第13話_茶色の狼②

 日が昇る前に出かけた風架は、夕方ごろに帰ってきた。

 玄関の鍵を開ける音に、居間でひとり過ごしていた佳流は慌ててドアを開けた。外開きのため、扉が風架の額に当たってしまった。

 焦りすぎた行動で怪我をさせ、しかし無事に帰ってきてくれた風架の姿に感情はぐちゃぐちゃだ。





 幸い、額から血は出ていなかったため、保冷剤を当てて冷やした。


「ごめんねふーちゃん!痛かったよね…!私なんにも考えずに開けちゃって」

「いえ…大丈夫ですよ。きっと私も、佳流さんの立場にいたら同じようにしたと思いますし」


 よほど痛かったのか、風架は若干目に涙を溜めながら、それでも帰って来れたことの安心感で笑う。



 そんな風架は外傷は負っていないようだが、白いズボンについている紫色の大きな染みがあった。気になって染みについて尋ねると、大蛇の返り血だと返答される。


 夜市で狼と大蛇が戦っていて、その大蛇の血が風架にかかった。ただそれだけで、怪我をしているわけでも襲われたわけでもない。


 風架の説明に、佳流は腹の底から大きな安堵のため息を漏らした。



 安心する佳流には申し訳ないが、続けて今回の支払いができなかったことを明かした。狼と大蛇の戦いに集まっていた人だかりで、どうやらスリに遭ってしまい持ち物を奪われたことを、包み隠さず。

 その話を聞き、佳流は「無事に帰ってきてくれたことの方が大事」と責めることも不安に思うような素振りも見せなかった。しかしすぐに、「また支払いに行かなければならない」という事実に気づく。


 来週を過ぎれば、11月。



 だが風架は、案外心配はしていないようだった。それどころか、来週こそはちゃんと支払ってくると意気込んでいる。


「2回ともひとりで行って、ちゃんと帰って来れたら証明できます。お守りさえあればレトロコアをひとりで歩けると。運動のできない私が行くことでより信憑性も増すでしょう?」

「………お守りは?スられてない?」

「あ、はい!ポケットに入れていたので」


 伊舎堂家の紋を見せ、信じてくれと言わんばかりに微笑む。

 守られ続けていた佳流には強く反対することもできず、風架の無事を祈るしかなかった。





  ***





 今月最後のチャンスとなった、我楽多支払い。失くしてしまった催涙スプレーを買い直した。バッグは斜め掛けのものやリュックに変えようかと悩んだが、バッグを掴まれて捕えられてしまうことが懸念された。捕まるくらいならば、すぐに手放せる手提げがいいだろうと結論付けた。


 伊舎堂家の紋をしっかりポケットに入れ、再び日の出前に出発する。












 一週間という短いスパンで訪れたレトロコア。先週よりも周囲の雰囲気は落ち着いているように感じた。


 あちらこちらで怒号が飛び交っているが、今度こそ小尉の元へ向かおうと心に決める。そのために守人を見つけないと難しいのだが、そもそも顔見知りの守人が少ない。

 せめて警察官や消防士のような、制服を身につけていてくれたら分かりやすいのに。



 ぶつからないように気をつけて歩いていると、後ろから声をかけられた。


「あれ?お前さん、昨日か一昨日にも来てなかったか?」



 声の主は一週間前に会った、人狼族の茶子ちゃこだった。

 風架は顔見知りに会えたことに安堵し、駆け寄る。



「風架だっけか」

「はい。夜市に来たのは一週間ぶりなんですが…」

「…あぁそうか。そういうことか」



 7日をあけてレトロコアへ来たと言う風架に対し、茶子は何かに納得したように頷いて、それ以上は追及しなかった。

 代わりに、訪れた理由を尋ねる。


「借金返済か?」

「はい。今度は盗られないように気をつけます」




 盗まれないように早く会いに行き、早く帰りたい。小尉の居場所を知らないか茶子に聞くと、彼女は少し考えて口を開く。



「匂いを辿ってやるよ。伊舎堂家ってのはどいつもこいつも鼻が曲がる匂いをつけてやがるからすぐ見つかる」


 そう言うと、姿を四足の狼に変えた。人間世界にいる狼よりも二回りほど大きな見た目に圧倒される。

 姿を変えても服が破けたりしてしまわないようにか、人型の時にはゆったり来ていた上下の服は、獣の姿になるとかなりサイズ感は合っているようだ。


 茶子は風架を見下ろし、大きな口を開いて牙を覗かせる。



「乗りたいのか?」

「いっいいえ‼︎結構です!」

「はははっ!ジョーダンだよ。背中に誰かを乗せて喜ぶのは馬と鹿だけだってな」



 果たして本当に、馬と鹿にとっては喜ばしいことなのか。それとも単に馬鹿だけだとあざけっているのか。


 笑いながらさっさと歩き始める茶子を慌てて追いかけた。










 大股で歩く狼についていくことに精一杯で、小尉の元へ辿り着く頃には息切れしていた風架。

 人間の体力の無さにドン引きながら、茶子は二足歩行の人型姿に変身する。



「やあ風架。茶子が一緒とは驚いたよ」



 東屋にいた小尉は、意外な組み合わせと言いたげに驚いて見せた。おそらく本当に驚いているのだろうが、感情を表に出さなすぎるから嘘のように感じてしまう。

 風架は何度か深呼吸をし、息を整えてバッグから我楽多を取り出す。


 今回は昔に読んでいた童話だ。少し文字の多い、小学生向けの本。

 小尉は我楽多を受け取り、パラパラと中身を確認する。やがて本を閉じ、今月の支払いが完了したことを告げる。ギリギリの支払いだったが、これで一安心だ。



 そうとなれば一刻も早い帰還が望ましい。できれば茶子についてきてほしいところだが、護衛のような扱いは失礼だ。

 風架は小尉に軽く会釈をし、茶子に送ってもらったことの礼を伝えて東屋から離れた。

 ひとりで帰れるのかと茶子は心配してくれたが、振り返って立ち止まり、「問題ないです」と頭を下げた。






 礼儀正しい人間の背中を見送り、小尉に向き直る。


いさご向日むかいは元気か?」

「さあ?私よりも四市よいちか、たきやリアツィアに聞いた方がいいよ」

「好かないんだよ、その2人。なんでよりにもよってそいつらの部下になっちまうかな」


 尻尾を下げ、大きな耳も若干下を向く。

 小尉は、受け取ったばかりの我楽多を手に持ち、再度中を確認した。



「能力的に合っていたからだろ」



 その返答に何を思うのか、茶子は「かもな」と返し、獣姿になって東屋を後にした。

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