第13話_茶色の狼①

 レトロコアへの入り口、青い提灯を目指して歩き、やがて真下を通り過ぎる。提灯は境界線のような役割を担っているのか、一歩過ぎれば、視界は一気に開けてあの街道が姿を現した。

 時折、何もないところから誰かが出現している場面を見るのだが、あれはきっと同じように提灯を目指してやってきた者たちだろう。



 風架は肩にかけたバッグをしっかり持ち直し、堂々と歩き始める。怖がっていれば余計に「弱種」と判断されかねないからだ。

 無理な話ではあるが、自分は強者と思い込まなければ。自分で思い込まなければ言動全てに反映される。


 背筋を伸ばし、しっかり地面を踏み締めて歩き進む。小尉か翁に会えれば、もしくは守人…例えば向日むかいやたきと出会えれば、穏便に早々に帰れるだろう。



 そういえば確か、たきやいさごは百薬街道の守人だと言っていた。夜市よいちは5街道2種類、計10種あるそうだが、ここは果たして何市の何街道だろうか。

 少し当たりを見回していると、数メートル先に人だかりができていることに気づいた。「いいぞ」や「もっとやれ」などといった、声援なのかヤジなのか、声を飛ばしている者が多い。

 その掛け声が、自分たちへ飛ばされたものと似ているような気がした。途端に、この人だかりの中心にいる〝何か〟が、理不尽なルールの犠牲となってしまった者なのではないかと考えてしまう。



 翁や小尉に頼んで助けてもらおうか。いや、そうなるとまた借金が増えかねない。しかし、見て見ぬふりなんて…。




 ぐるぐると思考を巡らせていると、野次馬たちは一斉に「おおぉぉぉおお‼︎」と、まるでスポーツ観戦をしているかのような驚嘆きょうたんの声を上げた。

 その大きな歓声に驚き、つい立ち止まる。



「すげぇ!死んだか⁈」

「やっぱあいつらにゃ手ェ出さないほうがいいな」

「おいやべぇぞ、逃げろ!今度はこっちが喰われちまう!」



 誰かの「逃げろ」の声に、野次馬は一斉にその場から走り去る。蜘蛛の子を散らすようにあっという間に人だかりは無くなった。

 その蜘蛛の子たち数名と何回かぶつかり、流れに乗っていずに立ち尽くす風架。逃げようにもどこへ行ったらいいのかすら分からず、完全に逃げ遅れた。






 騒ぎの中心にいたのは、大きな茶色の狼と、横たわる白い大蛇。


 大蛇は身体を3つに裂かれ、ぐちゃぐちゃの断面からは紫の液体を流していた。

 狼は、煩わしそうに口元についた返り血を前脚で拭う。


 ふと、こちらを見つめる人型の生き物と目が合った。生き物は目を見開いて狼を見つめ、今にも腰を抜かしてしまいそうなほどに震えていた。



「なんだぁ?そんな無様に震えて。お前さんも私を殺したいか?」






 茶色の狼から発せられた流暢な喋りに、風架は肩を揺らして驚いた。熊ほどの大きさがある狼、というだけでも驚愕なのに、おまけに意思疎通が図れるのだから、心臓が口から飛び出そうだ。


