第12話_あなたの声がなくても②

 世間はもうすぐ運動会で、この猛暑日が続く中での運動に、反対する声を押し切っての開催となる。


 近所の体操教室で先生として働く佳流は、中学校のダンスの指導に選ばれたらしい。

 本来ならば学校教師の中で全ての準備が行われるのだが、数年ほど前から「組体操は危険」や「大怪我をしてしまったら」などの保護者からの意見が多く寄せられていた。

 そのため、安全面を考慮して「ダンス」が追加され、近所で評判の明るい先生である佳流が、楽しく、かつ適度な難易度の振り付けを担当することとなった。




 つまり、この時期は佳流は休日も忙しい。




 10月の借金返済はまだ済んでおらず、来週を過ぎれば11月となる。二人で行けるのであればそれが最善ではあるのだが、佳流にはひとりの弟がいる。彼は中学生で、少々、いや、かなり変わった子だ。二人で出かけてしまうと、家族の都合が重なりに重なって今週と来週のどちらも、彼が一人で夜を過ごすことになってしまう。

 いろいろな面で佳流の弟を一人にすることに不安があり、レトロコアに行けるのはどちらか一人しかいないのだ。




「やっぱり今月は行かないでいいよ!ふーちゃん一人は怖すぎるし!」

「ですが…月一を守らなければ、レトロコアの警備組織に何されるか分かりませんよ」



 風架が一人でレトロコアへ行くことに大反対の佳流は、10月は諦めようと提案する。しかし、真面目で心配性な風架は、決められた条件を徹底して守らないと殺されてしまうのではと反論する。


 久しぶりに帰るタイミングが同じになった帰路で、二人はいい案が出ないか脳漿のうしょうを絞る。



 とぼとぼとゆっくり道を歩いていると、あの路地が見えてきた。二人は自然と立ち止まり、路地の奥を見つめる。


 やはり、暗闇の向こうに小さな青い光が2つ、灯っていた。




「私、仕事休むよ…一緒に行こう」



 不安げに尋ねる佳流。




 自分が、青い光が気になると言ってレトロコアへ迷い込んでしまった。捕まったのも自分だ。風架はボロボロになって、どれほど怖い思いをして助けてくれただろうか。

 どれほどの覚悟で、小尉に「約束を守る」と誓っただろうか。



 血の繋がりのない、幼馴染という間柄の同居人。家庭は少し複雑で、けれどとても楽しくて幸せ。その日常を、崩しかけているのは自分ではないか。


 小尉と契約したのは風架のみ。約束を破って殺されてしまうのは彼女1人だ。




 「危ないから行かなくていいよ」なんて、どの口が言える台詞だろう。





 風架は青い光をまっすぐに見つめ、応えた。


「お仕事、楽しいって仰ってたじゃないですか。振り付けのお仕事も嬉しいって。それに、いい加減誤魔化しも効かなくなってきます。2人でどこか行くよりも、1人で行けるようになったほうが怪しまれません……私は大丈夫です。無事に帰って、もう問題なく歩けることを証明しますから」



 彼女の横顔は、決して強いものではなかった。怖くないはずがない。そもそも風架は幽霊が苦手で、テレビでホラー特集が始まるとすぐに自室へ逃げてしまうほどに怖がりだ。


 そんな風架を、妹のように大事な風架を、悪鬼羅刹あっきらせつが闊歩する場所に1人で送れない。楽しい仕事も楽しめない。






「…………絶対、怪我しちゃダメだよ……かすり傷だって、私泣くからね!」




 すでに泣きそうな顔で、風架の無事を強く願った。釣られて風架も泣きそうになり、深く頷いた。





  ***






 バッグには支払いのための我楽多(犬のぬいぐるみ)を入れ、いざという時の護身具として催涙スプレーも準備した。

 しっかり走れるように履いたスニーカーは、靴紐を強く結ぶ。首を絞められたり引っ張られたりしないよう、紐やフードのついた服ではなく、長袖のスウェットを着た。


 佳流の弟はまだ眠る時間帯。



 2人は小声で、玄関先で話す。


「スプレー持った?」

「はい、ここに」

「お守りは?」

「ポケットに入れてます」

「…絶対帰ってきてね」

「はい」


 佳流は強く抱きしめ、風架の無事を祈って見送った。



 静かに階段を降り、まだ日の昇らない薄暗い道を、歩いていく。

 佳流は姿が見えなくなってもしばらく見つめ、そして家に入った。




 靴を脱ぎ、居間に座って膝を抱えた。やがて隣の部屋で眠る弟の様子を見ようと、立ち上がって静かに襖を開ける。


 二段ベッドの下段に彼の姿はなく、佳流のすぐ足元で膝を抱えて座っていた。居間に背を向けるように座る彼は、佳流を見上げて立ち上がる。

 てっきり眠っていると思っていた弟に、佳流は動揺を隠しきれず狼狽える。



「お、起きてたの…?」

「うん」



 小柄な弟は、佳流譲りの大きな瞳で見上げ、そして風架の部屋に目線を移した。


「風架ちゃん、出かけたの?」

「…う、うん。友達と遊園地行くんだって。朝からめいっぱい楽しむみたいだから、帰るのは明日になるかも」

「ふぅん」



 興味があるのかないのか、そんな相槌を打ってベッドに戻る。




 彼の背中を追って目線をベッドに向けたとき、何やら黒い塊がもぞもぞと移動しているのが見えた。佳流は「あっ」と気づき、襖を豪快に閉めて塊の退路を塞いだ。


「動物はダメだって!大家さんに怒られちゃうよ!」

「さっき気づいたんだもん」


 佳流は急いで黒い塊、もとい黒い子猫を抱っこし、アパートの近くの草むらに逃した。

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