第7話_再来

 風架たちが元の世界へ帰ってから数えて、2回目の夜市が始まった。彼女たちは一度も夜市に来ていない。それは、人間世界の一ヶ月は長いことを表しているのか、それとも夜市を恐れて来ないだけか。

 しかし、小尉こじょうは訪ねてこない風架たちに対し疑問も疑心も抱いていなかった。もしかしたら一ヶ月とは、夜市が10回繰り返される時間と同じなのかもしれない。50回、或いは100回とイコールなのかもしれない。区切りを示したのはこちらだ。焦っても仕方がない。



 以前翁おきなに、風架たち人間を守るために守人を動かしてくれと頼んだら、彼はすぐに全隊に指示を出してくれた。

 伊舎堂いしゃどう家の紋を身に付けていれば危険な目に遭うことはないと教えたから、どこぞの店に寝そべっていることもないはず。身に付けていればの話だが。





 そんなことを考えながら我楽多市を闊歩する。今日も今日とてあちこちでやれ「騙された」だの、やれ「釣りを誤魔化された」だの、やれ「どこかの街道で殴り合いだ」だの。

 我楽多市では、支払いを終えた後に気づく詐欺や偽証には誰も耳を傾けてくれない。嘘の可能性を承知で金と品を交換しているはずだからだ。


 だが分かっていても、食ってしまった一杯の文句は言わなきゃ気が済まないのだろう。



 理解者ぶって鼻歌を歌っていると、背後から声をかけられた。振り向いた視界に入ったのは、フードを目深まぶかにかぶった男。


「やあいさご、久しぶりだね」



 いさごは小尉の面を鋭い眼光で見つめながら口を開く。


植物しょくぶつ街道に行け。騒ぎだ」

「植物街道…で、騒ぎ。それを私に言う必要はあるの?」

「伊舎堂家の紋を持った人間が中心にいんだと。日頃の行いのせいで誰も小尉から貰ったっつう発言に耳を貸さない」



 早くしないと我楽多になる。

 沙の言葉に小尉は走り出した。




  ***





 時は少し遡る。


 どこの店も店頭に植物を置き、ジャングルのようになっているここは、見覚えがある。風架と佳流かなれが迷い込み、白猫に捕まって離れ離れになってしまった街道だ。



 再びレトロコアへ足を踏み入れた風架と佳流は、手を強く握り、すくむ脚を無理矢理動かして歩き始めた。



 訪れるにあたり、二人は念入りに脳内でシミュレーションを行った。


 止まらず歩くこと。誰かとぶつからないよう細心の注意を払うこと。手を離さないこと。捕まりそうになったら伊舎堂家の紋を見せ、それが駄目ならば全力で逃げること。





 身体を密着させ、人混みの中をすり抜ける。幸い、日本人の特性と言うべきか、すれ違う人とぶつからずに避けることには慣れている。

 しかし、4メートルはあろうかという巨人や、身体よりも長い尻尾を引き摺って歩く巨大な四つ目のトカゲなど、目にするたびに驚いて飛び上がりそうになる。


 本気を出したハロウィンのような中で、およそ平凡な見た目である翁や小尉と出会えるのだろうか。



 弱気になる風架の視界に、立ち止まってキョロキョロと辺りを見回す女の姿が移った。彼女もレトロコアに迷い込んでしまったのだろうか。

 声をかけようかと佳流に相談しようとした時、女と目が合った。


 彼女は風架と、その隣にいる佳流に気づくとこちらに近づき、話しかけてきた。その女の姿に、二人はぎょっとして目を見開く。



「ねぇ、盆栽を売っている店どこにあるか知らないかしら?白樺の精霊が店主と聞いたんだけど分からなくって」



 二人は「分からない」とすら答えられずにいた。女の両腕は、前腕から3本に枝分かれしていて、合計で6つの手を持っていた。

 それ以外の見た目は自分たちと変わらないのに、その奇妙な姿に目を逸らせない。


 瞳を揺らして見つめてくる風架と佳流に、女は「なぁに?」と不機嫌そうに腰にひとつの手を置いた。


「私なにかした?……あぁ、この腕が気になるの?もしかしてあんたたち、異種族見たことないわけ?」


