第9話_商売

 地面すら見えない暗黒の空間をただ歩き、到着した場所は彼岸花が咲き乱れるあの東屋だった。

 小尉こじょうが中に入り、入り口の右側に腰をかける。続いておきなが入り口の向かい側に座った。必然的に小尉の正面に二人は座ることになり、躊躇いつつも彼らと同じように腰をかけた。



 先に行動したのは小尉だ。小尉は突然右手を、自身が身に付ける面に被せる。そして、面を外して顔を見せた。


 その行為に翁が動揺を見せた。小尉の方に顔を向けている。



 ずっと隠されていた素顔を初めて見る風架と佳流かなれは、翁同様に驚き、小尉の顔面から目を逸らせなかった。

 その原因は、左頬に縦に開いている青い目の存在だった。涙袋の真下から口に届くほどの大きさで、瞬きをする黒色の目と違い、ずっと見開かれている。


伊舎堂いしゃどう…」

「風架と佳流は私の友達ともだちだ。こうして再びレトロコアに来てくれたのだから、私は彼女たちとの関係を崩したくない」


 伊舎堂 と呼んで声をかけた翁に対し、小尉は応えながらも二人から目を逸らすことはなかった。



 面を外したことには驚くが、翁がここまで狼狽えることの方が驚愕する。彼からは小尉以上に感情や優しさがあると感じ取れないから。

 小尉は、テーブルに置いた面に視線を移した。


 「私たち貴族を敵視する者は多くて、顔を媒介ばいかいに呪いをかけてくる者がいる。或いは顔を真似て貴族の権力を行使しようとする者もいる。そうさせないために、私たちは顔を隠しているんだよ」




 だから、顔を見せることは貴族にとっては信頼を意味する。



 そう言って穏やかに笑ってみせた。

 現実味の無い話だが、風架たちは現実味の無い所に来ているのだ。嘘か誠かはともかくとして、実際に有り得る話なのだろうと理解した。



 小尉が話し終えると、今度は翁が自身の面を外してテーブルに置く。


「確かに、関係が崩れることは避けたいな。私事都合で守人に守らせているのだから、私も見せなければ筋が通らない」


 翁面の下にある素顔は、切れ長の茶色の瞳があった。

 人間と変わりない二人の素顔に若干の悲しみは抱きつつも、顔を見れたという安心感と信頼は少しだけ持つことができた。





 「信頼」を得たところで、小尉は小首を傾げて微笑む。


「今回来たのは我楽多を持ってきてくれたということかな?」



 目的は我楽多支払いか。そう問われ、佳流は頷きながら持ってきたバッグに手を入れた。しかし、風架がそれを制し、自身の手に持っている〝伊舎堂家の紋〟をテーブルに置く。

 小尉の視線は紋に行き、そして風架へ。



 風架は口元を震わせ、なるべく静かに声を出した。


「あなたはこれを私たちにくれたとき、この紋があれば捕まることはないと言いました。身につけることで守ってくれるとも。ですが先ほど、商人と思わしき人たちから捕らえられそうになって…しかもこの紋があなたから貰ったものだと主張しても誰も信じてくれませんでした…!」


 感情的にならないように気をつけてはいるが、たった十数分前に命の危機に晒されていた恐怖で語気は強まる。



「警備隊だという守人にも疑われて、東童とうどう向日むかいさんが声をかけてくれなければ私たちは殺されていたかもしれません!これは本当に私たちの身を守ってくれるものですか⁉︎」



 この貴族の紋とやらがただの権力の象徴ならば、それを疑いもせず真に受けて、トラウマそのものであるレトロコアへやってきた自分たちは滑稽ではないか。





 不満をぶつける風架を佳流は宥めるが、彼女も同じことを言いたそうな表情を浮かべていた。


 しかしそれでも、彼らの態度は変わらない。



「それは謝るよ。私の日頃の行いの結果だね。申し訳ない」



 〝日頃の行い〟とは何か。それは、小尉は風架たちが来る以前から似たようなことをやっているのだという。同じくレトロコアへ迷い込み、助けを求める者に手を差し伸べ、条件と伊舎堂家の紋を渡してレトロコアへ通うよう強いる。

