第17話_レトロコアという場所は

 佳流に錫夏を任せ、ひとり走る。


 多様な価値観が集うということは、個人の常識は多くの者たちに否定されてしまうことかもしれない。個人の非常識は、どこかの世界で常識とされているかもしれない。



 傘招きにとって〝この価値観〟は、非常識で無責任かもしれない。だが、先祖の罪とは無関係の幼い子供を泣かしたことに関しては、常識と捉えてほしくない。




人混みの中で傘をさしたまま走るなんて迷惑極まりないが、周囲は傘をさす風架を避けた。傘招きの呪いを受けた、という分かりやすい証拠なのだろう。

 おかげで、すぐに彼らを見つけられた。風架同様、周りに避けられて歩く後ろ姿を捉え、叫ぶ。





「待ってください!!」




 一度目の制止は聞こえなかったのか、2人は立ち止まらなかった。もう一度、願う。



雨勿あまなしさん!露無つゆなしさん!待ってください!!」




 はっきりと名前を呼んだことで、振り返ってくれた。



「おぬし…」

「はあ……!はぁ……!大きな声を出してすみません…………」

「話を聞いておらんかったのか?私たちと関われば命に関わるんじゃぞ」

「聞いていました……!…話しかけた回数に応じて、呪いは強まっていくのでしょうか?傘招きに関わった者たちの〝罪〟は、加算されていきますか?それとも一度目も二度目も変わらないのでしょうか…」



 「はあ?」と訝しげな声を出す2人に、息を落ち着かせて話を続ける。



「どちらにせよ、問題はありません。雨さえしのげばいい話です」

「…おぬしら人間は、最弱種族と聞く。そりゃあ、傘招きの呪いを受ければ捕まる心配もなかろうな。私たちの呪いは、レトロコアでは命を守る」

「おふたりを引き止めたのは、呪いだとか罪だとか関係ないです。錫夏ちゃんが泣いています。謝ってあげてください…」



 雨勿は一瞬だけ黙り、すぐに強い口調で拒否した。泣かせたことは謝らないと、錫夏本人に宣言している。


「おぬしもなんて愚かなんじゃ……濡れる危険を犯してまで言いたいことがそれか」

「この件で錫夏が傘招きを嫌うなら、それは良いことです。子供は大人ほど世界を分かっていないから、〝危険〟がどれほど危険かも理解できない」



 雨勿と露無の言葉に、風架は眉を顰め、首を横に振って「違います」と否定した。



「罪とか雨とかじゃなくて…!小さい子を泣かしたことを謝ってほしいんです!怒鳴った上に子供の意見を聞かずに突き放すなんて、大人のすることじゃないでしょう!」



 その科白に2人は何を思うのか、ただじっと風架を見つめた。


「危険を教えるのはまた別の話です。罪の話も置いといて…!幼い子供を泣かして謝りもせずにいなくなるなんて、あなたたちこそ酷いです……!」



 すると、雨勿の被る猫が少し下を向いた。



「以前…10年前じゃろうか。露無とともに夜市に来たのじゃ。初めての異世界に戸惑っているうちに、多くの者とぶつかってしもうた………雨が降り、その街道は地獄絵図と変わり果てた…」

「!……」



 猫は再び風架を向く。




「私は謝らぬ。罪の話を置いておけるものか!!私たちは呪われた種族じゃ!!関わるだけで命を奪う生き物じゃ!!!

おぬしも錫夏も解っておらぬ…!無関係のおぬしらを死なせたくないから、こうして大きな声で言わねばならない!!どれほど危険か、おぬしらは理解せぬからじゃ!!!」




 凄まじい怒りと悲しみの声に、風架は怯んで一歩退がる。しかし、それ以上は引かなかった。傘を握る震える右手を、左手で覆う。



「私たちの身を案じてくれていることは、ありがたいです。呪いや神様の存在を信じない者がいる人間にとって、あなたたちが恐れる力がどれほど大きいか分かりませんから、きっとあなたの真剣さがなければ私たちはこの雨を軽視したでしょう………

何度も言いますが、私の言いたいことは傘招きという種族に何の関係もないんです。錫夏ちゃんが傷ついたんです……」

「…!」

















 風架がひとりで走ってしまい、追いかけようかと思ったが、錫夏も心配だった。佳流は涙を流し続ける錫夏の背中をさすり、寄り添う。

 一応は落ち着いたようだが、それでも涙は流れるようで、膝にポロポロと雫が落ちていた。



「風架ちゃん…どこ行ったの…?」


 風架の行き先を尋ねた錫夏に、佳流は応える。



「あの2人のとこじゃないかな?」

「………」

「…雨勿と露無を困らせちゃうかもしれないけど、ここはレトロコアだもんね。別にいいよね、そういう価値観があるってだけなんだし」

「?」

「2人が怒ったことと、錫夏ちゃんが2人に話しかけることって、やってることはどっちもおんなじだと思うよ」



 どういうことか聞くと、佳流は笑う。


「私、頭悪くってうまく説明はできないの!でも、なんだかおんなじだなって思うんだよ。だから、まだ錫夏ちゃんが雨勿と露無とお話したいって思うなら一緒に行こう。雨に絶対濡れないように気をつけたら、2人はあれ以上怒る必要ないしさ!」



 そう言って、錫夏に手を差し伸べた。







  ***






 場面は変わり、同街道の少し離れた位置。



「そうだ、百薬街道で傘招きがなんか騒いでるらしいよ」

「あ?」



 同じ百薬隊に属する守人が、我楽多市初日の報告ついでに傘招きの情報を寄越した。沙は眉間に深く皺を刻む。



「だからなんだよ。ほっとけ」

「僕もほっとけばいいと思ってるんだけど、近くに灰色の人狼がいるから伝えてくれって皆が。比良坂さんって黄泉村よもつむら出身なんだっけ?」

「…………灰色」

「灰色」



 頭の中で灰色の人狼を思い浮かべる。灰色、またはそれに近い色で、かつ傘招きに近づきそうな奴は誰か。



(…錫夏か)



 ものの数秒で見当がついた。

 報告を早々に切り上げ、あのやかましい子狼を捜して雨の中を走り出す。

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