第4話_お買い上げ

 レトロコアはあらゆる世界と繋がっている。世界の数だけ常識があり、偏見がある。

 自分の常識は、誰かにとって偏見であり、逆も然り。


 価値観がぶつかり合うこの場所では、どんな生物も〝レトロコア〟に従わなければならない。なぜならここはレトロコアであるから。




「君の常識は君の世界に置いてこい」



 おきな面の青年の言葉に、風架ふうかは負けじと喰らいつく。



「そ、それでも非常識だと言ってるんです!命をお金で買うなんて…!」

「へぇ、人間は生き物を買わないのか?同種の売買は非常識と謳う種族は多いが、愛玩や食用として獣を買う者は多い。君らは命に金を払わないのか」

「それ、は………」



 言葉に詰まった風架に、今度は小尉こじょうが話し始めた。


「君らの世界では命を買わないのかもしれないけれど、別の世界では違う。愛玩としても食用としても命を購入する。それと同じようなことが、レトロコアの夜市で行われているんだよ。人間を愛玩動物として、あるいは食用として金を払う者がいる。まぁ、例外を除けば愛玩にする者は滅多にいないけれど」



 彼らの言葉は、決して風架を煽ったり揶揄ったりしているようなニュアンスではなかった。種族による価値観の違いを諭しているかのような口調だ。




 話し終わると、小尉は立ち上がって東屋を出た。青年が「まだ早い」と止めるが、佳流かなれが食肉にされないように店主に話をつけに行くらしい。それならばと、それ以上青年は引き留めなかった。

 風架もついていこうとすると、「邪魔になる」と小尉に拒否された。まっすぐ歩けもしない状態では、風架も捕まってしまうから、と。


 早く佳流の無事な姿を確認したいのだが、足がふらつく上に全身が痛い。あまり信頼できないが、ここは小尉を信じて待つことにした。



(佳流さん…………どうか無事で…っ!無事でいてください…!)