 だが、レトロコアが恐ろしいからか紋は捨てられ、落ちた紋を商人が拾って夜市で売ることがたまにある。伊舎堂家とは無関係の者が紋を見せびらかし、強い力を使おうと問題を起こす。


 リアツィアやあの商人たちが「貰い物」という言葉を容易に信じなかったのはそのためだ。



 さらに、夜掟ばんていの守人はあくまでも「夜市よいちや掟を守るための組織」であり、客や商人のために動くことはない。

 結果的に守られることはあれど、彼らの言動は全て掟に従っている。


 翁から聞かされる「守人とは」に、風架は何度も口を開いて、そして閉じた。

 「警備隊」ならばこうすべきでは という意見は、どうせ「偏見」として流されるだろう。一文字に唇を結び、膝の上に拳を乗せた。





 数秒の沈黙が流れ、本題に入るために「ガラクタ持ってきたよ!」と佳流が言う。

 その時、東屋の周辺に咲く彼岸花がゆらゆらと揺れ始めた。風にそよいでいるのではなく、上から落ちてくる何かに当たって動いている。


 やがて東屋の屋根に打ち付ける、聞き覚えのある音が聞こえてきた。


「雨…?」


 佳流の呟きで、風架は花の揺れの原因が雨だと気づく。





 翁と小尉は雨に触れることはせず、テーブルに置かれた我楽多を手に取った。


 持ち込まれたのは、木彫りのふくろうの置物だ。風架が中学の修学旅行で購入したものである。

 手に持って観察する小尉はすぐに置物を置き、一度目の我楽多支払いは完了したことを伝えた。「次の月からもよろしく」と一言を添えて。




「期限は決めていないんでしょうか?」


 すっかり落ち込んだ風架が小さな声で尋ねる。期限や回数の話は一度も出されていないため、曖昧な契約でずるずるとレトロコアに通い続ける、なんてことは避けたいのだ。

 しかしその予感は的中してしまう。

 小尉は特に思案する様子もなく「私がいいと言うまで」と答えた。恐る恐る佳流が聞く。


「それってどれくらい…?」

「さあ?私には未来予知の力はないから分からないね」


 風架は項垂れた。込み上げてきた涙を流さないように上を向こうかと考えたが、思いの外早く溢れたために諦めた。

 ズボンや手の甲に大粒の雫が落ちる。


「…お金を返すのはだめなんですか…?私、集めます。一生かけてお金稼いで、741万円を集め終わったらまとめて一回で返済します…」

「駄目だ」



 小尉は変わらず微笑み、そして少し低い声で話し始める。


「君と私の間には佳流という商品を売買した、客と商人という関わりがある。商人は自身の欲しいものと引き換えにものを売るが、私の場合は欲しいものが我楽多なんだ。求めていない金を押し付けて勝手に完済と認識すると商売ではなくなる。君はそれをやろうとしている。違反に近い行為だ」


 風架の顔が少し上がるが、小尉の顔は見られなかった。



「一ヶ月に一度、我楽多を持ってくるというのは君も私も納得して交わした約束のはずだよ。この条件のもと佳流を助けたんだ。そうだろ?」




 青ざめた顔でテーブルを見つめる風架に、佳流は何も声をかけられなかった。


 小尉は自身の面に手を置いた。その小尉面に視線を落とし、静かに言う。




「それでも尚、約束を無視して741万の金を集めると言うのなら、私は………どうしようか?」



 その挙動に肩が震える。

 重く冷たい空気が四人の間に流れ、屋根に当たる小雨の音だけが耳に入る。


 風架は十数秒沈黙し、力が抜けた拳を無理矢理固め、顔を上げた。覚悟を決めた赤い目元が、微笑む小尉に向く。




「約束は守ります。月に一度、必ずあなたを訪ねます」




 小尉は、変わらない笑顔のまま「よろしくね」と応える。

 笑みが張り付く小尉と無表情の翁を見て、逃げられないという事実を理解するしかなかった。


 弱まった雨はいつの間にか止んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る