち覚えていられないのだが、それは十数分前のことだったし、錫夏のこともあった。だから


「守人…というやつじゃな」

「ここは百薬街道ですか?変わってないですね…」


 目つきの悪い猫の被り物に、天蓋てんがいに似た笠。洋装と和装に身を包んだ彼らのトレードマークとも言える被り物は、古びていて黄ばんでいて、ほつれやところどころの虫食いが見られた。

 これが〝あの〟傘招きと言われたって信じ難い。雨勿らしき女の声はもっと若かったはずだ。露無らしき男の声はこんなにしゃがれていないはずだ。



 目の前に立っている2人は、顔を隠していても分かるほどに年老いた老人だった。




「おぬしにも傘を渡さねばな。雨に気をつけよ」

「雨勿の傘は男受けしないだろ。僕の傘を贈ります」



 他愛無い話のように会話し、露無が和傘を渡す。ちらと見えた腕には火傷のような爛れた傷痕があり、そしてやはり老人の肌だった。

 黙って受け取った沙は、「錫夏」の名を語った2人に尋ねる。


「錫夏と会ったのはいつだ?」


 すると、2人は互いの顔を見合わせて考え込むように俯く。やがて露無が「60年ほど前です」と答えた。雨勿が「そんなに経ったのか」と、少し寂しげに呟く。






 彼らの答えに、なにも言わずに傘をさすと、前方から傘を携えた獣人が走ってくるのが見えた。

 「来たぞ」と教えてやると、背を向ける形で立っていた2人は振り向く。そして、比較的新しい和傘を手にしている子狼の姿を見て、持っていた自分たちの傘を落とした。



「すず……」

「………」




 約60年前に出会った、という錫夏の姿は、60年前と何も変わっていなかった。

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