 服を身にまとう狼は、何かに気づいたように風架の顔を見つめると、「お?」と声を漏らしてこちらに近づいた。

 のしのしと歩き、やがて四足で歩いていた脚は二足へと変化し、獣の顔だった顔面は少しだけ人に成っていく。

 獣の脚に、獣の腕。しっかりと2本の脚で立ち、大きな獣の立て耳はピンと上を向いていた。

 ざらついた硬い肉球で両頬を覆われ、風架の心臓はこれ以上ないほどに大きく鳴る。


 少し縮んだマズルから、鋭い牙が覗く。




「お前さん、人間だな?向日から聞いてるぞ」




 嬉しそうに口を開き、黄色と茶色のオッドアイを細めて笑いかけた。















 二本足で立つ狼は、名を茶子ちゃこと言った。イグズィアの人狼族で、黄泉よもつむらに暮らしているそうだ。

 出された情報の半分も理解できなかった風架は、自身も名前と種族を明かした。


 震えの消えない風架の様子に、茶子はニタリと笑って腰に手を当てる。



「怯えなくても、私たちは無駄な殺しはしないさ」



 そう言ってふと、つい先ほど戦っていた大蛇に目を向けた。何かに気づいたのか「おい!」と叫ぶ。

 三体の小鬼が大蛇の身体を持ち去ろうとしており、茶子はその場から鬼たちを威嚇した。


「それは私のものだぞ、小鬼共!食いもしないんだから無駄にするな、殺すぞ!」


 小鬼たちはキーキーと喚き、すぐにその場から逃げ去った。

 茶子は「まったく…」と呟いて、大蛇の身体を風架の足元へと投げた。地面に叩きつけられた大蛇の頭部が足に当たり、ズボンに紫の血が飛び散る。

 悲鳴をあげた風架に、茶子は愉快そうに笑った。



 その辺りに落ちていた汚い袋を拾い、3つの大蛇を持ち運べるようにした茶子。口を縛り、肩に引っ掛ける様が慣れているようで、これが一度や二度の出来事ではないと察する。

 あまり手入れされていない尻尾はゆらゆらと左右に振れていて、これがただの可愛い犬であれば微笑ましいのに。




 袋から大蛇の体液がポタポタと滲み出ている様子に、恐る恐る尋ねる。それはどうするのかと。


「食うに決まってるだろ。蛇はうまいぞ」


 味見するか?と聞かれたため、全力で遠慮した。










 なぜ自分たちのことを知っているのかと茶子に質問すると、「向日から聞いた」と返答された。

 なぜ向日が自分たちのことを話したのか。その質問に、茶子はきょとんとした顔で答える。


「お前さん知らないのか?いやそんなはずもないだろ」

「え?」

「向日はお前さんと同じ人間だよ」

「…えっ!?」


 あまりの衝撃でつい大きな声が出てしまい、咄嗟に口を塞ぐ。周囲にいる客商人に横目で見られ、怒られたりしないかと肩をすくめた。


 人間と同じ見た目の者はそれなりの数がいるが、まさか本当に人間がいるは思わなかった。小尉は「滅多に人間はいない」といった旨の話をしたことがあるし、何よりレトロコアでの人間の立場は最下層にいると言っても過言ではない。




 驚きが隠せない風架に、茶子は目を細めて大きな口を開いた。


「積極的に種族を明かす奴なんだがな」

「え…どうしてですか?人間だとバレてしまったら狙われるんじゃ…」

「そういうバカ共を返り討ちにするのは楽しいだろ?」


 また尻尾が揺れる。



 愛想笑いもできず、滴る大蛇の血を見つめていると、今度は茶子から質問された。お前は何しにレトロコアに来ているのか、と。


 大まかに、小尉と翁に命を救われ、その対価としてレトロコアへ来ていることを伝える。すると彼女は少し呆れたような表情を見せた。


「貴族に借りを作ったのか?バカだなぁお前さん。そもそも最弱種族がレトロコアへ来ることが間違いだぞ」

「最弱…?」

「ああ。お前さんら人間はここじゃ最も弱い種族として有名だ」




 レトロコアへやってくることの少ない種族。その点では多少の希少性はあるものの、だからといって丁寧に扱われるわけではない。

 魔法は使えない。変身はできない。身体能力は高くない。異能力は持っていない。身を守る術すらない、逃げることもできない人間は、商人たちからすれば目を瞑ってでも捕まえられる弱い生き物だ。


 せめて〝傘招かさまねき〟のように、周りが手を出せないものを抱えていれば、また立場や印象は変わるだろうが。




 茶子からの説明から出てきた〝傘招き〟という単語に、聞き返そうと口を開く。しかし、発言は茶子に先を越された。



「あれ?つまりお前さんは今日は小尉に会いにきたのか?」



 その言葉で本来の目的を思い出す。そうだ、早く我楽多を支払いに行って早く帰らなければ。

 慌ててバッグを握りしめる手に力を込める………が、感触がない。持ち手を持っている感覚が、ない。風架は自分の右腕や左腕を確認するが、どこにもバッグがない。落としたのかと周辺を見回したが、それらしい物は見つからない。


 持ち物を失くした様子に、茶子はまた呆れて笑う。



「スられたな。気を抜いてるからだ」



 気を抜いていたわけでは、決してない。むしろこんな場所では一瞬の気の緩みすら。


 あの人だかりで数名とぶつかった時に、ちゃっかり盗みを働いた者がいたのだろう。手に持っていた物が丸々無くなっていることすら気づかないなんて、だから最弱種族と言われてしまうのだろうか。



「どうするんだ?小尉のとこに行くのか?」

「…いえ、一旦帰ります。手ぶらでは無理なので」

「そうか。ならトンネル街道だな」


 行き先を確認し、さっさと進む茶子。一緒に行っていいのか分からず立ち尽くしていると、彼女は振り返った。



「何してる?ぼーっと突っ立ってると食われるぞ」

「…一緒に行ってくれるんですか?」

「じゃないとお前さんは食われちまうだろ」



 からからと笑い、尻尾を振る。

 大蛇を引き裂いて食べようとする姿は恐ろしいものだが、決して凶暴なだけではないようだ。

 優しい一面のある〝人狼〟に、風架は少しだけ安心した。

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