第14話_災いの始まり

 雨が降っている。

 声を降らせている。


 力が込められた指先を、頭に、頬に、肩に、腕に、降らせている。




 赤色の雨が流れている。



『災いだ。こいつさえいなければ』


『違う!災いなんてこの子には呼べない!そんな力なんてない‼︎』


『災厄はすぐそこまで来ているぞ』




 傘を持つことは許されない。雨をしのぐことを、許してくれない。






  *****






 災厄とは、よく言ったものだ。村の若い連中はその昔、200年以上前だろうか。覚えたての言葉を曖昧な理解のまま使っていた。


 まぁ、災難だったことに変わりはなかっただろう。毎日犠牲者は出た。自分もそのひとりだった。今では笑い話にできる話だが、当時は誰も笑ってやれなかった。





 一面が彼岸花で埋め尽くされた土地に、ポツンと佇む古びた小屋。その屋根の上で、茶子ちゃこは寝転がって空を眺めていた。

 少し離れた場所には小川があり、水の淀むワンドには小魚が泳ぐ。

 この美しくも寂れた土地が、懐かしくてたまらない。200余年前までよく出入りしていた。






 昔を思い出して黄昏たそがれる茶子のもとに、ひとつの影が忍び寄った。

 茶子は自身の耳で影の足音を聞き取り、音を立てずに屋根から降りる。影からは見えていないだろう。



 ガサガサと未熟な足音を立てて小屋へと迫る影。壁際まで近づくと、大振りに尻尾を揺らして壁に飛びかかった。爪を引っ掛け、力任せに登っていく。

 木登りが得意な種族ではないが、かといって不得手なわけでもない。あっという間に登りきり、ターゲットに飛びつく。しかし、気づかれていたことに気づいておらず、さっきまで屋根にいたはずの人狼がいないことに驚きを隠せない。


 すると、背後から手が伸びてきて、奇襲を仕掛けようとした未熟者の足首を鷲掴みにした。一気に引きずり下ろされ、悲鳴も上げられないまま身体を拘束された。




「まだまだだね錫夏すずか!すーぐ分かったよ」

「もおおお!!茶子ちゃんずるい!」

「人狼はずるい生き物だぞ。もっと卑怯になれ」




 茶子に抱えられて悔しそうに暴れるのは、人狼族の子供、錫夏すずかだ。茶子を脅かそうと企んだようだが、一枚も二枚も上手の大人にやられてしまった。


 茶子は錫夏を地面に下ろし、何しに来たのか尋ねる。錫夏は尻尾を振って笑顔で答える。



「遊びに来たの!」



 満面の回答に、茶子は「ははは」と笑い、頭に手を置いた。


の連中には言ってあるのか?」

「ううん。だって言ったらおこられるから…」


 〝里〟の話を出した途端、耳は伏せられ尻尾は垂れ下がる。目に見えて落ち込む錫夏の頭を、茶子は雑に撫でた。


「こっそりいく方がバレた時に怒られるぞ。の連中と会うのは外かレトロコアでだ」



 撫でられて嬉しいのか、少しだけ揺れる尻尾。錫夏は茶子を見上げ、小首を傾げて質問する。



「ねぇ茶子ちゃん…昔は村と里、一緒だったってほんとなの?」



 それは誰に聞いたのか。そう尋ねると、「柘榴ざくろくん」と名前が返ってきた。

 茶子は「そうか」と相槌を打ち、数秒置いて口を開く。



「一緒だったのは本当だよ。でもそれは、里では絶対言ったらダメだ。山中引き回しの刑だぞ」

「ひぇ」

「…ほら、もう帰れ。明日にでもレトロコアで待ち合わせしよう」



 その言葉に、錫夏の耳はまた上向きに立つ。



「ほんと?じゃあまたみんなとお話できる?」

「ああ。連れていくよ」



 「やったぁ!」と喜びを見せると、錫夏は素直に言うことを聞き入れ、手を振って里へと帰っていった。

 小さな背中に手を振っていると、遠くの木々の影から大型の獣が姿を現した。しかし、茶子はそれに気づいていながらも何か行動することはせず、再び小屋の屋根に登って寝転がるのだった。

 獣は茶子を一瞥し、走り去っていく子狼をゆっくりと追いかけた。






  ***







 提灯の灯が灯り始めた。同時に、暖簾のれんをめくるような仕草で、何も無い空間から商人たちが現れる。最初に見た時は驚いたが、タネを知ってしまえばなんてことはない話。透明な布を店全体にかけて背景と同化させているのだ。




 男は、周囲を見渡す。以前来た時よりも随分と様変わりした、ように感じる。

 一生懸命に首を回していると、目の前に目つきの悪いでかい猫が現れた。


「…………何してる、雨勿あまなし

「こっちのセリフじゃ。フクロウじゃあるまいし、そんなに首を回したら取れるぞ」



 若い女の声で、年寄りのような口調で話すのは、猫の被り物を被っている雨勿。横幅のあるカボチャのような膝丈のワンピースを着て、ロングブーツを履いている。

 そんな洋装に身を包む彼女は、男の真似をして周囲の様子を見る。




「変わらんなここは」

「…そう」

「まずは私の買い物に付き合う約束じゃったな!来い露無つゆなし!追うは傷痕しょうこん抹消まっしょう激烈げきれつ秘薬ひやくじゃ!」

「なんだその名前…」



 露無 と呼ばれた、天蓋てんがいを被る和装の男は、元気に小走りする雨勿を追って歩く。

 すると、何かを思い出したかのように止まった雨勿は、手に持っていた洋傘を広げた。それを見て露無も、分厚い生地が張られた傘を開く。


 途端に、周りにいた者たちが二人を避けるように歩き始めた。しかし雨勿も露無も、それを気にすることなく広くなった道を歩く。




 雨は、今は降っていない。

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