 作り物ではない腕の動きに、風架の足が一歩退がった。




「見た目が可笑しいのはお互い様。気分悪いわ」




 「フン」と鼻を鳴らし、盆栽店を捜すためか横を通り過ぎていく。


 見た目の珍妙さは、誰も口に出せることではない。きっと女は、二本腕の風架や佳流を「変な生き物」として認識していることだろう。


 彼女の気分を害してしまったことが明確に分かり、殺されてもおかしくないと慌てて歩き出す。

 怖くて後ろは見れなかった。




 ぶつからないように早歩きで周囲の人々を避けていると、突如、人混みによって作られた死角から、何者かが現れた。

 突然の出来事に反応できず、その者と肩が当たって転ばせてしまった。二人の顔面は瞬時に蒼白する。


「あいたっ」


 そう声を漏らして地面に倒れ込んだのは、てるてる坊主を思わせる白くて大きな頭を持った人型生物。

 着ている服もポンチョのように横に広く、そしてやはり白いため、てるてる坊主の化身のようだった。



「ごめんなさい!」

「すみません…‼︎大丈夫ですか⁉︎」



 佳流が慌てて駆け寄り、てるてる坊主を起こす。転んだ拍子に散らばった、4本の傘を風架が拾う。彼が持っていた骨組みだけの傘と、生地がしっかり貼られた3本の傘だ。



「本当にごめ──」

「──申し訳ございません」



 再度謝罪する佳流を遮り、てるてる坊主は大きな頭を下げて丁寧に詫びる。


「あぁ傘を……申し訳ございません。お優しい方々」


 4本の傘を抱える風架にも頭を下げた。



 レトロコアで誰かの機嫌を損ねたら、捕まるか殺されるかの二択しかないと思い込む二人にとって、完全に意表を突かれる言動だった。


 てるてる坊主は拾ってもらった傘を受け取り、そのうちの2本を二人に渡した。


「傘をどうぞ」

「え…」

「どうぞ」

「…えっと……」


 おそらく、お詫びのプレゼントのつもりなのだろう。受け取ってやるのが気遣いだろうが、このレトロコアで正体不明の者からの贈り物は怖すぎる。慣れていない風架と佳流にとっては尚更だ。

 実はからかさの妖怪でした、なんて冗談は笑えない。



「い、いいえ。大丈夫ですよ。ぶつかってしまったのはこちらですので…」


 遠慮する風架の言葉に佳流も何度も頷き、転ばせたことを再度謝った。

 てるてる坊主は「そうですか…」と呟くと、背負っていた筒の中に傘を入れて立ち上がった。そして骨組みだけの傘を差し、頭を下げて去っていく。

 去り際に「お早めに雨宿りしてください」と言い残して。





 暗闇が広がるばかりの空から、果たして雨が降るのか。

 暗黒の空に雲なんて見えない。




 怖い目にしか遭っていないから気づかなかったが、これだけ多種多様な生き物がいて、その全員が悪意を持っているとは限らない。それは人間も同様なのだ。

 善い人ばかりではない。悪い人ばかりではない。


 あのてるてる坊主や、6つの手を持つ女は少なくとも二人にとって優しいと言える。捕まえてこないし殺そうとしてこないから。


 そう納得させ、歩みを進める。










 ところで、夜市よいちに〝人権〟や〝尊厳〟は深く浸透していない。それらが尊重されるのは客と商人でいる間だけ。もしくは人間のように、当たり前に権利を大事にされて生きてきた者たちと接する時のみ。

 客でも商人でもなくなれば途端に弱肉強食の環境に身を投じることになる。喰われたくなければ品物を買い続けるか売り続けるか、或いは強者として力をつけるか。


 つまり金が無くなれば当然、



「オメェら、種族はなんだ?」



 商人でいるための、喰われないための努力をするのだ。抵抗の術を持たない人間は格好の餌になる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る