第11話_メトロノーム

 想定よりも早い到着に、たきは率直な感想を口にする。


「早かったな」

「近い位置にいたからな。二人は?」

「ここ」


 促されて前に出た風架は、翁に軽く会釈をした。佳流が「小尉は?」と尋ねると、どうやら今は連絡がつかないらしい。



 少し安堵していると、さっきまで優しい顔をしていたたきの表情が一瞬で曇った。その変化に沙も反応し、そして小さくため息をつく。

 翁に「あまり人間を怖がらせるなよ」と声をかけ、風架と佳流に「じゃあな」と別れを告げると、早々にこの場を去ってしまった。




 何か良からぬ気配でも感じ取ったのだろうか。不安に駆られて二人が去った方向を見つめていると、翁が「東屋に行こう」と言った。


 しかし、小尉を呼びに行くために二人だけで行け、とのこと。

 あんなに人間にとって恐ろしい場所だと主張したのに、そして人間を「弱い種族」と罵るくせに、二人だけでこの街道を歩けと言うのか。


「私たちだけじゃなにが起こるか…!ついてきてよ!」



 声を荒げる佳流に対し、翁は意見を変えない。



「君らは紋を持っているだろ。捕まることはない」

「でも前来たときは拾ったものだって疑われて…!」

「拾っていないのだからそう主張すればいい。それに明影めいえい地帯に入れば身を隠せる」

「めーえーチタイって何?」

「暗闇だ。東屋に行くときにも歩いただろ。そこが明影地帯」



 一番最初にレトロコアに迷い込んだとき、そして風架は翁に、佳流は小尉に連れられて東屋へ向かったとき。あの暗黒の空間は「明影地帯」という名称がついているようだ。


 翁は左右に立ち並ぶ店の左側を指差し、〝霊妙れいみょう〟と書かれた看板を曲がれと言った。店と店の間に吊り下がっているらしいのだが、そこを曲がってあの東屋を脳内でイメージし続けて歩かなければならないという。



 説明を終えると有無を言わせず、その場からさっさと消えてしまう。取り残される風架と佳流は迷っている暇もないと考え、早歩きで看板を捜した。






  ***




 


 丸く美しく整えられた、輝く球体を色別に袋に入れ、店主と一言二言交わして店を去る。


 ウェーブのかかった長い黒髪は後頭部の高い位置にひとつにまとめられ、青い提灯の光に照らされて少し艶めいている。

 麦藁色の半袖パーカーに、腰にはオレンジの上着を巻いて歩く男は、手に持った4種類の袋をひとつの鞄に入れ込み、肩にかける。



 しばらく歩き、〝鳥獣ちょうじゅう〟と書かれた看板を一瞥いちべつして曲がった。暗闇の中をひたすら歩き、目的地へ向かう。

 途中、雨が降り始めたが気にすることもない。





 やがて、目的地である建物が見えてきた。三方を壁で囲い、一方が出入り口のために開けられた東屋。閉鎖的になりすぎないように、壁は地面から1メートルほどの高さまでになっており、窓はない。

 彼岸花が雨に打たれるこの見慣れた土地に、見知らぬ人型生物が2体。男は一瞬立ち止まり、すぐに歩き始めた。





 男が近づいていることなど気づかない風架と佳流は、やっとの思いで辿り着いた東屋に腰を下ろして深くため息をついた。

 危うく見落としそうになった〝霊妙看板〟を、もっと目立つようにしてほしい、なんて呑気な会話を交わしているその時、



「お前様たち、どうやってここへ辿り着いた?」



 背後から男の声が降りかかった。

 慌てて振り向くと、東屋の外から風架と佳流を見下ろす、ひょっとこの面が暗闇にあった。

 気の抜けてしまいそうなお面だが、なぜだろうか。こんな場所ではひょっとこ面すら恐ろしい。


 小尉に似た威圧感に、風架と佳流はたじろぐ。まさかここへ、翁や小尉の他に誰かが来るとは思わず、しかもおそらく自分たちは「侵入者」として見られていることだろう。弁明しようにも言葉が出てこない。

 口ごもる二人に、ひょっとこ面の男は首を傾げて再度、同様の質問をした。


「どうやってここへ来たんだ?一見は辿り着けない」

「えっと……お、翁さんに…」


 風架の返答に男は「翁?」と聞き返し、ポケットから黒い機械を取り出して操作を始めた。それは翁やたきが持っていたものと同じ種類のようだった。



 また何かしらの理不尽な理由で追い出されたり捕まったりしてしまうのだろうか。不安を感じて男を見上げていると、彼は機械の操作をやめてポケットにしまった。



「やあ由市ゆいち



 男とは違う声に、顔を向ける。そこには小尉と、隣を歩く翁がいた。

 ひょっとこ面の男を由市 と呼んだ小尉は、続いて風架と佳流にも「やあ」と挨拶をする。

 知り合いか、と尋ねる由市に、翁は頷いた。



「小尉に我楽多を支払っている人間だ。右が風架、左が佳流」

「そうか」



 翁の説明に納得した様子の由市は、特に何か言うわけでもなく彼の隣に立っている。屋根の下に来ればいいのに、二人は雨に打たれたままだ。


 由市という男は翁や小尉の知り合いなのだろうが、一体何者なのか。





 監視されている気分になりながら、小尉に促されて持ってきた我楽多を支払う。今回は、昔に佳流が持っていた故障した携帯だ。水没して動かなくなり、リサイクルに出すタイミングもなく引き出しに入れっぱなしだった物。