 頭を抱え、額を膝につけて祈る。鼻血はいつの間にか止まったようだが、涙はとめどなく溢れてくる。




「風架は初めてレトロコアに来たの?」


 翁面の青年からの問いに、少し反応が遅れて答える。


「はい…」

「なら最初に説明があったよな?レトロコアと夜市について。なんで理解できていないんだ?」


 おそらくあの子供について言っているのだろう。頷いて肯定を示すが、あんな一方的に話されて、しかも何ひとつ質問をさせてくれない状況では理解なんて到底できない。

 そう伝えると、青年はひとつ息を吐いた。



「理解できない者は多いのか……質問を受け付ける時間は設けるべきかな…」

「…………あの…あなたのことはなんと呼んだらいいでしょうか…?」

「私はおきなだ」


 あの子供は翁の差金なのだろうか。まぁ、風架にとっては子供のことは今はどうでもいい。とにかく無事に佳流が帰って来てくれたら、それだけで。





  ***






 青い提灯はレトロコアの夜市を照らし、立ち並ぶ店の上空に浮かんでいる。

 多くの生き物が闊歩する巨大な商店街では、あちこちから怒声やら悲鳴やらが聞こえた。


 しかしそんな喧騒に耳を傾けることなく、小尉は道の真ん中を悠々と歩いていた。すれ違う者の中にはチラリと横目で見てくる者がいて、しかしそれすら気に留めない。


 最古の記憶から、この光景は変わらないのだ。




 物騒な武器や謎の肉塊、ギョロリと動く連なった目玉の数々。この奇怪な商店街を歩く小尉は、店を構える商人の顔をひとりひとり確認する。

 白猫ではないと分かると、すぐに隣の店主や、30メートルほど離れた向かい側の店主に視線を移した。


 似たような二足歩行の猫はいるが、なかなか見つからない。



 と思っていたら、三毛猫の店主の隣にいる、ぶち猫の店主の隣に、白猫の商人を見つけた。


 小尉は「あぁ」と少し驚いたような声を漏らし、白猫の構える屋台に近づいた。

 途端に、周囲にいる客や商人が騒めき始める。



「貴族だ」

伊舎堂いしゃどう家だ…」

「何しに来たんだろうか?」

「冷やかしだろう」

「貴族が冷やかしなんかするもんか」



 耳こすりの彼らには目もくれず、小尉は白猫商人に尋ねた。


「人間は売っている?」

「えっ…に、人間ですか…?」


 白猫は戸惑ったように耳の後ろを掻き、横から見えるぶち猫商人に目線を送った。ぶち猫も困惑しているように耳を伏せ、「助けてやれない」というように首を横に振った。


「人間…かどうかは知りませんがね…人型生物は捕まえましたよ、ええ」


 戸惑いながらも正直に答える。白猫やぶち猫、三毛猫だけでなく、周辺にいる客や商人も、互いに顔を見合わせて目の前の出来事が幻ではないかと確かめていた。



「見せてくれないか?」



 その要望に、白猫は終始不思議そうに首を傾げながら、店の奥に消えた。すぐに姿を現し、大きな檻を引きずって出てきた。


「小尉様がウチみたいな汚い店に何用か知りませんがね…直近で捕まえたのはこの生き物ですよっと」


 檻を持ち上げ、雑に棚に置いた。「ぎゃっ」と小さな悲鳴が聞こえる。

 中に入っているのは、人型の女性。



「君、カナレという名前で合っている?」

「……なに…」

「質問しているよ。君の名前はカナレか?」

「…そう、だけど」



 目の前の〝商品〟が佳流であると判明し、小尉は佳流の方を見ていた顔を奥にいる白猫に向けた。




「この商品は私が買う。いくらだ?」




 途端に街道はどよめきだした。野次馬たちは聞き間違いではないかと騒ぎ、商人たちは佳流の姿をまじまじと観察する。


「今、あの品物を買うって言ったの…⁉︎」

「冗談だろ、貴族だぞ⁉︎」

「貴族が冗談なんか言うかよ…」

「あの生き物、神獣か何か…?」

「だったら最低でも鳥獣ちょうじゅう街道に並ぶよ」


 皆が揃って小尉の言動が信じられないと騒ぐ。


 白猫商人も口をぽかんと開き、小尉の発言を確かめる。



「買うって…こ、この獣を…ですか?」

「うん。いくらかと聞いているよ」

「…こ、この獣は明日、爾余じよで並べようと思っていてでしてね、値段は…生きたままですか?」

「そうだよ」

「生きたまま………そうですねぇ…まぁ弱種なんで、2万で良いかな」

「そうか。では──」

「──ちょっと待った‼︎」



 懐から金を取り出そうとした小尉に待ったをかけた、野次馬のひとり。

 ねずみのような出っ歯をカチカチと鳴らし、一歩前に出て〝野次馬〟から〝客〟へと変わる。


「オイラが買う!2万5千でどうだ?」

「いや、あたしにちょうだい‼︎3万出すから!」

「私も買いたいわ!」


 鼠の客を皮切りに、次から次へと佳流の購入希望者が増えていく。小尉は金を取り出そうとする手を止め、ため息をついて増える客たちを見つめた。


 とうの本人である佳流は訳が分からず、格子付きの視界で叫ぶ面妖な生き物たちに怯える。



 「貴族が欲しがる商品」という認識が広まり、佳流が何か特別な力を持った、あるいは希少価値の高い種族ではないかと勘違いして競り合っている。

 おまけにここは安物が多く並ぶ我楽多市だ。お手軽な値段がさらに熱気に拍車をかけていた。




 2万から始まった金額が20万を超えたところで、小尉は自身の横髪を結う髪留めを外した。緑色の光沢が輝くその髪留めを、佳流の入る檻の隣にカランと落とした。


 客たちの動きが止まる。




「41万で買おう。この落とした髪留めは君が拾うといい」




 周囲は静寂し、横目でこちらを見つつ通り過ぎる者たちの話し声だけが聞こえる。


 その時、宙に浮かぶ提灯の光が消え、街道は真っ暗闇に包まれた。だが一秒も経たずに青い光が再び灯り、何事もなかったかのように時間は進む。

 白猫の店の周りだけが時が止まっているかのようで、しかし緑の髪留めはコロコロと転がっている。



「…分かりました。お買い上げありがとうございます」



 白猫は口角を上げ、頭を下げて購入の礼を伝えた。顔を上げる際に髪留めを素早く拾い、棚の下に隠す。



 小尉と白猫の間で成立した我楽多市最高額の売買に、客たちは舌打ちや「お貴族サマが」と唾を吐き、盛り下がりを見せる。

 多くの客が離れてしまう中でも、白猫はご機嫌に檻を開け、小尉から代金を受け取った。





 解放された佳流は恐る恐る棚から降り、小尉を見つめる。

 小尉は「ついてきて」とだけ伝え、佳流に背を向けて歩き出した。

 ついていっていいのか分からず、むしろ逃げ出した方がいいのではと考えて後退ると、小尉が振り向いた。


「風架が会いたがっているから、ついてきて」



 その言葉に、退がる足は止まり、慌てて後を追った。

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