 我楽多ならばなんでもいい、という指示は受けたのだが、ガラクタの度合いがどこまで許されるのか分からず、念の為もうひとつ持ってきている。しかし、故障していても問題ないようで、小尉は物珍しそうに携帯の観察を始めた。


 文句を言われたら「なんでもいいって言った」と言い返そうと思っていた佳流は、少しだけ落胆するが、穏便に事は済みそうなので安心する。


「これは何をするための物?」


 小尉からの質問に、佳流が「遠くにいる誰かと連絡が取れるようにするための機械」と答えた。壊れているため使えない、と補足すると、小尉は「へぇ」と相槌を打って「使い勝手が悪そうだね」と感想を述べた。



 やがて気が済んだのか、携帯をテーブルに置いて風架と佳流に顔を向ける。悲しそうな小尉面と違い、きっと素顔はあの微笑みを貼り付けている事だろう。


「二人は初めて会ったのかな?彼は由市ゆいち。私たちの友達ともだちだ」


 手のひらを由市に向け、紹介する。こちらも名乗った方がいいのかと思い、二人は名前だけを簡単に自己紹介した。

 由市は「翁から聞いた」と冷たい反応を返し、そして黙る。


 歓迎してほしいわけではないが、レトロコアという恐ろしき異空間で味方がほしい風架たち。こちらに何の興味も示さない由市の態度に、ますます気が沈む。



 と、ここで風架は「由市ゆいち」という名に疑問を抱いた。確か以前に一度だけ、小尉は翁のことを「四市よいち」と呼んだ。さらに、あの恐ろしき街道の呼び名は「夜市よいち」だ。

 音が酷似している名前だが、何か繋がりや意味があるのか。そう尋ねると、翁が答えた。


「四市家と由市家は昔から友好関係のある間柄だ。名付けの理由は伝えられていないから私には分からない」

「僕も名前については知らない。四市家と夜市の音が同じ理由も分からない」



 「四市家」と「由市家」は友好関係がある。


 まるで貴族である四市家と同等かのような説明に、まさかと質問を重ねた。



「由市家…由市さんって……き、貴族ですか?」

「そうだが?」



 当たり前のように返された肯定の返事に、貴族に関する言葉が蘇る。



『一、レトロコアの民、客商人は、いかなる理由があろうと貴族に危害を加えてはならない』


『貴族の証のようなものだから、捕まえて売られることはないよ。貴族を害したと見なされるから』




 レトロコアの権力者である貴族が、目の前に三人もいる事実に驚きが隠せない。

 風架の想像では、貴族は安全を考慮してずっと家の中にいるか、あるいは護衛を何人もつけているものだと思っていたため、こんなにもあっさり会えてしまうのかと混乱する。


 もしかしてレトロコアでの「貴族」とは、案外普通に出歩いて普通に誰かと会話をするものなのか。


 ぶつぶつと疑問を口に出し、頭の中を整理する風架の言葉を聞き取れたのか、小尉は小首を傾げて言った。




「本来なら貴族の当主は家から滅多に出てこないよ。由市家も同じ。けれど私たちは友達ともだちだから、こうしてよく集まるんだよ。それはかなり奇妙で不審がられることだから、あまり良いふうには言われないけれどね」




 そう言って、「ふふ」と笑う小尉。


 話の流れから、由市は〝由市家の当主〟ということになるだろうか。それはつまり、レトロコアの最高権力の一角が、目の前にいるということか。

 そんな高貴な存在が、なぜひょっとこ面なんておどけた面をつけているのだ。



 次から次へと疑問は浮かぶが、今の今、全て聞き出さないと気が済まないことでもない。

 これから否が応でも通わなければならないのだから、その都度疑問は解消していけばいい。そうやって、レトロコアを理解して恐怖の念を消していければ。


 レトロコアや貴族たちとの関わり方を再認識し、風架と佳流は今月の支払いを終えた。その頃には雨も止んでいた。




 帰るための道であるトンネル街道へは、翁が同行してくれた。帰ろうとする貴族たちに「怖くて歩けない」と佳流がしつこく引き止めたため、ついてきてもらった。












  支払われた携帯は、まさに〝物置〟をそのまま表したかのような小部屋の棚に置かれた。

 部屋からはメトロノームのように一定のリズムで振り子が揺れる音がする。壊れたラジオのような、雑音まみれの音声が小さな人形から聞こえる。楕円形の壺から揺らめく枝が、壺を突き破って伸びている。



「………」



 小尉は故障した携帯をじっと見つめていた。何を言うでも、するでもなく。

 やがて、僅かな光源であった灯りを消し、物置を後にした。

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